2022年6月19日の説教要約 「父とわたし」

2022年6月19日の説教要約
 「父とわたし」  中道由子牧師 
  《わたしと父とは一つである。》(ヨハネによる福音書10章30節)
 
今日は父の日です。父なる神と御子イエスの関係を学びたいと思います。

1. 父と息子
 まずルカによる福音書15章に出てくる放蕩息子のお父さんから話します。
弟息子は父親の財産を先にもらって家を出ていき、そのお金を好き勝手に使ってしまいます。お金があるときは、たくさんの人が寄ってきたけれどもお金が無くなって、弟息子は友達もいなくなってしまったのです。
試練に会うと、私たちは誰が真の友かわかることがあります。
お金が無くなった弟息子に食べ物をくれる人もいなくなったのです。
彼は最後には豚の世話をする仕事しかなかった、とあります。
さらに彼はもうおなかがすいて、豚が食べるイナゴ豆を食べていました。
その彼が、お父さんことを思い出します。
お父さんの所には、大勢の雇人にも余るほどのパンがある。
「そうだ!」彼は決心します。
ルカによる福音書15章18、19節「ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇人の一人にしてください』と。」
放蕩息子の悔い改めの祈りです。
 お父さんは、ずっと待っていました。
息子が遠く歩いて来るのを見て走り寄って首を抱き、接吻した、と書かれています。
そして、この息子にきれいな洋服を着せて、指輪をはめ、宴会を開いてみんなに喜んでもらった、というのです。
この父親は弟息子に甘すぎるかもしれませんが、親はいつも子供のことが心配なものです。それが親です。
父なる神様は私たちが帰ってくるのを待っておられる。いつでも手を広げて待っておられるお方です。そして悔い改めた者を深い愛をもって受け入れてくださるのが、私たちの天のお父さんなのです。

2.父と御子
 ヨハネ福音書5章19~30節には、「父」という表現が9回も出てきます。
ユダヤ人が神を「私たちの父」と呼ぶことはしばしばありますが、イエス様のように「わたしの父」と呼ぶことはしませんでした。
ですから、ユダヤ人はこのことに激怒しました。
エス様が御父と御自分との特別な関係について語っていることに気づいたからです。
エス様は神を御父と呼んで、御自分が神であること、その権威を明らかにされたのです。御父と御子の働きは一つなのです。
御子イエス様のしていることはみな天の父の命じられたことで、御子一人では何もできない、とイエス様ご自身がおっしゃっておられます。
だから御子の業は御父、天の父にただ従っておられるのです。
この従順は、私たちに主イエス様のゲッセマネの祈りを思い出させます。
ルカによる福音書22章42節「父よ、御心なら、この杯をわたしから取り除けてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」
エス様は父なる神の御心以外の歩みを全くなさらなかった。
そのイエス様が、十字架の上で父なる神様に捨てられたのです。
マタイによる福音書27章46節「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」
父なる神を「父よ」と読んでおられた御子イエスが十字架の上で私たちの罪を負った時、父なる神から見放され、裁きの世界におかれたのです。 
 ジョン・パイパー牧師は、”Who Killed Jesus?” 「誰がイエスを殺したのですか?」という説教の中でこう語っています。
イエス・キリストを殺したのは、ローマの兵士でしょうか。ユダヤ人でしょうか。
ピラトでしょうか。いいえ、彼の父が彼を殺したのです。
創世記22章でアブラハムが息子のイサクの胸にナイフを持ち上げた時、茂みに雄羊がいたのです。アブラハムはイサク代わりにお羊をささげることができました。
英語ではsubstitute、身代わりがささげられたとなっています。
父なる神は彼の御子であるイエスの胸にナイフを持ち上げましたが、神は彼を惜しまなかった。イエスは贖いの雄羊だったからです。
エスは私たちの身代わり、substituteでした。
神は自分の息子を惜しまなかった。なぜなら、それが私たちを惜しむ唯一の方法であったからです。神は私たちの罪のために御子をあきらめました。
御子イエスは突き刺され、私たちの罪のために十字架につけられた。」
しかし、神に見捨てられた御子イエスは息を引き取るとき、ルカによる福音書23章46節「父よ、わたしの霊を御手に委ねます。」こう言って息を引き取られたのです。
「お父さん、おやすみなさい。」と言って息を引き取った。
見捨てられても、救いを成し遂げ、父なる神の御心を全うした御子イエスは、なお父を信頼していた。
父なる神は、その御子イエスを復活させて命を与えたのです。
それゆえに、御子を信じる者に御子は永遠の命を与えることができるのです。
父なる神、子なる神は一つであり、その交わりは深い信頼関係にあります。
 そしてその深い信頼の関係に私たちも招き入れられています。