2023年5月28日の説教要約 「聖霊によってひとつになる」

2023年5月28日の説教要約

                    「聖霊によってひとつになる」 中道選子神学生

 

《「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」》              

                                                                                   (ヨハネによる福音書17:21~23)

 

  1. 聖霊を送るための十字架

十字架の目的とはなんでしょう。私たちの「罪の贖いのため」と多くの人は考えるのではないでしょうか。しかし、十字架の最大の目的とは、私たちに「聖霊を与えること」だと言えます。

神が人を創造された時、神の息吹が吹き入れられ、神の霊が人の内に住まわれました。神が人を愛してやまず、人と親密な関係を求められたからです。しかし、アダムとエバは神に背いたので、人は罪によって汚れた存在となりました。神の霊は、清いお方なので、罪ある人間のうちには、住まうことができなくなりました。それでも、神はもう一度人と共に住まうこと、また人の内に住まうことを望み続けました。その愛なる神の姿が聖書には描かれています。また同時に、神に背き続け、神とともに住めない道を選んでしまう人間の姿も繰り返し、描かれています。神は諦めず、救い主イエスを地上に送り、この方が私たちの身代わりとなって十字架の上で死なれました。その血潮によって、私たちの罪で汚れた心を清め、もう一度聖霊様を受け入れることができるようにしてくださったのです。これが、イエスの十字架の最大の目的です。

 

  1. 主とひとつになる

ヨハネによる福音書14章〜17章には、イエスが死ぬ前の最後の説教と祈りが記されています。ここで、イエスは十字架にかかる前に、聖霊様についてあらかじめ話しておきます。神の霊がもう一度人の内に住み、人が神との親密な愛の関係の中に生きる、この神の願いが実を結ぶことを、目前にしているのです。そして、イエスは17章の祈りの中で、イエスと天の父がひとつであられるように、私たちもイエスとひとつとなり、また互いにひとつとなるように、祈られます。その祈りに至る前に、イエスは、ご自身が、天の父とひとつであられることを、あらゆる箇所で説明しています。

 

ヨハネによる福音書 14章10節〜11節

「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。」

またこのイエスの説教から、聖霊様もイエス様とひとつであられることがわかります。14章16節でイエス様は、天の父にお願いして、「もうひとりの弁護者」を遣わすと話しています。この言葉は、原文ですと、「アロン・パラクレートン」というギリシャ語が使われています。元の言葉はパラクレートスです。パラクレートスというのは弁護者という意味で、助け主、慰め主という意味もあります。アロン(アロスが原型)という言葉は、「もうひとりの」と訳されておりますが、「私と全く同じもうひとり」という意味があります。ここで、イエスは「私の分身のような、私と全く同じ神であられる聖霊様、助け主を送る」とおっしゃっているのです。

 

また、ヨハネによる福音書の15章26節で、イエスはこのように言われます。

「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。」

 

エス様ご自身が真理であられるように、聖霊様もまた、真理の霊であられます。そして、聖霊はご自身のことではなく、イエス様のことを証し、イエスから聞いたことのみ語られます。イエスは天の父から聞いたことのみを語ったのですから、聖霊が語るイエスの言葉は天の父から来ているのです。このように、父、子、聖霊のうちには親密な愛の関係があり、一体であられる神であることがわかります。しかし、神はこのひとつであられる親密な交わりを、ご自身のうちに留めず、その中に人を招かれるのです。この三位一体なる神は、人と共に住み、また人の内に住まわれることを望まれるのです。

 

エスヨハネによる福音書の17章21節〜23節でこのように祈ります。

「父よ、あなたが私の内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになります。あなたが下さった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らのうちにおり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛されたことを、世が知るようになります。」

 

天の父とひとつであられるイエスが、私たちの内におられることを通して、私たちがひとつになっていくことを、イエスは願っておられるのです。私たちがイエスの御言葉に従って、互いに愛し合う時、私たちはイエスご自身に留まることができます。その時、神と人はひとつとなり、人と人ともまたひとつとなる、完全な一致が与えられるのです。そこには、キリストにある喜びが満ち溢れます。完全なる神の愛が満ちるからです。

 

  1. 助け主なる聖霊

私たちとキリストがひとつであり、またキリストにあって私たちが互いにひとつになるために、必要不可欠なものがあります。それは、イエスが私たちのために送ってくださり、私たちの内に住まわせてくださっている、聖霊様からの助けです。キリストと全く同じもう一人の助け手である聖霊様は、私たちを真理に導き、また、ご自身が私たちの内に住んでくださいます。それは、私たちが御言葉なるイエス様に留まり続けるようにするためです。

実際、使徒言行録の2章で、弟子たちが聖霊に満たされた後、彼らはどうなったでしょう。「イエスを信じたものたちは一つとなった」と書かれています。

 

使徒言行録 2章44節〜47節

「信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」

 

このように使徒言行録で、信者たちをひとつにした、同じ聖霊が私たちの内に働かれることを、今日私たちは、期待しているでしょうか。今日私たちが、キリストにあって、互いに愛しあい、ひとつとなるために、聖霊様に助けを求める者たちでありますように。