2023年5月21日の説教要約 「上書きの恵み」

2023年5月21日の説教要約

    「上書きの恵み」   中道由子牧師

《「お前たちはよいと思うことをユダヤ人のために王の名によって書き記し、王の指輪で印を押すがよい。王の名によって書き記され、王の指輪で印を押された文書は、取り消すことができない。」》  (エステル記8章1~8節)

 

1、ユダヤ人虐殺の動機

 この書の主人公エステルは、早くに両親を失い、年の離れたいとこのモルデカイの幼女となっていました。バビロン捕囚から解放されたユダヤ人でありましたが、クロス王の勅令で祖国に帰還できたにもかかわらず、多くのユダヤ人はそれを利用しませんでした。

彼らは捕囚の地に執着し、その地と運命をともにすることになります。

彼らは、ペルシャの王の祝いにも自発的に参加し、その地の権力者に対して忠誠を尽くしました。しかし、彼らは唯一の神を礼拝すること、自分たちがユダヤ人であることを忘れることなく、ユダヤ人としてのアイデンティティーを持っていました。

ユダヤ人は彼らの宗教と慣習の点で異邦人と異なっていました。

ある一点において彼らの律法はどうしても国家の法律と対立せざるを得なかったのです。

ここに出てくるペルシャの王の高官であるハマンは、自分の下で働くモルデカイが自分にお辞儀をしない、敬意を表さないことに心の奥底に苦々しさを覚えていました。モルデカイにしてみれば、唯一の神以外を拝することはない、という一貫した態度でありました。しかし、ハマンのモルデカイに対するこの個人的な不満が、ユダヤ人全体を迫害する王命に至るのです。

残忍なユダヤ人皆殺し計画は、ユダヤ人側の悪い行いによるものではなかった。

近年、第二次世界大戦の時に、ナチスが実行したユダヤ人大量虐殺計画は新しいものではなかった。ナチスの行為もヒットラーの実に個人的なユダヤ人に対する感情であったとされています。 ヒトラーが個人的感情からユダヤ人を敵視したように、モルデカイによって虚栄心を傷つけられたハマンは、モルデカイへの復讐にとどまらず、ユダヤのすべての民を絶滅しようとしたのです。

事実、多くのペルシャ人がアダルの月の13日にユダヤ人を襲い、首領ハマンによって仕組まれた計画を実行しようとしていました。

これは、政治の次元の事柄ですが、本質は偶像礼拝に通じることです。

皇帝や首相を拝むことを強制されたのです。モルデカイは抵抗をせざるを得なかった。

これがユダヤ人弾圧を招いたのです。

私たちホーリネス教会もその弾圧の歴史を持っております。

1942年に「昭和の宗教弾圧」としてホーリネス教会弾圧事件が起こりました。

モルデカイのハマンに対する敬礼拒否に端を発するユダヤ人虐殺・絶滅計画について、現代の日本に生きる私たち、キリスト者がどのように生きるか、彼らが断食の祈りをもってこの迫害を乗り越えてきたことを心に刻んでおきたいと思います。

 

2、王の指輪

 このユダヤ人虐殺が発布され、そこには王がはめていた指輪で王が承認した印が押されていました。王は、毎晩酒宴を開き、大臣ハマンの言うままになっていました。

 当時のペルシャ帝国は、東はインダス川までのアジア圏、西はヨーロッパ、エジプトに至る広い国々を支配していました。それは、いろんな原語でこの発布がなされたことを意味しています。そして、ペルシャの王の印が押された文書は変更ができない法律になっていました。一度発布された文書にはそれだけの効力があるということです。

しかし、一つだけ方法がありました。それは、もう一度このユダヤ人絶滅の文書を取りやめるという文書を発行することでした。新しい文書を出すことです。

 私たちが使っているパソコンでも、いらないものを消去することはできます。

でも、それは消去されていてもまた復元するテクニックがあるのです。

同じように、私たちが受けた心の傷、心の痛みについてもなかなか消えないことがあります。その心の傷がうずかないと思える時もあれば、もうつらくてこれ以上は無理だというところまで引き下ろされてしまう時もあります。

でも、パソコンなら、その上から上書きをすれば前の原稿は消えます。

そのように私たちの内にある、否定的な言葉も、私たちの心にみ言葉を書き記すことにより、み言葉の力によって消去することができるのです。

私たちをダメにするマイナスの言葉からも勝利することができる。

克服することができるのです。

  エステルとモルデカイ、スサの都に住んでいたユダヤ人も上書きの恵みを味わいました。断食して祈りをささげた者たちが、喜びの叫びをあげました。

 

3、プリムの祭りの制定

モルデカイとエステルが創設したというプリム祭では、エステル書の巻物が読まれ、儀式の間にユダヤ教徒は様々な国民の中に散らされた自分たち民族の試練と回復について、深く思いを巡らして祭りを祝うそうです。

ユダヤ人にとってはこの日は、「敵がいなくなり安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月」となりました。この月の14,15日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとしたのです。

 エステル書は、神と人との関係について重要な教訓を私たちクリスチャンに与えます。そこには、正しい者の運命を配慮する神の摂理があります。

その摂理に信頼して、神から与えられる知恵と手段を用いて生きていきましょう。

私たちのために十字架にかかり、復活してくださった主イエスはすでに代償をはらってくださっています。

私たちのために成してくださった主の御業を感謝を持って、記念の日として覚えたい。