2021年5月30日の説教要約 「聖霊によらなければ」

2021年5月30日の説教要約

                       「聖霊によらなければ」    中道善次牧師

 

≪わたしは父におねがいしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。≫

                                               (ヨハネによる福音書 14章16節)

 

1、パラクレートス

アメリカで学んでいた頃、文化人類学を学んだ宣教師から日本文化について教えられたことであります。

授業で、私は次のようにいいました。日本でキリスト教を伝え、理解してもらうことは難しい。特に三位一体の神の聖霊が難しい。天におられる神様はだいたいイメージが出来る。イエス様も、歴史の教科書に出てくる人物ですから人々は知っている。しかし聖霊は、説明が難しい。人々にイメージしてもらうことがなかなか出来ない。

そういったところ、南米で宣教師として働いた経験がある教師が、私にこう言ったのです。君たち日本人は、先祖の霊を敬うことをしているのではないか。例えば、亡くなったおじいさんの霊が、自分たちをいつも見守っていてくれる。家族の霊が、先祖の霊が、共にいて、自分たちを守っていてくれる。そのような感覚を日本人は持っているのではないか。聖霊が、信じる人と一緒にいてくれる、守っていてくれる。例えていうならそういうことだ。

聖霊と言われても感覚として分からない。そのような人にとって理解の助けとなればと思います。

ヨハネ福音書14章では、聖霊を弁護者と言っています。弁護者と訳された言葉は、ギリシャ語では、パラクレートスという言葉です。この言葉の意味は、呼べば近くに来てくれるお方です。

「助けて!」と心の中で叫ぶなら、近くに来て助けてくれる。パラクレートスは「助け主」と訳すことも出来るのです。

協会共同訳はパラクレートスを弁護者と訳します。このような理解が出来ます。人から嫌なことを言われたり、責められたりしたとき、聖霊様が私たちの味方になってくれる。弁護してくれる。

また、寂しいときに、誰がいてほしいと思うなら、そばにいてくれる。パラクレートスは「慰め主」と訳すことも出来る言葉です。

それが、呼べば近くに来てくれる。また、そばにいてくれる聖霊という神様なのだとイエス様はおっしゃるのです。

17節では、この弁護者が、あなたがたと共にいる、あなたがたの内にいると言うのです。

あなたが気づかなくても、聖霊はあなたのそばにいます。あなたの味方です。あなたを助け、弁護します。

 

2、聖霊様が喜ばれること

ヨハネ福音書14:16で、イエス様は、聖霊様のことを「別の弁護者」と言っておられます。協会共同訳では「もう一人の」となっております。

ここのギリシャ語は、アロン・パラクレートンです。語尾変化でアロンとなりますが、原型はアロスです。

その意味は、「私と全く同じもう一人」という意味です。イエス様と聖霊様は、そっくりなのです。

聖霊様がそばにいてくださる。心の中にいて下さる。それは、まるでイエス様がそばにいてくれるのと同じなのです。

聖書の中で描かれているイエス様が、優しい声であなたに語りかけて下さる。イエス様が見守って下さる。イエス様!と呼べば近くに来て下さる。

エス様は天におられるのに、どうしてそのように感じるのでしょうか。

それは聖霊様が、そばにいて下さるからです。イエスと全く同じ聖霊が共にいて下さるとは、そのようなことであります。

そこで一つ気になることがあります。それは、私のそばにおられるのは、ほんとうは聖霊様なのに、イエス様と言ってしまう。それは、聖霊様に対して失礼ではないのか。失礼ではないのです。

ヨハ 15:26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方が私について証しをなさるはずである。

聖霊様は、イエス様のことを証しされる。イエス様を紹介する。それが聖霊様のメインの働きであり、喜びなのです。

自分がここにいるということを隠して、イエス様がここにおられる、そしてイエス様の十字架について、イエス様の愛について、救いについて証しされる。それが聖霊様というお方なのです。

ヨハ 16:14 その方(御霊)はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。

聖霊様は、イエス様が栄光を受けることを喜ばれるのです。イエス様がほめたたえられ、すばらしいと言われることを何よりも喜びとされるのです。

神の御業が起こる。人が救われる。癒やされる。私たちはイエス様を称えるのです。賛美するのです。でもほんとうは、聖霊様がなさったことです。でも聖霊様は、イエスではない。私がそれをしたのだとは言われないのです。イエス様が称えられることを一緒になって喜ばれるのです。

 

3、聖霊様が悲しまれること

さて3番目は、聖霊様を悲しませてはいけない。その聖書箇所を紹介します。

エフェ 4:30 神の聖霊を悲しませてはなりません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。

聖霊様は人格をお持ちでいらっしゃいます。

何が聖霊を悲しませるのか。それはエフェソ4:30の前後の言葉から分かります。

心の中におられる聖霊が、どのように思われるか。それをパウロはエフェソ4:25から述べるのです。

エフェ 4:25 だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。

不真実であってはいけない。偽りを言ってはいけない。あなたの心の中に偽りがあると、あなたの心の中におられる聖霊を悲しませることになるのです。

エフェ 4:26 怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。 怒りを心の中にためていてはならない。何故なら、聖霊様は、あなたの怒りと一緒に日を過ごすことになり、それは聖霊様にとって辛いことです。

エフェ 4:29 悪い言葉を一切口にしてはなりません。 あなたの心の中におられる聖霊が、その悪い言葉を聞かれるのです。それは聖霊を悲しませることです。

エフェ 4:32 互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。 その前の31節には、恨みとか憤りを捨てなさいとあり、赦しの言葉は、その続きです。

赦すことが出来ない心。それを持ったままでいるなら、心におられる聖霊様を悲しませるのです。

聖霊様が心の中でどのようにお感じになられるかを敏感に感じ取ってほしいのです。

もう一つ、紹介したい言葉があります。

テサ1 5:19 「霊」の火を消してはいけません。 「霊の火」とあり、消すという言葉があるので、物質のような表現ですが、ここもまた人格をお持ちの聖霊様を悲しませてしまうと、御霊を消すことになるのです。

ではどのようにすると御霊の火を消すのか。やはり前後の関係から知ることが出来ます。

テサ1 5:16 いつも喜んでいなさい。 喜びがないと聖霊の働きが弱くなる。

テサ1 5:17 絶えず祈りなさい。 祈りがないと、聖霊の働きが消える。祈りを通して聖霊が働くからです。

テサ1 5:18 どんなことにも感謝しなさい。 感謝がないと、私たちの内におられる聖霊様は悲しまれます。

テサ1 5:20 預言を軽んじてはいけません。 預言、つまり、語られる神様の言葉を軽んじるような態度をとると、聖霊様は働くことが出来なくなるのです。何故なら御言葉を通して聖霊が働かれるからです。

聖霊様を敬い、大切にする。そのような私たちでありたいと思います。