2021年12月12日の説教要約 「神に覚えられる幸せ」

2021年12月12日の説教要約

                「神に覚えられる幸せ」    中道善次牧師

                        ≪ ルカ福音書1章5~13節≫

 

今日は洗礼者ヨハネの父となったザカリアを取り上げます。

ザカリアの祭司としての真面目な奉仕が神に覚えられた。また、ザカリア夫妻の祈りが覚えられたという2点を取り上げます。ザカリアという名前が、ザーカル+ヤー(ヤハウエをあらわすヤーです)から出来ており、その名前の通りザカリアは神から覚えられたというメッセージが含まれる物語です。

それと共に、聖書の中にある「ザーカル」という言葉を取り上げてメッセージを聞き取りたいと思います。

 

1、ザカリアを覚えた神

ザカリアは二つのことを神から覚えられた人物です。

第一は、ザカリアが神殿に入って、香をたく仕事の当番が回ってきた事であります。これは神からの特別なプレゼントでありました。ルカ福音書1章8~9節をご覧下さい。

ルカ 1:8 さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、

ルカ 1:9 祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。

ザカリアがくじに当たって、香を焚く当番が回ってきた。一般的な言い方をすれば幸運な出来事であります。何故なら、一般の祭司が聖所に入って香を焚く奉仕は、一生に一度あるかないかのことでありました。そして残念なことに、くじに当たらないで、奉仕の期間を終える祭司も大勢いたのです。

神は長年祭司として忠実に務め、おそらく50歳の定年を間近にしているザカリアを覚え、この特権、特別な祝福にあずからせて下さったのです。ザカリアの忠実さが6節に記されています。

ルカ 1:6 二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。

第二にザカリアが神から覚えられたことは、彼の長年の祈りが答えられたことであります(1章13節)。

私の推測ですが、ザカリアは、定年間近、50歳近い年齢であり、妻エリサベトも40歳は超えていたと思われます。老人という言葉をザカリア自ら14節で語っています。妻エリサベトは、40歳前後だと思われます。ですから彼らに子どもが与えられる可能性は低かったのです。

しかも今から2000年前のことです。かりに妊娠しても高齢出産であります。ザカリアとエリサベトに子どもが与えられる。それは、どれほど驚く事、大変な事であったでしょうか。

しかもそれはただ単に、個人の幸せとして、祈りが答えられたのではなかった。祭司ザカリアは、神がイスラエルの民を顧みられる事を祈っていた。それが、68節のザカリアの賛美の言葉からわかるのです。

ルカ 1:68 「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、」

イスラエルの救いをずっと祈ってきた。その道を整えるのが、ザカリアから生まれる子どもヨハネだといわれたのであります。

ザカリアの忠実な奉仕が神に覚えられ、ザカリア夫妻の真実な祈りが神に覚えられたのです。

 

2、ノアを顧みた神

聖書を読んでみますと、神が人々を覚えておられたという言葉が繰り返し出てくるのです。

その一人がノアであります。洪水が始まり、創世記8章1節に次のような言葉があります。

創 8:1 神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。

神がノアと家畜を御心に留められた。それがザーカルです。

雨が40日間、降り続き。水かさが減り始めるまで150日かかりました。

神がもう自分たちのことを忘れられたと思っていたかもしれません。しかし神は忘れません。ノアも家畜のことも神様は顧みておられました。

神様は、私のことなど忘れてしまわれたのか?試練が続くと、そう思う人がいるかもしれません。聖書は告げます。神はあなたのことを忘れることはありません。あなたのことを覚えておられるのです。

 

3、人々の祈りを覚える神

神様は人々の祈りを覚えるお方です。

創 19:29 こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め(ザーカル)、ロトをその破滅のただ中から救い出された。

神はアブラハムのことを御心に留めたとあります。それは彼の執り成しの祈りを覚えていたことを指しています。ソドムゴモラに10人正しい者がいたら滅ぼさないで下さいという祈りを覚え、ソドムゴモラの滅びの中からロトを助け出されたのです。神様は、名前を挙げて祈っている家族の事を覚えてくださる。

次にサム上1:19をお読みします。

サム上 1:19 一家は朝早く起きて主の御前で礼拝し、ラマにある自分たちの家に帰って行った。エルカナは妻ハンナを知った。主が彼女を御心に留められ(ザーカル)、

主がハンナの事を心に留められ、顧みられた。神はハンナの祈りを覚えられたのです。ハンナは身ごもり、サムエルを産む事が出来たのです。神は私たちの祈りをも覚えて下さるのです。

レビ記には、穀物の供え物の規定が記されています。

レビ2:2に「しるし(記念の分)として」という言葉があります。これはヘブライ語ではアズカーラーであります。

神様、私たちの祈りと献げ物に心を留めてください。そう願う献げ物のことであります。

神が私たちの献げ物を心に留められ、それを受け入れるときに示して下さるのが、神様のほほえみ、御顔の光であります。

 

4、 民の叫びを聞き、契約を思い出した神

出エジプト2:24を読みます。

出 2:24 神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた(ザーカル)、

神は、エジプトで奴隷として強制労働に服している民の長年の苦しみの声、叫びを耳にされたのです。そしてイスラエルの先祖たちと交わした契約を思い起こしたのです。これがザーカルです。

契約を思い起こされた神は、イスラエルを助けるためにモーセに声をかけ、彼を立ち上がらせたのであります。

ここから聞き取るメッセージは、神様があなたに約束された事を、神様は決して忘れないことです。どんなに時間がかかっても、いつか必ず実行してくださるということです。

アブラハムとの契約を覚え」という言葉は、ザカリアの預言にもあります。

ルカ1:72 主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていて下さる

クリスマスは、神様が約束したことを覚えておられ、その約束を果たされた時であります。

 

5、十字架上の強盗を覚えた神

 最後に紹介する言葉は、旧約聖書の言葉ではありませんが、ヘブライ語に訳すならザーカルです。

ルカ 23:42 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。

十字架にかけられた強盗がイエスに向かって、私を覚えてください、思い出して下さいと祈っている。

聖書の中で、神様が覚えている、忘れないでいるというのは、単なる記憶のことではなく、救いを意味する言葉であります。

十字架上の強盗は、自分の救いを願ったのです。

ですからイエス様はその願いに応えるように、今日あなたは私と一緒に楽園、パラダイスにいると言われたのです。あなたに永遠のいのちを約束する。天国を約束する。

「中道君を覚えて下さい」と教会学校の教師から祈ってもらったことが、私の原点であります。

誰かから「覚えて下さい」と祈ってもらった私たちは、今度は人々を覚えて祈る者になりたい。