2021年12月19日の説経要約 「最初のクリスマスを祝った人々」

2021年12月19日の説経要約 

   「最初のクリスマスを祝った人々」   中道由子牧師

 

≪「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」≫

                (ルカによる福音書2章8~14節)

 

1、みこころにかなう人々

 ルカによりますと、キリストの誕生が最初に知らされたのは「野宿をしていた羊飼い」でした。

私たちは、羊飼いは信仰的な人々だというイメージを描きますが、実際の羊飼いは、軽蔑の対象でした。

羊飼いはその仕事上、モーセの律法の定めと、それに人々がくっつけた多くの約束事を守ることが難しい人々だったのです。

そのうえ、「人のもの」と「自分のもの」を混同しているという疑いの目で見られていました。

そのため人々から見下げられ、裁判で証言することも許されていませんでした。

羊飼いは「地の民」と呼ばれ、神殿に入って礼拝することも許されていませんでした。

この時期に人口調査が行われましたが、羊飼いはこの人口調査の対象ですらありませんでした。

その理由は、彼らは自分の土地を持っていなかったからです。

羊飼いたちは、獣と一緒に野宿することから「野蛮人」とみなされました。

家畜と共に寝泊まりする職業であったため、お風呂にもあまり入れず、清潔なものも着て居なかったでしょう。

臭い、埃で薄汚れた羊飼いに羊以外の誰かが近づきたいと思う人たちではなかったのです。

また、羊飼いは「うそつき」の代名詞でありました。

その羊飼いに幼子イエスの誕生が知らされたのは、神が弱い者を通して、ご自身の力と知恵をこの世に示そうとされたからではないでしょうか。救い主イエスの誕生は、無学で貧しいけれども、しかし、仕事に忠実な人たちに知らされたのです。

  また16節に、羊飼いたちが、どのようにして救い主をお迎えしたかが書かれております。

「そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」

このみ言葉は、私たちに、クリスマスを迎える一つの意味は、救い主を捜し求めることであると教えてくれています。

 羊飼いたちは急いで行って、捜し求めたのです。簡単なことではありません。

ベツレヘムは、人口が二千人くらいの小さな村でしたが、その時は人口調査もあり、ごった返していました。

羊飼いたちは、時間をかけ、労苦を重ね、捜し求め、ついに捜しあてたのです。

救い主を捜しあてられなければ、クリスマスの意味を確かめられないのではないでしょうか?

救い主は、罪から人間を救い出してくださるというメッセージをもって、私たちのところへおいでくださった。

にもかかわらず、そこに至らないまま、キリストを捜すことを止めてしまう人がどんなに多いことでしょうか?

時間がかかるかもしれません。

悩みを抱えながらになるかもしれません。

しかしそこを越えたところに救いの道があると知っているならば、私たちは、救い主を捜した羊飼いのような思いで、クリスマスを迎えることができるでしょう。

捜しあてた彼らがしたことは、「この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。」(17節)のです。

彼らは、安心して帰ったのではなく、「人々に伝えた」。

英語の聖書では、「言い広めた」になっています。

嘘つきだと思われてもいい、信用されなくてもいい、とにかく伝えずにはいられなかったのです。

 

2、地には平和

 14節で天使の大軍が現れ、神を賛美しました。

 私たちもたくさんのクリスマスの曲を賛美しました。

神様は私たち人間を歌う者として造られました。

救い主が生まれた、死ぬために、私たちの罪の解決のためにこの地上に来てくださった!

そのことを歌わずにはいられない。

ヨハネによる福音書1章には、この平和は、神が与える、大きな喜びのおとずれを受け入れる人に与えられるのです。

このように与えられた大きな喜びの福音も、それを受け入れない人には意味がありません。

この良きおとずれ、福音を受け入れたものだけがこの大きな喜びを知り、その人から平和がもたらされます。

それは、私たちの罪が解決される十字架によってもたらされる、神との平和であります。

御心に適う人々にとって救い主の誕生を知り、心の中に主を迎え入れることは、神との平和の関係が始まるのです。

ヨハネによる福音書1章12節「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」

 神の子となる資格のために、聖書を全部読まなければいけないとか、試験に合格するといったことはなにもなく、「私たちのために生まれてくださり、死んでくださったイエス様を受け入れる」という、ただこれだけです。

これが、クリスマスの本当のプレゼントです。

 

 最後に、神様がこの地に与える平和について旧約聖書イザヤ書11章6〜9節に書かれています。

イエス・キリストが再びこの地に来られる時、宇宙創造の秩序が回復され、平和が宣言されます。

狼が小羊と共に住むのです。豹と子山羊が仲良く、寝転んでいます。

これは、権威ある者が弱い者たちに仕えるということです。

牛と熊が一緒に草を食べるように、人間の内面にある残忍さや暴力性が消えます。

乳飲み子がコブラと遊んでいるところを想像できますか?

あらゆる災難や危険が消え、害を受けることもなくなります。

海をおおう水のように、全世界に神を知る知識が満ち、神を賛美する声が鳴り響きます。

主の国はすでに始まっています。そして、主が再び来られる時、この平和は完成するのです。