2019年12月8日の説教要約 「世界が新しくなった日」

2019年12月8日の説教要約

                                  「世界が新しくなった日」  照内幸代牧師

 

導入

アドベント降誕節に入りました。イエス様がお生まれ下さった日を覚えて、祈り備えていく期間です。

ヨハネ福音書の一章はこのように始まっています。「初めに言葉があった」。

聖書を何度か読まれた方は、書物の出だしに「初めに」と書かれていると、ある聖書の箇所を思い出されると思います。それは、この分厚い聖書の最初のページ、創世記一章一節です。そこにはこう書いてあります「初めに、神は天地を創造された」。何の前置きもなく突然「初めに神は」と始まるのです。

ヨハネはこのような語りだしで、救い主イエス様のご誕生を語っています。この救い主がどういうお方であったかと言えば、それは父なる神と共に天地創造の時からいらっしゃった神なる方であると言っています。まさに天地が創られたように、私たちの存在そのものが、クリスマスの出来事によって新しく創りかえられたのだということを語っているのです。

ヨハネはイエス様がそのような方であるということを、イエス様を三つの言葉で表現しながら伝えています。一つ目に、「言」であったということ、二つ目に、「命」であったということ、三つ目に、「光」であったということです。

 

言の神なるイエス

創世記の一章を読んでみますと、世界がどのようにしてできたのかが書かれています。学校の科学の教科書を見てみますと、ビッグバンという爆発が起こって、それが世界の始まりだったと書かれています。では聖書では何と書いているでしょうか。初め地は混沌としていて、形あるものがなかった。闇があり、神の霊が水の面を動いていたと創世記に書かれています。

「神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。」これが世界のできた始まりです。神様が言葉によって、世界を次々に創られていく様子が書かれています。神が「光あれ」と言うと、その瞬間に「光があった」と聖書は書いています。光ができたのではなくて、光があった。光が存在したというのです。神様のおっしゃることには力があって、その言葉がそのまま実現していくのです。ヨハネの一章一節には、このように書いてあります。「初めに、言があった」。ここで言う言というお方は、イエス様のことなのです。

クリスマスにお生まれ下さったイエス様がどういう方かというと、それはまさに言なる方であると言えます。イエス様が寝たきりの人に、「床をとりあげて歩け」と言えば、立てない人が歩けるようになり、風と波に「静まれ」と言えばその通りになりました。イエス様の言の内には、力があったのです。イエス様は神なる方であり、天地が言葉によって創られたときもそこにおり、このイエス様の言によって、多くの人たちに命が与えられてきたということが、この福音書に書かれています。

 

命なる方

次にイエス様は命なるお方だということですが、四節には、「言の内に命があった」と書かれています。言なる方イエス様の内には、私たちを生かす命があったとヨハネは言っているのです。創世記の二章には、人間が神様によって創られたときのことが書かれています。そこを読んでみますと、このように書いてあります。

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。

聖書は、人はもともと土の塵だったと言います。それを形づくっただけでは、それは所詮ただの土の塊です。命はない、死んだもの同然です。そこに神様が命の息を吹き入れて、人は生きる者となったと伝えています。イエス様もそういうお方であるということです。「言の内に命があった」このイエス様の内に、本当の命があるのだということです。

 

光なる方

最後にヨハネは、主イエス様が光なる方として来られたと語っています。

創世記でも、初めは闇に覆われていて、混沌としていた世界に、光が現れたところから世界が始まったのだと書かれています。ヨハネはこう書いています。

「命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

「光」とは一体何を表しているのでしょうか。いろいろ考えることができると思いますが、それは私たちを導くものであり、それ故に私たちの希望であると言えることができると思います。暗いトンネルの中を歩いていて、目の前からさっと光が差してくる。すると、ああもうトンネルを抜けるんだ、開けた日の差す場所に出るのだと分かります。その方向に真っ直ぐ歩いていくならば、トンネルの中から抜けることができるわけです。主イエス様というお方は、まさにそういうお方としてこの世に来てくださったのだと思います。

 

まとめ

主イエス様は、言なる方、命なる方、光なる方として、この地上にやってきました。それはまるで、この世界が一から新しくなったような、世界が新しく創造されたかのような出来事でした。パウロという人は聖書でこのように書いています。

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」

クリスマスという日は、私たちに新しく命が与えられたことを記念する日でもあります。

私たちすべての希望としてこの地上に来られたイエス様のご誕生を思いつつ、クリスマスの日に向けて心を備えていきたいと思います。