2020年12月6日の説経要約 「約束の子」

2020年12月6日の説経要約

                     「約束の子」   中道由子牧師

  

≪神はアブラハムに言われた。「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。」≫

(創世記21章1~13節)

 

 

 今日は約束の子、イサクがいよいよ生まれる個所です。アドベントの内容も盛り込んで、2つのポイントからお話します。

 

1,イサクの誕生

イスラエルの民は、長い間救い主の誕生を待ちました。

 イサクの誕生は、神の約束の成就の土台です。アブラハム夫婦に息子が与えられ、その子孫がマタイの福音書1章に書かれているイエス・キリスト系図を飾る人々なのです。

マタイによる福音書1章2節で「アブラハムはイサクをもうけ、」とあります。イサクが生まれてこなければ、この系図は続きません。創世記で、「主が約束されたとおり」が繰り返されているのは、イサクが約束の子どもであるからです。アブラハムは、イサクこそが主の契約を受け継ぐものであることを信じて、契約のしるしとしての割礼を施しました。

しかし、それだけでは契約の通りになることは難しかった。

アブラハムが通らなければならない試練の第一関門がありました。

 イサクが成長して乳離れした時に、アブラハムは盛大な宴会を催しました。その時にサラは、イシュマエルがイサクをからかっているのを見たのです。イサクの誕生までは、自分こそがアブラハムの相続人だと思っていたイシュマエルにとって、イサクの誕生と成長は脅威であったかもしれません。父アブラハムの愛情が自分よりもイサクに注がれているのを感じて、イサクをいじめたくなったとしても不思議はありません。サラはその様子を見て、アブラハムにハガルとイシュマエルを追い出すように要求してきました。

 サラのこの申し出に対してアブラハムは悩みます。女奴隷の子とはいえ、イシュマエルもアブラハムの子でした。それ故に、アブラハムは非常に悩んだのです。そのような岐路に立たされることが私たちの人生にもあるかもしれません。

ここで、自分がどうすべきかはアブラハムにもわかっていたでしょう。

アブラハムの家庭の現状は、約束の子供が生きていくのに不利な環境でした。13年間イシュマエルが長男の役割をしてきて、年老いた両親がイサクを最後まで守ってあげるには限界があります。

この年齢でイサクをからかうイシュマエルは、イサクにとって脅かしとなるとサラには思えたのでした。イシュマエルへの愛情ゆえに悩むアブラハムに、主の言葉が与えられます。

これは、大切なことです。私たちもいろいろと悩みます。でも、主のみ言葉が与えられたら従うのです。なぜなら、神様は一切のことをご存じで、私たちが願う以上に良い方法を知っておられ、ご配慮くださるからです。

アブラハムは一切を主の御心に委ねて、ハガルとイシュマエルを出しました。

F・Bマイヤーは次のように書いています。

アブラハムは多くの痛みを持ってハガルとその子供に最後の別れを告げた。ふたりは、あたりがまだ静かなうちに、日の出前の薄明りの中へ消えていった。気丈なアブラハムではあったが、ハガルの手にパンを渡し、彼女の肩に水の入った袋をゆわえつけ、もう一度イシュマエルにくちづけしたときに、どんなに心が痛んだことであろう。私たちの生涯の内で、ただ神にだけに知られているできごとが、どんなに多くあることだろうか。しかし、そのほうがよかったのである。神はこの親子ふたりのために備えておられた。」

アブラハムはハガルにパンと水を与えましたが、ほどなくそれはなくなってしまいます。ハガルもイシュマエルも、絶望のあまり声を上げて泣きました。この時、神は少年イシュマエルの声を聞いて、ハガルの目を開かれ、それで彼女は井戸を見つけて、水を手に入れることができたのです。神が共におられたので、彼は順調に成長しました。ハガルは、自分の国エジプトからイシュマエルのために妻を迎えます。神は決してハガルとイシュマエルを見捨てることなく、彼らを顧みてくださったのです。イシュマエルが、もしアブラハムの天幕でぜいたくな生活をつづけていたなら、このように強い人間に成長しなかったかもしれません。アブラハムにとっても一つの荷を除き、もう一歩前進することができたのではないでしょうか。

このように、一時は私たちの心を痛めるように思われる出来事も、後になると、神からのものであることがわかってきます。神は私たちにとって切りがたい、つらいことにも関心を持っておられます。助けようとしてくださいます。アブラハムに約束の子イサクが与えられ、その地を受け継ぐ祝福が与えられたように、私たちにも一番良いものをくださいます。

 

 

2,バプテスマのヨハネの誕生

新約聖書の中で、サラのように年を取り、不妊の女がルカによる福音書に登場します。

祭司ザカリヤの妻エリサベツです。

エリサベツは代々祭司職を伝承するアロンの家系の娘の一人でした。夫婦ともに神の前に正しく、神の戒めと定めとをみな落ち度なく行っていました。しかし、二人には子供がおらず、すでに歳を取っていました。ある時ザカリヤはその組の当番で、神殿において祭司の務めをすることになりました。祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになったのです。一生の間に一度当たるかどうかという奉仕です。彼が聖所で香をたいている時、香壇の右に天使が立ったのです。ザカリヤはおじ迷い、恐怖の念に襲われました。すると天使は彼に「恐れるな」と言い、彼の祈りが聞かれてエリサベツが子供を産むであろう、その子はヨハネと名付けられるべきこと、彼は大いなるものとなって、多くの人々を神に立ち返らせ、整えられた民を主に備えるであろうと言われました。この子も神様からの使命を与えられた子供でした。

イザヤ40章3節の預言の子供です。彼は救い主の誕生の前に使命を持って生まれてくるのです。

ザカリヤは「わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」と疑いました。そして、なかなか聖所から出てこない。そして出てきた時にはものが言えなくなっていたのです。それから間もなく、ザカリヤは任務の期日が終わったので、家に戻りました。ザカリヤがものが言えないので、夫婦の間の会話も筆談になって不便であったでしょう。でもエリサベツに子供が与えられることは伝えられ、彼女は身ごもりました。どんなに嬉しかったことでしょう。月が満ちて、子供が生まれて名前を付ける時、父親のザカリヤがしゃべれないので、板に子供の名前を書きました。そうしたら、急にものが言えるようになった。しゃべれるようになったザカリヤは預言の中で主を賛美しています。ザカリヤにとって沈黙は信じなかった罰ではなく、祝福でした。子供が生まれてくる10か月の間、聖書に書かれている預言を思い出したでしょう。

ルカによる福音書1章72、73節「主は我らの先祖を憐み、その聖なる契約を覚えていてくださる。これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。」

イスラエルの救いの歴史を覚えたのです。

私たちは黙っているよりも話すことが好きです。悩みがあると、わかってもらえる人に話したくなります。けれど静かに神様の前に出て、神様の臨在に接する、神に語りかけることを学ぶことは、もっと大切なことです。

 ザカリヤはずっと声が出なかったらどうしよう、と先を見て思い煩わなかった。その沈黙の中で神に出会っていました。

最後に救い主の母となるマリヤが親戚のエリサベツを訪問した時、エリサベツがマリヤを励ました言葉を見てみましょう。

ルカによる福音書1章45節「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 マリヤを通して、まさに約束の子が生まれました。

それは、アブラハムの子孫のためだけでなく、全世界の救い主です。