2018年2月18日の説教要約 「神に良き香りを」

〇2018年2月18日説教要約  「神に良き香りを」    中道善次牧師 
                     レビ記 1章1〜9節

 
茅ヶ崎教会の10時半の礼拝のため、準備の一つとして、礼拝堂に乳香の香りがするお香を焚いています。
乳香は、イエスが誕生したときに東の博士達が持ってきた献げものの一つです。また聖書では乳香は、礼拝を献げる時にも、神への祈りの象徴として香の中に入れられます。また癒しの効果もあります。
「神様、私たちの献げる礼拝が、この乳香の香りのように、芳しい、良い香として、貴方のみ前に立ち上りますように」という祈りを形にしたのです。

レビ記1章や2章から、献げ物について学びたいのです。

 ① 御顔の光を求めて
 聖書の中には、御顔の光を求める、御顔の光が隠れるという言葉が、しばしば出てきます。
詩篇67:2「神がわたしたちを憐れみ、祝福し御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように」
大祭司アロンの祝福の祈りには、御顔の光が二度も出てきます。民数記6:24〜26です。
「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜わるように」。
ここから分かることは、御顔を向け、照らすという言葉は、神の祝福と同じ意味なのです。
それを簡単に言うと、神が私たちにほほえみかけて下さることです。
この神の微笑が、私に向けられるようにと、旧約聖書の人々は一生懸命でした。その一番大きな現れは、旧約聖書の犠牲でした。
レビ記1章や2章では、神が、鼻を持ち、香りをかぐ、擬人法が使われている。
レビ記には何度も、「主にささげる宥めの香り」とあり、口語訳では「主に献げる香ばしい香り」となっています。
平たい言葉で説明をしますと、肉と小麦が焼かれる匂いです。ステーキやクッキーやパンが焼ける匂いを想像して下さい。
いい香りをかぐと、嬉しくなります。
香は、私たちの気持ちを左右します。くさい、悪い臭いは、気分だけでなく、体調も悪くする事があります。しかし逆に、良いかおりは、気分をよくし、癒しの効果があります。
神が献げ物の香をかいで、良いお気持ちになられる。お心が和み、笑顔を人間に向けてくださる。それこそイスラエルが、神様からいただく祝福でありました。
それを私たちに適用させてくれる個所が、ヘブライ書13章15節です。
だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。
ある賛美セミナーに出席したとき、賛美の目的は神のスマイルを得るためだと答えた宣教師がいました。講師は、素晴らしい答えだと言いました。
この言葉が、旧約聖書新約聖書をつなぐ言葉なのです。
私たちが賛美するとき、礼拝で祈りを献げ、感謝を献げ、主を喜ぶとき、神様もまた喜び、御顔の光を照らしてくださる。それが私たちの感じる「神からの祝福」に他ならないのです。
神との笑顔の交換できる、そのような関係でいる時、私たちは大いに祝福されているのです。
 
② 神のまなざしを意識する
次は、アブラハム物語から、御顔の光、神様の優しい眼差しを意識して歩む事を学びたいと思います。
創世記17章1節では、「あなたは私に従って歩み」と新共同訳はなっております。口語訳では「あなたは私の前を歩み」とあります。
神の前を歩むとは、神様の御顔の光の中を歩む。それは神様の眼差しをいつも意識して歩むということだとある説教者が言っております。
それをアブラハムの物語の中から、二箇所具体的に見てまいりたいのです。
アブラハム物語の中で、神がハガルに対してかけられた言葉が、創世記16:13です。
ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで「あなたこそエル・ロイ(私を顧みられる神)です」といったのです。神は、ハガルを、そしてハガルから生まれたイシマエルをも心配して、顧みられたのです。
もう一つが、創世記22章14節:アブラハムはその場所をヤーウエ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。」そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(ヤーウエ・イエラエ)」と言っている。
アブラハムが信仰の試練を受けた後で、神は犠牲となるべき動物を備えておられたのです。
ヤーウエ・イルエと新共同訳にあります。備えられるというヘブル語イルエは、ラアー(見るというヘブル語)から派生しています。
それは、見る、見守るという意味です。いかがでしょう。親が幼い子どもの歩みを、側で、後ろで見守っているのと同じです。見ている親は、子どもの歩みで、必要なものがあれば、事前に準備しておくのです。
神のみ顔の光を信じ。この優しい神の眼差しの中を歩みたいと思います。