2022年12月11日の説教要約 「神に不可能はない」  

2022年12月11日の説教要約

                      「神に不可能はない」     照内幸代牧師

≪神にできないことは何一つない。≫

                                                      (ルカによる福音書1章37節)

 

主イエス様の母として選ばれたのがマリアという女性でした。この女性はまだ結婚する前だったので、当時の慣習から考えてみると、おそらく15,6歳であったと考えられます。ナザレという、ガリラヤの山あいの中にある、150人前後の人口しかない超ド田舎がマリアの住んでいた町で、大工さんのいいなづけであることからも、そんなに裕福ではない家庭であることが分かります。身分も財産も地位も能力も、普通よりちょっと下くらいであるこの女性が、主イエス様の母に選ばれたのでした。なぜ彼女は神様に選ばれたのか。今日のテキストを読みつつ、マリアの信仰に思いを巡らせてみたいと思います。

 

まず、マリアが他の女性たちとは違ってとってもユニークな人であったことが、ルカ1章29節を読むと分かります。天使ガブリエルがやって来て、突然「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」と声を掛けてきたのです。マリアはこんな非常事態に、戸惑いはするけれどもこの出来事の意味を「考え込んだ」と書かれています。これは救い主の母として重要な個性の一つでした。マリアは救い主の母として選ばれて、ああすばらしい、良かった、さいわいな人だと思われるでしょうか。話はそう単純でもなかったのです。マリアと夫ヨセフは周りから結婚前に関係を持ってしまったんだという目で見られ、主イエス様が公生涯に出ると、お前の息子は頭がおかしくなったんだ、悪霊に憑りつかれているんだと言われるようになり、ついにマリアは自分の愛する息子が鞭うたれ十字架に磔になるということまで経験しなくてはならなくなるのです。マリアが、何か突然事件が起きても、それをしっかりと心に留めることのできる女性であったから、神様は救い主イエス様をマリアの所にあずけられたのです。

 

主イエス様の母マリアの信仰において、もう一つ素晴らしい点にテキストから気づかされます。それは、マリアは恐らく救い主を待望し祈っていたということ、また自分がその関係者に選ばれたとき、主に心から信頼したということです。この時代も、そして今の時代もユダヤ人は、イスラエルに約束のメシア、救い主が送られてくることを祈り求めています。マリアはそんな敬虔な信仰者だったのではないかと考えられるのです。それを裏付ける出来事として、マリアはこの後親戚のエリサベトの所へ行くのですが、そののちにマリアの賛歌と呼ばれる賛美を神様にささげています。それが1章の46節から56節にかけて書かれているのですが、その終わり、54-55節にはこう書かれています。「慈しみを忘れず その僕イスラエルを助けてくださいました。私たちの先祖に語られたとおり アブラハムとその子孫に対してとこしえに」。マリアはかつての預言者達が預言を残したように、神様からイスラエルを救ってくださるメシアが送られてくることに期待し、「主よ、メシアを送ってください、このイスラエルを憐れんでください」と祈っていたのです。マリアは救い主を待望する祈りを通して、すでに心は整えられた人だったのです。