ボランティアレポート

二日目の29日、神学校を出発してまず昨夜の倉庫へ立ち寄り、物資を積み込みました。CRASHのチームと合わせて4台の車で、南三陸町へ向かいました。
昨日の塩釜の状況にも驚きましたが、比較的限られた範囲であり、津波の後片付けをする人たちがいるなど、復興へ向けた動きが始まっていましたが、南三陸の場合、町全体が崩壊しているという印象で、しばらく茫然としてしまいました。被災者の方々の物質的な喪失感ばかりでない苦悩を思わされました。
まず避難所となっている志津川小学校へ行き、物資を手渡しました。CRASHのスタッフが、既に避難所のリーダーと知り合いになっており、英会話などを通じて子どもたちと触れ合う機会をもてることを提案してあり、翌日からそれが実現することになったということでした。
次に、志津川中学校へ行きました。テレビでも中継される、南三陸の全景が見渡せる高台にあり、そこでも物資を手渡しました。この中学校には、既に多くの物資が全国各地から届けられており、それらを仕分けて各避難所に配布するのが大変そうでした。最後に、志津川高校へ行き、物資を手渡しました。ここでは、避難所のリーダーの方が、避難所の方々に私たちを紹介してくださり、避難所の方と直接交流する機会が与えられました。CRASHのスタッフは、避難所の方の話し相手となり、私たちは子どもたちと遊ぶことにしました。ハンカチ落としや「かごめかごめ」などの遊びで盛り上がりました。避難所の子どもたちは、大きなストレスの中にあるわけですが、その元気さに逆に励まされる思いがしました。特に、被災者である高校生が、小さな子たちの面倒をよく見ているのが印象的でした。
上中牧師は別便で、家屋の倒壊を免れた高台の小さな集落で、自主的に避難している方のところへ物資を届けました。体育館のように、支援物資が届いていないところでもあり、物資の届け方について考えさせられたりもしました。
高校で再び合流しましたが、避難所の方たちとよい関係を与えられたおかげか(?)、炊き出しの夕食に与ることになり、ひたすら申し訳ない思いでしたが、感謝していただきました。
帰路、仙台教会を訪ね、佐藤先生ご夫妻と短く交わりのときをもちました。