2019年5月26日の説教要約
「手本を示したイエス」 村岡貞海牧師
「はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
<ヨハネ13:12-20>
今日の御言葉はイエスが十字架に架る前の日のことです。
1、あなたがたにしたことがわかるか。12節
この問いに、ヨハネ13:1を見るようになりました。13:01「さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」
世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。この御言葉が心に響き渡りました。最近は三浦綾子さんの本を好んで読んでいますが、「愛のさまざま」に書かれていた内容から事例を話しました。私たちは愛されたいとか愛したいと言います。それなのに自分の行動は、それに反して行う時が多いのではないでしょうか。
ここで「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」と、この愛は何を意味するのだろうと黙想しました。
先ず、どんな弟子を愛したのか。イエスの弟子たちは今の状況を見ると愛されるべきことはしていないような気がします。ルカ22:24誰がいちばん偉いだろうか議論する弟子たちです。ヨハネ13:21からは裏切ろうとしているユダのことが、13:36からは三度もイエスを否む弟子ペテロのことが書いてあります。
イエスは愛です。弟子たちに特別な資格はありませんでした。16日の祈祷会にアメリカから来日したダイナミック・ウーマンの祈りの方々が教会を訪ねました。おもてなしと祈りによって、互いに神様の恵みを証しして、神様に感謝しました。
イエスは愛です。イエスの愛は弟子たちの過去、現在、未来、永遠を思う、この上なく愛し抜かれた愛でした。
2.あなたがたも互いに足を洗い合いなさい。14節
私たちは山や海の写真を見ても綺麗だなと思いますが、実際行って見ると風があり、香りがあり、太陽の光のまぶしさ、絶え間ない波のしぶき、風に揺れる森の動きを感じることは心に残ります。イエスは、ご自分のことより、弟子たちが不安になるのではないか、悲しむのではないか、案じておられます。そして、このようなことを行ってくださいました。
13:04食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
13:05それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。丁寧にその時の姿を説明しています。心に刻まれるイエスの姿であったと思います。
イエスは言葉だけではなく、弟子たちの疲れている足を、砂漠のホコリで汚れた足に触って、綺麗な水で丁寧に洗い、手ぬぐいで拭いてくださいました。
イエス様と3年間一緒に笑ったり、悲しんたり、驚いたり、祈り合った弟子たち。伝道のために歩き続き疲れただろう、人々の世話をして、話を聞いてあげたりした弟子たちです。
イエスは、世にいる弟子たちをこの上なく愛し抜かれました。明日は捕らえられ、縛られ、打たれ、十字架に架るから、一緒にいることができない、弟子の足を丁寧に洗い流してくださっています。たとえ裏切られても愛し抜かれます。
リビングライフの黙想エッセイ「焦がれる愛をもって」に、一体神様は何が惜しくて、人間に向かって、こんなにも愛しているのか。何故こんなに問題ある者を愛して、支えてくださるのか。私たちが弱いほど、神様はますます愛の力を発揮されるのです。と書かれています。イエスが弟子の足を洗うことは、イエス様の贖いの血によって、私たちの罪を洗い流すことを示しています。
3、わたしの遣わす者を受け入れる人 20節
イエスは弟子を愛しました。いつも一緒にいて、最後まで弟子たちの全てを受け入れてくださいました。自ら膝を付いて、汚い足も洗ってくれました。
約束の御言葉、ヨハネ14-16章では教訓を与えてくれています。これから聖霊を与えると約束してくださいました。14:01「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」14:18「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」16:13「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。」
親は子供を学校に送る時、車に気を付けてと何回も話して送っては、後ろから見えなくなる時まで見守ってあげる。イエスは弟子たち、私たちに何回も御言葉で約束してくださいます。一人でないよ。一緒にいるよ。私につながっていなさい、聖霊の豊かな実を結ぶと。
世にいる弟子たちは、イエスが愛し抜かれた弟子です。悔い改める時、イエスが弟子たちの足を洗うように、わたしたちの罪で汚れた心を洗い流してくださいます。そして、この世に私たちを遣わしてくださるのです。だから、13:20「はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」と御言葉を下さっています。
後にイエスの愛によって、悔い改め、救われた弟子たちは、福音を宣べ伝えて行きます。
コロサイ人への手紙にパウロの伝道によって救われたエパフラスと言う人がコロサイに教会を建てたことや最後の章には教会の為に労した同僚の名前が記されています。
イエスの愛によって救われた人々です。その中には罪を犯し逃げた僕がパウロに救われ、悔い改め、変えられたとピレモン書に紹介されるオネシモなどもいます。
イエスの愛によって、私たちは罪赦され、救われ、愛され、聖化へと成長されて行きます。
私たちは思い煩い、心配、憂い、傷があります。日々の生活で自尊心が傷つき、痛むことも多々ありますが、主イエスキリストによる喜びに満たされることをお祈りします。