2019年9月1日の説教要約
「とりなしの祈り」 村岡貞海牧師
<ヨハネ17:20-26 >
<17:26わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。>
17章のイエスの最後のとりなしの祈りを読みながら、私たちは今もイエス様のとりなしの祈りによって、支えられていることを、もう一度確信することが出来ました。
このイエスのとりなしの祈りによって、今も教会がイエスの愛によって一つになり、悪い者から守られ保護され、真理によって聖なる者と導いてくださると約束されています。
17章の全体を見ます。
1-5節はご自分のことを祈っておられます。(イエスは十字架の苦難の前に、神様の栄光と御心がなることを祈っておられます。)
6-19節は愛する弟子たちの為に祈られます。(16:33「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」勝利を宣言されたイエスは、愛する弟子たちを悪い者から守ってくださることを、真理によって、彼らを聖なる者としてください、と祈りしています。)
20-26節は弟子たちに語る福音によって、救われた全ての人々のための祈りです。
(十字架の死に蘇ったイエスは、永遠に私たちの内に生きておられます。)
とりなしの祈りの内容をみます。
1、わたしに栄光を与えてください。
17章を見ると「父よ」と11回も繰り返されます。
最後の祈りはどれだけ真実で切なるものかと思うとイエスの父に対する思いが伺えます。
イエスは父なる神様と親しく、深く、喜び、愛して信頼の関係を持っていました。
イエスは福音書で見ると、いつも朝早くから父なる神様にお祈りをされていました。
ユダヤ人は祈りを大切に思っていました。だから断食の祈り、朝の祈り、夕の祈りと、様々な祈りを捧げていました。祈ることは大切だから祈っていますが、いつか形式的になっていました。ルカ18:11 「ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。』」と祈っています。
ファリサイ派の人は祈っても神様の愛には気が付いてないでしょう。
私たちの心からの祈りは神様との関係を深くします。イエスのとりなしの祈りを通して、神様との信頼の関係がどれほど大切かと思わされます。
旧約聖書を読むと父が子供のために祝福を祈っています。創世記49章で父であるヤコブが12名の息子たちを呼び集めて最後の祝福の祈りをするのを見て、その場面を思いながら感動したことがあります。父親の祝福の祈りは子供達を強め、生かし、力付け支える大切な祈りだと思いました。
子どもは親の愛をまだ知らずにいても、親は背後で神様に祈り続けて育てます。神様の祝福を信じて祈り続けているのです。信仰者の祈りだなと思ったことです。
17章は一人息子であるイエスが、天を仰ぎ祈ります。イエスはこれから父の心を受け入れて、それが死の苦しみであっても喜んで、「父よ、わたしに栄光を与えてください」と祈っています。
父の心はどうだったのか思うと切なる深い愛情を感じます。独り子イエスに注がれる愛と罪人をも愛し赦す愛。計り知れない神様の愛を思います。
今も兄弟姉妹の愛の奉仕、愛の労苦を通して、伝えられています。65周年の記念誌を読んでいますが、愛を持って捧げ仕えられた方々の陰の祈りは大きなものだと思わされました。
イエスの栄光のお姿によって、愛の労苦の大切さを思います。
2、弟子を守り、聖なる者に導いてください。
17:15わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。 17:16わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。 17:17真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。
弟子とはイエスを愛し、イエスの御言葉を信じ従って行く人々のことです。
神様が創造された世界は、神様の愛が溢れる世界でした。しかし、神様の愛から離れて罪を犯し、苦しむ世界になりました。
イエスを愛して、御言葉を信じ従う弟子を、イエスは父なる神様に守ってくださいますように、この世の罪に陥らないで、誘惑にだまされないで、真理によって聖なる者としてくださいと祈ってくださっています。
イエスの御言葉に従う人々は神様の守りと、聖さが与えられます。
この御言葉を読みながら、毎日朝起きて祈る主の祈りと重なりました。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を今日も与えたまえ。我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。我らを試(こころ)みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。 毎朝主の祈りを祈りつつ、イエスの愛に生きることの大切さを思い、求めています。 今日も必要以上を求めず、日々赦しと和解を祈り、罪の鎖から解き放たれ、歩めますように毎日覚えて祈ります。教会で皆さんと共に主の祈りを祈ることは幸いなことだなと思います。
3、 あなたの愛を彼らの内に与えてください。
17章の全体の主題は、一つになって一致することです。
教会は一つになる時に神様の栄光が現れます。いつも主の御心を祈り、愛によって一つになり、御言葉で一つになり、真理によって一つになりますように祈ります。
エフェソの信徒への手紙04:02一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、04:03平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。
霊による一致を保つように努めることをパウロは切に望んでいました。
教会は謙虚に、柔和で、寛容で、耐え忍ぶことです。4つの心を保つことが大切です。
謙虚の心を保つことです
分裂は高ぶるとき生じます。相手を押して放します。自ら神様から離れてしまいます。神様は近くに来られようとしますが、高ぶる人は神様から離れようとします。
謙虚な人は近づきやすいです。そしてその人は神様の傍に立ちます。
柔和な心と寛容な心を保つことです
柔和な人です。柔らかく優しい人です。棘を持って傷つけてしまうと近寄ることが出来ません。
攻撃的な言葉を使うと近寄れなくなります。優しい言葉を使うことは大切です。
人を癒す言葉が、人に勇気を与える言葉が、人々を立ち上がらせます。
私たちの与えられた唇が神様を讃美し、人々を、癒し勇気づけ立ち上がらせるならば、罪を覆ってあげることは大切だと思います。言葉の過ちを犯さないようにしたいものです。
耐え忍ぶ心を保つことです
神様は耐えられる。教会の方々が忍耐してくださる。愛を持って。あなたの愛を彼らの内に与えてください。
イエスは全ての人を愛し救う為にこの世に来られました。最後の執り成しの祈りに生きることを祈ります。
イエスが弟子たちの為に、弟子たちによってイエスを信じる人達の為に祈って下さる。
愛する者たちが、悪から保護されますように、世を変える聖さを持つように。あなたの愛を彼らの内に与えてください。