2023年3月5日の説教要約
「一つとなるための祈り」 中道由子牧師
《父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つしてください。》 (ヨハネによる福音書17章1~23節)
1、主ご自身のための祈り
この祈りの内容、祈りの調子は、他の共観福音書のゲッセマネの祈りとまったく違います。ヨハネ福音書は、勝利のイエス、勝利の十字架を記しています。
十字架とは、神様の栄光を表す場所であります。
イエス様は祈りの中で再度、十字架の時が来たことを告白されます。
主は十字架が栄光と勝利の場であることを知っておられた。
その十字架のために祈っておられるのです。
神様はイエス様にすべてのものを支配する権威をお与えになりました。
彼のもとに来るすべての者に永遠の命を与える、その権威を委ねられたのです。
永遠の命とは何ですか?
それはこのヨハネによる福音書で繰り返し語られたことでありますが、ここに至って主は初めて永遠の命について定義をされます。
17章3節「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」
永遠の命とは、この限りある生命が無限なものに延長されるということではありません。
イエス様は、永遠の命=まことの神ご自身を知ることであり=私自身を知ることである、と宣言されたのです。永遠の命とは、死後においてではなく、今ここでイエス・キリストを知ることによって、持つことができる命なのです。
神と深い交わりをもてるようになる。それは祈りを知らなかったものが「天のお父様」「神様」と祈れるようになるということです。
私たちはイエス様を知る時、神がどのように私たちを愛してくださっているかわかるようになります。
私たちの身代わりとして、私たちの罪を償ういけにえとしてイエス様が十字架にかかることにより、私たちは神様がそれほど私たちのことを愛してくださっているか、という神の愛を初めて知ったのです。
だからどうしても主イエスは十字架にかかるその使命を果たさなければならなかった。
それによって、神様は勝利を取られる。その勝利の叫びが「全てが終わった」、「成し遂げたぞ!」という満足感です。
皆さんの祈り、皆さんが負っておられる苦しみ、それらの見方を、ヨハネ福音書に従って変えてみませんか。この苦しみの祈りは、勝利に変わるのだ。
ハレルヤ!試練の時は脱出の道が開かれている。
苦しみにあったことは、私にとってよかった。それによって私はあなたのおきてを学びました。試練は、宝を積む時です。信仰の財産を築く時です。
神様、あなたの目的となさっていることを成し遂げてください。
そのように祈る時、私たちはいつも勝利を手にすることが出来るのです。
2、弟子たちのための祈り
弟子たちはイエス様の招きの言葉に応答して弟子となり、イエス様の教えを聞き、それを信じ、守ってきました。
そしてイエス様の言葉と業とは父なる神から出ていることも知っているのです。
その彼らを残して去っていかねばならない。
彼らが地上でその使命を十分に果たすことができるように熱心に祈られました。
まず、イエス様は弟子たちを守ってくださるように、と祈られました。
イエス様がもうそばにいて守ってやることが出来ない。だから守ってください。
そして特に、悪しき者から守ってください、と祈られました。
この世の中は、海のようであり、湖のようである。
その世の中の影響力が船の中に入り込んできたら、船は沈んでしまいます。
だから世の中の影響力から守ってください。でも世の中に出て、進んでいって、イエス様のことを証しするのですから、いつも聖く守ってください、と祈ります。
今も、私たちのためにこの祈りが天においてなされているのであります。
次にイエス様は、弟子たちが一つの群れとして一致を守ることができるように、と祈られました。それは、彼らが人間的に意気投合して一つの群れとしてまとまるように、ということではありませんでした。
イエス様が言われる一致は、彼らが父なる神の愛を確信し、御心に従って歩むことによって与えられるものでした。この世に立ち向かうためにキリスト者には御名による一致が必要でした。
イエス様はこの一致のために心を注いで祈られました。
けれども主イエスがおっしゃった完全に一つになるとは、すべてのクリスチャンが形式的、組織的に合同した一つの団体となることではないと思うのです。
神とキリストとが完全に一つであるように、私たちも各自が心よりキリストの御心に従う時、完全に一つとされるのです。
3、信じるすべての人のための祈り
弟子たちの宣教の業を通して、やがてイエス様を信じる新しい群れが次々と起こされていきました。そのような者たちのためにもイエス様は祈りをささげられます。
イエス様は、群れの中に新しい人々が加わることを求めておられるのです。
教会で受け入れられ、歓迎され、皆が一つになることを求めておられます。