2023年2月26日の説教要約 「真理の内に歩む」

2023年2月26日の説教要約

                 「真理の内に歩む」  照内幸代牧師

≪自分の子供たちが心理に歩んでいるのを聞くほど、うれしいことはありません。≫

                                             (ヨハネの手紙三 4節)

 

第二の手紙でも、ヨハネが手紙において書いた第一のことが、自分の信仰の子どもたちが「真理のうちに歩んでいる人がいるのを見て喜んでいる」という内容でした。それと同じことが、第三の手紙においても書かれています(3節)。やはりこのヨハネの手紙は、喜びの声で始まっているのです。ガイオが真理の内に歩んでいて嬉しいと書いたヨハネですが、真理の内を歩んでいるとはどういうことなのでしょうか。ヨハネは二つのことを書いています。

一つは、「他所から来た人たちのための働きを忠実にしている」ということです(5-6節)。聖書は旧約聖書から、ずっとよそ者・寄留者に対して親切にもてなすようにと教えています。よそ者、寄留者を大切にするとは一体どういうことでしょうか。ここでいう、よそ者、寄留者とは、旅行者とは違います。ヨハネの手紙を届けたり福音を語るために訪問して来た人たちで、ガイオは無償どころか自腹でこの人たちをもてなす必要がありました。それは客観的に見たらガイオが損になることと思われますが、ガイオは主の働き人として遥々やって来た彼らを愛して親切にしたのです。これがクリスチャンの愛と、世間が言う愛の違いです。コリントの信徒への手紙には、「愛は…自分の利益を求めず」と書いてあります。自分の利益を追求するのではなく、人に惜しみなく与えることができることが愛なのです。

二つ目に、真理の内を歩むとは、「悪に倣わず、善に倣う」ことであると書いてあります(11節)。ヨハネはディオトレフェスという人について書いています。この人は教会のクリスチャンで、しかも教会で影響力を持つようなリーダー的な人であったことが読んで分かります。ところがこの人は今、ヨハネたちを意地悪な言葉でののしり、ヨハネたちによって派遣されてきた伝道師たちを受け入れないばかりか、邪魔をして教会から追い出しているとまで言われています。さらにディオトレフェスは、「かしらになりたがっている」と書かれています。主イエス様は、「あなたがたの中で頭になりたいと思う者は、一番のしもべとならなければならない」とおっしゃられました。もしディオトレフェスがかしらになりたいのなら、彼は一番のしもべになっていなければならないのです。彼は世が教えるかしらになろうとしているのです。それはディオトレフェスが、世の中の方に視点を合わせているからです。どんなに素晴らしいクリスチャンから教えを受けて、教会の中で信頼されるリーダーとなった人でも、神様から目が離れるとそちらに流されてしまうのです。だからこそ私たちは、週の初めに神様を礼拝し、日ごとに御言葉を読み、祈ることの大切さを教えられます。もしこうやって、心の中にキリストを入れるということを失ってしまうなら、私たちの心はすぐこの世のことでいっぱいになってしまうのです。だからヨハネは言います。「悪を見習わないで、善を見習いなさい」。私たちの善とは、何でしょうか。イエス・キリスト様です。私たちはイエス・キリスト様の教え、イエス・キリスト様の行い、イエス・キリスト様の愛に見習わせていただくべきです。