2023年1月22日の説教要約 「愛のうちを歩む」

2023年1月22日の説教要約

      「愛のうちを歩む」    照内幸代牧師

 

「愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。」

               (ヨハネの手紙二 6節)

 

1、子どもたちが真理を歩んでいる

まずヨハネが書いたこと、それは4節にあるように、喜びのメッセージでした。ヨハネは子どもたちが御父の戒めの通り、真理の内を歩んでいるのを見て、喜んでいると書いています。

ヨハネはこの手紙を書いたとき、おそらく80代と考えられます。もう主イエス様が地上にいらっしゃった頃のことを知っているのは、地上において彼一人となってしまっています。主イエス様が昇天される際最後に言い残した言葉は、「あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。」でした。主イエス様の言葉を正しく後の人々に伝えること、それが主イエス様の直接の弟子であったヨハネの使命でした。ですから、ヨハネは自分が直接には教えなかった新しい世代のクリスチャンたちが、ちゃんと主イエス様の救いの恵みと愛の教えに従って歩んでいる姿を見て、大きな喜びに溢れたのです。

2、愛の内に歩む

二点目にヨハネが書いたことこそ、この手紙をヨハネが書こうと思った理由でした。5節「さて、婦人よ、あなたにお願いしたいことがあります。」と書いています。その一つ目は、教会の教えというのは、「初めから聞いていたこと」、主イエス様によって明らかにされ、教会の中で変わらず伝えられ続けて来た教えであるということです。つまり、「主イエス様は肉体をとってこの地上に来て下さった」ということです。主イエス様が肉体を持って、弱さを持って生まれてくださいました。それは私たちと同じ弱さを経験し、その中にあっても罪を犯さないきよいお方として歩むためでした。それこそ主イエス様が私たちに教えてくださった愛です。

二つ目は、「愛とは御父の戒めに従って歩むこと」であるということです。これはギリシャ語ではアガペー、「神の愛」です。自分が好きだとか気に入ったというから愛するのではなく、「御父の戒めに従って歩むこと」が「愛」なのです。それは主イエス様の十字架のお姿からも分かります。主イエス様は好き好んで十字架に架かられたのでしょうか。そうではありませんでした。主イエス様は十字架に架かられる前の晩、ゲッセマネの園で血の汗を流しながら、「できることならこの杯を取り除けてください」と三度も神様に祈るのです。父なる神様と断絶されること、十字架に架かることによる苦しみは、できることならそこから救い出して欲しいと必死に祈るほどに、主イエス様にとってつらいものだったのです。私たちのことが単純に好きだから、気に入っているからという理由で、十字架の道を歩んだのではありません。これがまさに愛です。自分にとって大きな苦しみがあっても、御父の戒めを歩み、私たちに命をくださった。これが主イエス様の教えてくださった愛です。この地上に、弱さを持って生まれて来るほどに、そして十字架の道を歩むほどに私たちを愛されたということ、これが真理です。キリストがそのようにして私たちを愛して下さったということに確信を持って歩むことこそ、ヨハネが婦人と子どもたちにお願いしたいことだったのです。