先週の説教要約 「嘆きを代えて賛美に」

○先週の説教要約
『嘆きを代えて賛美に』                  上中光枝牧師
《シオンのゆえに嘆いている人々に灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために》。(イザヤ61:1−3、ルカ4:18−21)
宮島兄より、賛美の証しを伺いました。若き日に神を信じ、クリスチャン女性と結婚、初めての子どもが与えられた幸せの中、1歳を過ぎた長女が突然病気になり天に召されたとのこと。このお子さんの葬儀の賛美中に、愛する子と再び天で会える確信を得、希望を与えられたそうです。30年前、同じ教会に副牧師として遣わされていた私は、ピアノで奏楽をしながら、痛みを胸に天を見上げておられる宮島兄を会衆席から拝見していました。NICUで働いていた頃、亡くなった赤ちゃんをご家族にお返しするときの悲痛な思いが蘇って、いたたまれない思いでしたが、共に天よりの慰めをいただきました。
私たちの人生には、避けられない別れや先の見えないどん底を経験することがあります。しかし、嘆きを賛美に代える神の確かな導きがあって、その道を通るのでなければ分からなかった神の恵みを知らされます。
今日の聖句は、捕囚の民の解放が、預言として語られています。神への背きの結果、敵に捕らえられて尊厳を奪われた惨めな状態の民に、解放と回復の時が訪れるというのです。嘆くしかない暗い心の人々が、嘆きに代えて賛美を与えられ、神の輝きを現わす存在とされるとの約束です。
ルカによる福音書では、イエスさまご自身が神殿でこの聖句を読まれて、《この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した》と語られました。主イエスこそ、嘆くしかない人々を罪から解放するため遣わされた方です。解放は、視力が回復して見えないものが見えるようになることだと書かれています。主イエスが嘆きの只中に訪れてくださり、私たちの罪のために十字架にかかって、罪を赦し、神との関係を変えてくださいました。信じる人々は、キリストによって傷みが包まれていることに目が開かれ、嘆きが終わり、賛美するものに変えられていることを見る(わかる)ことができるのです。