先週の説教要約 「神の御心を選び取る」

○先週の説教要約
『神の御心を選び取る』                  上中栄牧師
聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました》。
使徒15:1−29)
選挙が話題になっています。投票率の低さは定着した感がありますが、先人が勝ち取った「参政権」に、価値が見出せなくなっているのでしょう。信仰者にとっての「信教の自由」も、欧米で勝ち取られてきたことは忘れられつつあります。人間に与えられている権利や自由は、勝ち取らなければ自分のものになりません。私たちの信仰もこれに似て、「救い」は100%神のみ業ですが、恵みは信仰によって勝ち取るのです。教会はそのために、「会議」を開き、聖書を信仰と生活の規範と定め、三位一体などの教理を確定してきました。
さてこの聖句は、「エルサレム会議」と呼ばれる教会史上初の会議の様子です。問題になったのは、ユダヤ教の習慣を守るべきかどうかでした。つまり、新しい価値観と古い価値観がぶつかったのですが、それは全く違うものを目指したのではなく、同じ主イエスに対する信仰を持ちつつ、表明の仕方がズレたのです。しかし、そのズレを放置すると、信仰の本質にかかわるということで、《激しい意見の対立と論争が生じ》ました。これは「暴動」とも訳される激しい言葉ですが、それだけ真理をめぐって真剣になった、それだけ神の恵みに価値を見出していたということで、単なる言い争いではありません。
そして、できないことをさせない、《重荷を負わせない》ことを決めました。主イエスによる罪の赦しと救いは、一方的な神の恵みであり、人間の努力によらないことを確認したのです。教会の不和の原因は、大概この点にあります。
また、《聖霊とわたしたち》が《決めた》と表明しました。これは驚くべきことで、一歩誤れば自己絶対化につながる言葉で、その誘惑は常に私たちに付きまといます。真の権利や自由が見出しにくい時代です。謙虚に神の恵みに価値を見出し、それを土台としてお互いのことを尊重して歩みましょう。