先週の説教要約 「ひるがえって生きる」

○先週の説教要約
『ひるがえって生きる』                  上中光枝牧師
《ひるがえって、わたしを力づけ すぐれて大いなるものとしてくださるでしょう》。
詩編71:4−24、ローマ5:10)
私たちは、力の衰えや、活動の場が少なくなっていくのを感じながら、自分の存在価値をしっかりと認め続けられるでしょうか? 自然な心の動きでは、神や人とのつながりを失っていくことを恐れたり、落ち込んだりするでしょう。この詩編の作者は《老いの日にも見放さず、わたしに力が尽きても捨て去らないでください》と訴えています。
繰り返し、《捨て去らないでください》と訴えながら、神を待ち望み、自分の生涯に現わされた恵みの御業に目を向けるとき、語り尽くすことができない救いの素晴らしさに賛美があふれて、《わたしは力を奮い起こして進みいで、ひたすら恵みの御業を唱えましょう》、《御腕の業を、力強い御業を、来るべき世代に語り伝えさせてください》と語っています。どん底で救いの神と出会い、生きる場を与えられた体験から《あなたは多くの災いと苦しみを、わたしに思い知らせられましたが、再び命を得させてくださるでしょう。地の深い淵から、再び引き上げてくださるでしょう》、《ひるがえって、わたしを力づけ、すぐれて大いなるものとしてくださるでしょう》と期待するのです。
《ひるがえって》とは、「顧みて」という意味で、方向の転換、逆転を表します。私たちが神に敵対していた時に、主イエスは十字架につかれました。《敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させて》くださったのです。自分の向きを変えられない私たちのために、主イエスは神に敵対する罪を赦し、神に向き返ることができるようにしてくださいました。私たちを見捨てない愛があるからこそ、私たちは自分が衰え、落ち込み、しぼんで感じられる時にも、自分の思いにしがみつかずに、方向を変えることができます。私たちを力づけ、引き上げ、豊かにしてくださる方によって、大らかに生きるのです。