先週の説教要約 「三位一体」

○先週の説教要約
『三位一体』                        上中栄牧師
《わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです》。(Ⅰヨハネ1:1−4)
「三位一体」は、代表的なキリスト教の専門用語です。聖書にはない言葉ですが、真の神は三にして唯一という、聖書が伝えている信仰内容です。世界中のあらゆる正統的な教派が言い表しており、私たちの信仰の土台でもあります。
そもそもなぜ、分かりにくいことを信仰の土台とするのかと問われます。しかし逆に言えば、真の神は人間の理性で理解できるような御方ではないということです。人間は誰でもさまざまな思いや願いを抱いており、それが宗教を生み出したと言えます。同じ思いはキリスト者にもありますが、まずはそのイメージを脇に置き、神自らがご自身を現してくださったことに耳を傾けましょう。
神は唯一であるとは、旧新約聖書を貫く信仰です。今日、唯一神信仰は非寛容と思われがちですが、それは唯一神によって自らを絶対化する人間の弱さです。唯一神の絶対性は、換言すれば「かけがえのない存在」という意味です。
そして「三位」とは三つの位格です。位格(ペルソナ)は、人間であれば人格に相当する言葉で、神のご性質を表します。神が三つの位格としてご自身を現されたのは、実は人間の救いのためです。聖なる神は、罪に汚れた人間と関わらなくてもよいのですが、人間を救おうとされました。しかし、聖なる神は汚れた人間と交わることはできません。そこで、三位一体の神の完全な交わりを壊すようにして、御子をお遣わしくださいました。ここの神の愛があります。
そして、御子が人間の罪の身代わりとなって裁かれることで、神の義は実現し、人間の救いが実現したのです。父なる神が人間の救いを計画され、御子イエスによって救いが実現し、聖霊が救いを私たちに成就させてくださるのです。
救いとは、三位一体の神の交わりに招き入れられることであり、教会の交わりの土台もここにあります。神の救いと恵みは、とても人間が思いつくようなものではありません。神を神として信じ、神の御招きに与りましょう。