先週の説教要約 「人となられた神」

○先週の説教要約
『人となられた神』                    上中栄牧師
《言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた》。(ヨハネ 1:14-18)
クリスマスは光の祭と呼ばれます。マタイ福音書のクリスマス物語では、主イエスは《インマヌエルと呼ばれる》とあります。これは《神は我々と共におられる》の意味です。日本人の神観念や死生観からは、「守り神」と理解され易いのですが、実際には主イエスは《インマヌエル》と呼ばれていないことから、主イエスおいて「神と人が共にいることが実現した」と理解されています。
このことは、主イエスは「真の神、真の人」と言い表されます。三位一体と並ぶキリスト教の重要教理です。キリストは神であって人間ではない、いや人間が悟りを開いて神になった等々、諸説が入り乱れる中で、古代の教会はこの教理を定めました。現在の世界中のキリスト教会も、この信仰に立っています。
ヨハネ福音書は、このことを《言は肉となって、わたしたちの間に宿られた》と伝えています。人となられた神、主イエスは《恵みと真理とに満ち》た方です。神が人となられたのは、人間の救いのためでした。よく用いられる話に、蟻の行列の先にアリクイがいて片っ端から蟻を食べている。蟻に危険を知らせるには蟻になるしかない、しかしただの蟻であれば危険が察知できない、蟻を救うには危険だと分かる人間でありながら蟻になるしかない、というたとえがあります。そこまでする人間がいるでしょうか。しかし、神が人となられたとは、これくらい驚くべきことなのです。
ここにこそ神の愛が明らかにされたのですが、人々は主イエスを拒み、最後は十字架につけてしまいました。しかし、主イエスを受け入れ、その名を信じた人には、《神の子となる資格を与えた》と記されています。救いとは、人間の願いが適うことではなく、《与え》られるものです。ですから、闇の中を歩んでいても、人間は光を見出すことができるのです。