先週の説教要約 「ここに愛があります」

○先週の説教要約
『ここに愛があります』                  上中光枝牧師
《わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります》。(Ⅰヨハネ4:7−12)
アドヴェントは、クリスマスの意味を考えながら過ごす時です。《神が御子をお遣わしになりました》、《ここに愛があります》とありますから、クリスマスは、神の愛の出来事です。神の愛を知り、受け取り、分かち合う時です。
愛には、奪う愛、かけひきや条件付きの愛、与える愛などがあります。神の愛は無条件で一方的に与える愛で、ギリシャ語で「アガペー」といいます。《互いに愛し合いなさい》と言われても、私たちは、愛が足りないとか、思うように愛せないと考えます。また、教会には愛があるはずなのに自分の思いが受け止められない、傷つけられたと感じることもあるかもしれません。しかし、私たちはもともとアガペーを持っていません。お互いに愛を持っていないのです。
《愛は神から出るもの》です。「愛は名詞ではなく動詞だ」と言われることがあります。神を認めず、自分中心で自分勝手に歩む人を罪から救うために、神は《わたしたちの罪を償ういけにえとして御子をお遣わしになりました》。主イエスは、私たちの罪の身代わりとなり、十字架の上にご自分をささげられました。神の愛は、愛する者が失われているならば痛みを覚え、取り戻すまでは痛みが終わることがない、行動なさる愛です。わたしたちが神を忘れ、どんなに神に背いていても、神が私たちを忘れ、見捨てることはありません。
神が遣わしてくださった主イエスを心にお迎えするなら、私たちには神の愛が与えられ、神の愛によって生きる者とされます。神の愛に生かされる者は、痛みのあるところ、慰めを必要とするところでは、平気でいられなくなるでしょう。アガペーの愛は、思いに留まらず、愛する者のために自分の身を投じる愛の行為へとつながるからです。愛を持たないお互いが、神の愛を与えられ、この愛を与え合うとき、神の愛は全うされます。愛に生きるクリスマスを!