先週の説教要約 「恵みを受け継ぐ」

○先週の説教要約
『恵みを受け継ぐ』                     上中栄牧師
《今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです》。(使徒20:28−32)
鵠沼教会での最後の奉仕に際し、み言葉に《ゆだね》るという、パウロの別れの言葉を贈ります。この日に石井さんが受洗できたことは、大きな喜びです。故石井姉の長年の祈りでしたが、何が石井さんを動かしたのでしょうか。
言葉には力があります。大人を物理的に移動させるのは大変でも、「動いてください」という言葉に従えば、その人は動きます。しかし言葉には限界もあります。元住吉教会で、教会へ「行きたい」という病気や障がいの人を、車いすなどで教会に連れて行ったことがあります。それは、それほど難しいことではありませんが、「行きたくない」人を連れて行くのは困難です。つまり、言葉を聞いた人が、自ら考え動かなければ、言葉は力にならないのです。
教会に来ないからといって、病気や不幸にはなりません。教会より仕事や趣味を優先しても、責められません。礼拝を休んでも、人は普通に生活できるのです。その意味では、教会は弱い存在です。みんなが「行きたくない」と思えばひとたまりもありません。しかし、み言葉を聞いた人が、誰にも強いられずに自ら集う、これはものすごい力です。確かにお金も食べ物も大切ですが、最後に人を活かすのは「言葉」です。弱く見える言葉に力を見出せるかどうか。
ヨハネ福音書イエス・キリストを《言》と紹介しました。《言》は十字架の死を遂げられました。しかし弱く見える十字架でこそ、神の救いが実現したのでした。主イエスを信じ、罪が赦された人は、み言葉によって生きるのです。
最後に、《受け継がせることができる》の《できる》は、ダイナマイトの語源の親戚の言葉です。言葉には力があるのです。恵みの言葉は人を活かし、救いへと導きます。そしてその恵みは、牧師や世代が代わっても、受け継がれていくのです。鵠沼教会に連なるみなさんの上に、感謝と共に祝福を祈ります。