先週の説教要約 「鶏が二度鳴く前に」

○先週の説教要約
『鶏が二度鳴く前に』                   中道由子牧師《主は振りむいてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏がなく前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した》。(ルカ22:54−62)

主の受難を覚え、ペテロが三度イエス様を否んだ個所からお話しします。
1、 イエスの執り成し
 イエス様はペテロに対して「あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」と語られました。ペテロにとっては自分の信仰がなくなることは考えられませんでした。死にまで従う覚悟が出来ていたからです。ペテロが頼っていたのはイエス様ではなく、実は自分の信仰に依存していたのです。そして、自分は大丈夫と思っていました。
2、 保身に走ったペテロ
 イエス様が捕らえられた時、ペテロは、「イエスと一緒にいた」と聞かれ、「知らない」と答えてしまいます。主が共にいて下さることを否定したのです。そして「仲間だ」と言われ、「知らない」と答えてしまいます。弟子であり、神の家族であることを否定したのです。「確かにいた」との言葉に、ペテロは「もし、あの人の仲間であるくらいなら、自分は呪われてもいい」と激しく主を否みました。私たちにも咄嗟の時に自分を守る言葉が出てくることがあります。自分の頑張りでは主に従っていけない弱さを持っている私たちです。
3、 イエスのまなざし(「振り向いてペトロを見つめられた」61節)
 作家であるモーリヤックは、「イエスはこの視線の中に愛情と赦しの無限の宝をこめた」と表現しました。イエス様を「知らない」と激しく否定したペテロが、このまなざしに触れて激しく泣きました。ペテロは、自分の弱さや破れを取り繕わないで、弁明することなく、弱さを認め、それを抱きかかえてイエス様についていきました。このような態度がとれるかどうかが人生の「分かれ目」です。そして、その主の眼差しは今日も私たちに注がれています。