先週の説教要約 「赦しの原点」

○先週の説教要約
「赦しの原点」                    中道由子牧師
<しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさ
い。>(マタイ5:38ー48)
英語で「赦す」は、forgiveです。このforは否定の意味がありま
す。つまりdon’t giveだと言うのです。それは、「人にされた事をそ
の人にしない」という意味だそうです。
1、目には目で、歯には歯で
「目には目を、歯には歯を」は、旧約聖書で3回使われていますが、復讐を
是認するものではありません。人間は誰でも害を加えられると復讐をしたいと
いう衝動を感じますから、これらの律法は復讐の悲劇が広がらないように、被
害を最小限に留める方法なのです。神様は「報いはわたしがする」と語られます。
2、敵を愛する
頬を打たれるとは、尊厳と人権が踏みにじられる事です。特に右の頬を打た
れるとは、右利きの人が右手で打つという事で、二重の侮辱を意味します。
その上、「左の頬を差す」とは、復讐や報復のために悪を用いてはならない、
ということです。人が私たちを侮辱し、ののしる時、むしろその人のために祈
り、時がたって解決されるのを待つことがことができるでしょうか?それこそ
が左の頬まで差し出す、クリスチャンのあり方です。スポルジョンの言葉「世
の人が鉄の金づちで打とうともクリスチャンは鉄の受け皿でなければならない」。
3、悪を吸収する力
「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」(ローマ12;21)と
パウロは言いました。それは決して簡単ではありません。ただ、傷ついた側が
悪を吸収し、悪がそれ以上広がらないように悪の力をせき止める時にのみ、悪
は善に打ち負かされるのです。この「悪を吸収する力」を十字架のイエス・キ
リストの姿に見るのです。