2019年1月13日の説教要約 「幸いな人」

2019年1月13日の説教要約
「幸いな人」  村岡貞海牧師

<中心聖句 詩編1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。>


教会に於いて皆さんと讃美し、御言葉を喜び、交わる事は幸いなことと思います。
 詩篇は聖書の真ん中に位置しています。150篇もある長い詩です。第5巻と区分されています。今日見る箇所は詩篇の始めであり、詩篇が伝えようとしている内容の要約でもあります。
詩篇は私たちに祈りを教えてくれます。クリスチャンの特権でもあることを教えてくれます。詩篇の内容は讃美、嘆き、願い、悔い改め、メシヤ、王、社会の公義、イスラエルの歴史、自然を作られた神様などを讃美で表現しています。
詩篇は音楽性があり、口から口へと伝えられていました。文字的な理解に留まるのでなく、旋律と音楽性を味わいます。讃美の標準として、美しいメロディーと共に伝えられています。
1、幸いな人の特性
2、神様の豊かな恵み
3、御言葉を口ずさみ、くりかえし唱える


1、幸いな人の特性5つ

いかにさいわいなことか。 
1節は、罪に参加しないこと、消極的な側面を語っています。
神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず
動詞の流れを見ると歩まず、とどまらず、すわらずと進行しています。いつの間にか罪に歩み、罪にとどまり、罪にすわっていることはないでしょうか。

2節は、御言葉に向かうこと、積極的な側面を語っています。
主の教えを愛しその教えを昼も夜も口ずさむ人。
聖書に出てくる一人の人物の詩を紹介します。
 ダビデの祈りと言われる詩篇101篇です。国のリーダーとして立たされて行く時に、多くの誘惑と、試練の連続であったと思います。ダビデ王自身が罪を犯した時も、心を痛めつつ悔い改め、立ち返るまで進み向かう時の讃美であり、何度も口ずさむ言葉であったと思います。101:01【ダビデの詩。賛歌。】慈しみと裁きをわたしは歌い主よ、あなたに向かって、ほめ歌います。 101:02 完全な道について解き明かします。いつ、あなたはわたしを訪れてくださるのでしょうか。わたしは家にあって無垢な心をもって行き来します。 101:03 卑しいことを目の前に置かず 背く者の行いを憎みまつわりつくことを許さず 101:04 曲がった心を退け悪を知ることはありません。 101:05 隠れて友をそしる者を滅ぼし傲慢な目、驕る心を持つ者を許しません。 101:06 わたしはこの地の信頼のおける人々に目を留めわたしと共に座に着かせ完全な道を歩く人を、わたしに仕えさせます。 101:07 わたしの家においては人を欺く者を座に着かせず偽って語る者をわたしの目の前に立たせません。 101:08 朝ごとに、わたしはこの地の逆らう者を滅ぼし悪を行う者をことごとく、主の都から断ちます。

2、神様の豊かな恵み
結果として3節の言葉が約束されます。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
ここで流れのほとりとは、人工の水路であります。植えられたというのは、移植されていることです。私たちはイエス様という水路に移し換えられる者であります。
この二つのことについてヨセフの人生を思います。奴隷として売られたり、牢屋に入れられたりしましたが、ヨセフの人生に主が共におられたのでと聖書に書いてあります。
ヨセフ創世記39:2〜3 主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。その主人は主が彼とともにおらえることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。
主が共におられたので、ヨセフの人生はすべて栄えることができました。
聖書は人生の二つの道しかないと語っています。差別とは違います。悪しき者の道と正しい者の道があると語っています。(神様は私たちに聖霊の実 愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制を与えてくださいます。続いてガラテヤ6:9 善を行うことに、うみ疲れてはならない、時が来れば刈り取るようになる。)


3、御言葉を口ずさむ、繰り返し唱える。
詩篇を読むとき、絶望の底から神に叫び、祝いの高みにおいて神に歌を歌たいます。正直な感情を表現して、苦しみと悲しみのときに、慰めを求めて、繰り返し詩篇を読むことで神様との深い真実な関係を持つことになります。
150篇の詩篇は、5つの巻に分けられますが、各巻は創世記、出エジプト記レビ記民数記申命記から歌われていて、神様を信じるイスラエルの人々が口ずさむ、繰り返し唱える、暗唱している御言葉でした。
詩篇の各巻を通して、創世記の創造主なる神様を、出エジプト記イスラエル民族を自由にし、守る神様を、レビ記の教え、戒め、命令し、成長させてくださる神様を、民数記の荒野で導いてくださった神様を、申命記の新しき地に入るヨシュアに「私はあなたを見放すことも、見捨てることもない、雄々しくあれ、強くあれ、この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、ことごとく守って行うなら、あなたの道は栄えると約束された。
御言葉を通して、今年、今を生きる私たちも直接に神様との深い真実な関係を持つことができます。聖書を読み、聞き、口ずさみ、心に留めて行く時、私たちの祈りは神様の御心を思う心となることをお祈りします。