先週の説教要約 「生きている者の神」

○先週の説教要約
『生きている者の神』                 中道由子牧師
<「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。>(マタイ22:23−32)
本日はイースター(復活)の希望についてお話しします。
1、復活についての誤解
 ここに登場してくる「サドカイ人」は、復活を信じていませんでした。生活水準も高く、現在の生活で満足していたサドカイ人は、人間の最後は肉体の終わりでいいと考えていました。彼らはレビラート婚(長男が死ぬと、次男は長男の妻と結婚する)の場合、天国では誰の妻になるのか、とこの世の基準で質問をしてきます。私たちも天国で愛する家族に会いたいと願う者です。しかし、天国は私たちのこの世の価値観ではなく、神はさらに優る幸いを私たちに備え、待っていて下さいます。
2、生ける者の神
復活の体をいただくと私たちは天使のようになる、と書かれています。復活の体は、物や空間に制限されません。傷口はあるが、痛みがなく、食べることが出来る体をいただきます。その体を持って私たちは天国で主を礼拝するのであります。天国の礼拝は正しい者たちの集まりであり、民族の壁を越えて多くの国民が主を礼拝します。私たちの地上の礼拝はこの天上の礼拝に繋がっていることを覚え、それに備える礼拝を毎週献げたいと思います。
上記の御言葉はギリシャ語では「わたしは」と「である」の現在形が強調されています。アブラハムもの神、イサクの神、ヤコブの神だった、ではなく、今もそういう神であり、彼らが天国で今も生きていることを示しています。