先週の説教要約 「信じるなら神の栄光を見る」

○先週の説教要約
『信じるなら神の栄光を見る』           村岡貞海牧師
<イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。>(ヨハネ11:17−40)
1.主がおられたならば
エスはマルタ、マリヤ、ラザロの3人兄弟を愛しておられました。その兄弟たちもイエス様を愛していました。
兄弟ラザロが深い病にかかりイエス様が早く来られることを望みます。しかし、イエス様が来られた時は、死んで四日も経っていて全ての望みがなくなったと思いました。病を癒し、人々を哀れむイエス様ですが、今は何も出来ないと、待ち望んだイエス様が来られても姉妹達も町の人々も泣いているばかりです。
2.泣いておられるイエス様。
エス様は人のその現実を見られて、心に憤りを覚え、興奮してと書いています。人が神様のかたちとして創造されたが、サタンに誘惑され、殺されるような死の現実を、死の絶望に悲しむ人々を見て、イエス様は涙を流します。そして、主イエスキリストが死に勝ち、蘇る方であることを示すために、ラザロを再び生きるようにしてくださいました。
3.主を信じるなら神の栄光を見る。
私たちはイエス様を愛し求めますが、深い絶望によって信じることが出来ない時があります。イエス様は「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」「もし信じるなら、神の栄光を見られると、言っておいたではないか」と言われました。そして、 私たちにもこの御言葉のとおり約束してくださっています。
信じられずにいる人々に信仰を与え、ともに涙を流し傍におられたイエス様の約束を信じて小さな一歩を踏み出しましょう。