先週の説教要約 [神様は一緒にいてくださる」

○先週の説教要約
『神様は一緒にいてくださる』          村岡貞海牧師
「わたしは、あなたの行かれる所に行き、お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民、あなたの神は私の神です。」(ルツ記 1章16節,4章13−22節)
ルツ記1章では士師の時代に、ある人が良き生活を夢見て、妻と息子二人を連れて、移住します。しかし、夫は直ぐになくなり、妻ナオミが一人で異国の地で、息子二人を養い育て、結婚させるのですが、10年も経たない内に息子だちも亡くなりました。ナオミは心を痛め、国に帰る決心をして、嫁たちに別れることを話しますが、一人の嫁、ルツは断固として断ります。ナオミはルツと共に故郷ベツレヘムに帰る、帰郷することにしました。私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでくださいと。 言い表せない悲しみの中にいますが、1:8、2:20、3:10の言葉中に、神様へのヘセドの恵みをみることができます。用いられているヘセドの言葉の意味は、契約における確固とした愛です。尽きることのない、絶えることのない、信頼に足りる、裏切ることのない、確実な愛を意味します。恵みとも、慈しみとも言います。
2章を見るとナオミを敬うルツ、ルツを思いやるボアズがどのように心掛けてくれているか。2:7刈入れをする人たちの後ろについて麦束の間で落ち穂を拾い集めさせて下さいと願い出て、朝から今までずっと立ち通して働いておりました。ボアズは、落ち穂を落としたり、水を飲ませたり、休ませたりしてルツを助けて見守ってくれています。ボアズによって労しても報いられない日々が、寂しさが、愛に包まれ、労苦が安息へと、思い煩いが平安に、恥が栄光に、絶望が希望に変わりました。これが主イエスキリストと出会った、私たちに与えてくださっている恵みではないでしょうか。今日の聖書箇所では、想像も出来ない恵みによって、家庭が回復されるばかりか、美しく、祝福に満ちた、神様の救いの約束として与えられるイエスキリストの系図を繋ぐ人々となるのです。4:16-17。家族を教会を心に抱き上げ、育てる祝福の恵みがありますように祈ります。