2019年10月13日の説教要約  「あなたの神は私の神です」

2019年10月13日の説教要約

 「あなたの神は私の神です」   中道由子牧師

≪ルツは言った、「あなたを見捨てて、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれるところに行き、お泊まりになるところに行き、お泊りになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民、あなたの神は私の神。」≫              (ルツ記1章1~18節)

 

 

 ルツ記は、ダビデの故郷でありますベツレヘムが背景になっています。季節は、大麦の収穫が始まる頃から脱穀を終える頃までです。大麦を収穫する5月頃、収穫を携えて神の宮に上る(七週の)祭りがあります。ユダヤ教では、この(七週の)祭りの時にルツ記を読むのです。彼らがルツ記を読む時に、心に刻む神の律法があります。

新改訳→「豊かな収穫の時期に貧しい隣人を覚えなさい。」(レビ記19章10節)です。

「畑から穀物を刈り取る時は、その畑の隅まで刈りつくしてはならない。収穫後の落穂を拾い集めてはならない。貧しい者や寄留者のために残しておきなさい。」

レビ記23章22節)

 

1、故郷を離れる

 ルツ記は、年代としては特定することが難しいですが、紀元前1150年頃の出来事と考えられます。この頃、このイスラエルの地に飢饉があったのです。ベツレヘムは「パンの家」という意味だそうです。でもエルサレムでの南8キロにあるこの一家が住んでいたベツレヘムもパンだけでなくあらゆる食物がなくなったのです。ナオミを襲った不幸は、まず第一に飢饉でした。そのために、故郷を離れて異郷の地に移住しなければならなくなった。ナオミと夫エリメレクは二人の息子たちを連れて100キロほど歩いてモアブの野に行き、そこに滞在することになったのです。彼らが食べ物を求めて、異教の地に行き、そこに住み着くのは決して楽なことではなかったと思います。ベツレヘムで親しかった親せきや友人と別れ、環境の全く異なった外国の地で全く新しい人間関係を作り上げなければならないからです。住み慣れた土地を離れることは、特に異教の地に行くことはどんなに不安であったかわかりません。ただ家族が一緒というこれだけが頼りです。

しかし、移住した地で、ナオミにとって第二の不幸が襲ってきます。

3節「夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死んだ。」のです。聖書では、エリメレクが何歳の時にめされてしまったのか、記されていません。でも、やもめになったナオミは二人の息子を異郷の地で育て上げたのです。そして、この二人の息子が嫁をめとり、モアブ人の嫁ではありましたが、人並みな幸せもあったのではないでしょうか?

しかし、このナオミに第三の不幸が襲ってきます。息子たちが、次々に亡くなってしまったのです。ナオミにとって、「神様、どうして私だけこんな思いをしなければならないのですか?」という疑問が頭をよぎったかもしれません。

皆さんはいかがでしょうか?人は弱いです。試練の時信仰が揺るがされます。

ナオミがこの異郷の地、モアブに越してきたことは、もしかしたら神の御心に背いたのかもしれない、と後悔をしたり、思い悩んだとしてもおかしくありません。

20、21節「どうか、ナオミ(快い)などと、呼ばないでください。全能がわたしをひどい目に遭わせたのです。出ていくときは、満たされていたわたしを主はうつろにして帰されたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主が、わたしをみつけて悩ませ全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」

私たちは、すべてを神様のせいにすることがないでしょうか?誰のせいにもできない、悲しみを誰にもぶつけられないからです。主はそのことも赦し、受け入れてくださいます。

しかし、主はいつまでもご自分の愛する者たちを悪い状況に置いては置かれません。

ナオミは故郷ベツレヘムについて良き知らせを聞きます。6節の半ばに書かれています。

「主がその民を顧み、食べ物をお与えになったということを彼女はモアブの野で聞いたのである。」 ナオミにも望みが出てきました。

 

2、ナオミの決断

 主はご自分の民を顧みて下さり、飢饉を終わらせ、パンを与え始めておられた。十年たってようやく郷里に帰ることができる!ナオミは嫁たちと連れたって、今まで住んでいたところを出て、ユダの地へ戻り始めました。

その途中で、ナオミは考えなければならないことがある、そのことに気がつきました。

今まで必死に生きてきた。二人の嫁たちに支えられてきた。でもこの嫁たちの幸せを考えてやらなければならない、ということです。自分に残された家族の幸せです。

自分の老後の生活を考えたら、この嫁たちがいてくれたら頼もしいに決まっています。

それでも、ナオミにはそれではいけないと思えたのでしょう。

当時の再婚は、レビラート婚と言われる申命記25章5,6節によるものでした。

 ナオミの二人の息子は死んでおり、年を取った彼女には、再婚して息子たちを産む可能性はなく、二人の嫁たちの幸せのために何もしてあげられない。だから、彼女たちを自分の郷里に連れていくことはできない、と思ったのです。二人の嫁の幸せだけを願ったナオミの説得に、嫁たちは声を上げて泣き、オルパは姑に別れの口づけをして、自分の実家へ帰って行きました。

ルツ記には、このように家族を思う情愛が満ちています。ここを読みながら、私たちも自分の家族のことを思い浮かべるのではないでしょうか?年老いた親のことや、子供夫婦のことや孫の幸せを願わない者はいません。

どうしてあげたら幸せになってくれるかと祈り願います。ただこの時のナオミには人間的な思考しかなかった。モアブの地にオルパとルツを置いていって、彼女たちが良き再婚相手に出会い、人生をやり直すことを願いました。しかし、異郷の地で彼女たちが信仰を守っていけるかどうかまでは考えられなかったのです。ここでオルパがモアブの実家に帰った後、ルツは心が動きませんでした。

 

 3、ルツの決断

ルツは、ナオミに縋り付いて、ナオミの再度の勧めにも応じないで、ナオミを捨てて別れて帰ることができないと言います。16節で「あなたの神はわたしの神。」と彼女は、ナオミに対する愛とイスラエルの神、主に対する信仰を表明した。続けて彼女は、ナオミが死ぬところで自分も死に、そこに葬られたい、と言ったのです。ナオミはルツが自分と一緒に行こうと固く決心しているのを見るともうそれ以上は何も言いませんでした。

ルツにとっては、ナオミと別れることはナオミの神と離れるとわかっていたのです。ナオミ一家に連なって知ったこの真の神から離れるよりは、むしろ結婚の望みを絶つ方を選んだのです。ルツはこの世の望みに対して死にました。ルツは自分のすべてをゆだね、自分のすべてをナオミの幸せのためにささげつくしました。ナオミに喜ばれることなら何でもしようと、つらい仕事でも、白い目で見られることも、避けないで生きようとしました。モアブで共に過ごした数年間で、ルツはナオミの純粋な信仰を受け継いだのでしょう。ルツには、もはや、自分の郷里であるモアブに帰って、そこの男性と結婚することは考えられなかった。姑のナオミと一緒に暮らし、彼女の世話を最後まですることが、自分に与えられた使命であり、生きがいと考えたのでしょう。ベツレヘムに行って、将来誰かと結婚するように導かれるだろうか。そんなことは、この時のルツは考えてもみなかったでしょう。

しかし、神様はまだ私たちが悟らない、その時から私たちのために素晴らしい未来を備えてくださっているのです。

まだ見えない神様のご計画を思いつつ、佐々木潤師作詞作曲の「見たことのない」の賛美を紹介します。

♪ 見たことのない 聞いたことのないもの あなたはわたしに 備えている

今わたしの心に 触れてください 信仰により 受け取るように

たとえ今 この目で見えなくても 信仰により 受け取ります