先週の説教要約 [主にある幸せ」

○先週の説教要約
『主にある幸せ』                   中道由子牧師
イスラエルよ、あなたはいかに幸いなことか。あなたのように主に救われた民があろうか。主はあなたを助ける盾、剣があなたを襲うときのあなたの力。》(申命記33章29節)
「幸せ」とは感じるもので、実に主観的です。幸せは環境や人の境遇、富ですら量ることはできません。幸せの秤は一人一人違います。モーセはこの世を去るにあたって4回の説教をしたのが、この申命記であります。申命記の「申」は、「申す」という漢字が使われています。神の命令を、律法をもう一度申し上げます、という書で、モーセが12部族を祝福、預言した後、もう一度「イスラエルよ、あなたは幸せ者だ」と語って34章で生涯を終えるのです。
 私たちの幸せは、他の方々の幸せとちょっと違うと思います。
1、主に救われている幸せ
イエス・キリストの救いを受けて永遠の命をもらっているとは、宝物を持っている人のようであります。イエス様は、マタイによる福音書13章に宝を見つけた人のたとえについて語っています。「 天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人はそのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売りはらって、その畑を買う」(マタイ13:44)。2千年前、財宝を管理するために、銀行や金庫がないので、壺に隠して地に埋めておきました。そして、百年、2百年も過ぎると土地の持ち主も変わっていきます。ある日、土地を耕していた農夫の鍬に何かが辺り、掘り返してみると宝ではありませんか!自分の土地ではなく、人の土地を借りて農作業をする場合、宝が見つかれば、その土地の持ち主が半分で、見つけた人が残りの半分を取ることになっていました。農夫は持ち主には言わないで、そっと宝を隠しておいて、帰って財産全部売り払って、その畑を買い取りました。私たちは、この宝を掘り当てた人たちです。私たちは、自分が主を受け入れたことを偶然のように考えるかもしれませんが、神様に偶然はありません。2千年もの間待ってこられた主の摂理です。この幸せ、祝福は神様が一方的に与えてくださった祝福であり、ダイヤモンドのような輝きを放って、次世代に受け継がれます。
2,教会で与えられる幸せ
宝を見つけた人は、宝だけ買うことはできないのです。畑ごと買わなければ、宝は手に入りません。韓国オンヌリ教会のハ・ヨンジョ牧師は、この畑は主が命をかけられた、「教会」だと解釈しておられます。天の御国を所有するために、私たちは教会に属します。教会の中には組織やグループ、面倒な人間関係があったりするかもしれません。しかし、それらが私たちが買う「畑」です。宝を得るために、畑も買わなければならないのです。イエス様の救いを得て、宝を発見した私たちが、この教会という畑で見出す幸せです。