先週の説教要約 [私のペンテコステ」

○先週の説教要約
『私のペンテコステ』                   中道由子牧師
《主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また聖霊に満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです》。(使徒言行録9:1−22)
私たちはそれぞれ異なる救いの経験、きよめの経験、聖霊経験を持っています。それらが一度に与えられたサウロ(パウロ)の経験から学びます。
1、 自分中心の人生
 サウロは、アジアのキリキヤのタルソで生まれ、ベニヤミン族出身でパリサイはに属していました。生まれながらのローマ市民、一世紀最大のラビ、ガマリエル1世のもとで学んだ人で、家庭はかなり裕福でギリシャ・ヘレニズム文化に触れて育ったエリートでした。ステパノが殉教した時もサウロはその場にいました。サウロは自分は正しいことをしている、と思っていました。罪とは、ギリシャ語でハマルティア、「的外れ」と言います。神様の目には、的が外れていることがわからなかったのです。自分のためにひたすら生きてきたサウロに、天から光が射して、イエス様の声が聞こえ、目が見えなくなりました。暗闇の中で、彼はやっと自分の姿が見えてきたのです。
2、 備えられた助け手
 サウロの回心のために手助けするようにと神が選んで派遣された人がダマスコ出身の無名の弟子アナニヤでした。彼は迫害のためにユダヤにいられなくなって、ダマスコまで逃げてきたと考えられます。そのアナニヤに主は、サウロの使命を告げ、サウロのために「お前にこの役目を頼みたい」と励まします。教会にとって敵であったサウロをアナニヤは訪ね、彼を兄弟と呼んで祈ります。サウロは肉体の目が見えるようになっただけでなく、聖霊の注ぎにより、霊の目が開かれました。アナニヤについては以後聖書には書かれていません。彼の働きは陰の働きであり、サウロに洗礼を授けたのは自分だとも言わない、ただ自分の使命を果たしたのです。イエス様の栄光を現わす聖霊様のように。
3、 神中心の人生
 サウロの人生は全く変えられました。「パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ」(使徒言行録13;9)。サウロはユダヤ名で、旧約のサウル王にあやかってつけられました。パウロという名前はローマ名で、「いと小さき者」という意味があります。神様は、いと小さき者に御目を留められます。