先週の説教要約 [主の祝福が人を豊かにする」

先週の説教要約 「主の祝福が人を豊かにする」  箴言10章22節  中道善次牧師

聖書の中には知恵の書物があります。それが箴言であります。
箴言では、「父」と呼ばれる人が、またソロモンが教訓を教えています。
箴言という日本語のタイトルは、独特です。この聖書のタイトルは、中国語の聖書から取られたようです。
箴言の「箴」は、鍼のことです。鍼治療をなさった方がおられると思います。
ツボに鍼を刺すように、私たちの心のツボに御言葉の鍼が刺さるという感じです。
箴言の中の厳しい言葉が、私たちの心に鍼を刺すように、私たちを励ますのです。
箴言から三つのことを学んでまいりたいと思います。
① 物語としての箴言、② 比較の言葉としての箴言、③ 箴言が教える本当の知恵

① 物語としての箴言
箴言にはストーリーがあるのです。
それは家庭の中で、父親と母親が、子どもを思いやるメッセージとしての言葉であります。
それは、「神を恐れて、よき家庭を築きなさい」であります。
それが1〜9章であります。
その「親から子ヘのスピーチ」は、町の中でなされました。
箴 1:20 知恵は、巷に呼ばわり、広場に声をあげる。
箴 1:21 雑踏の街角で呼びかけ、城門の脇の通路で語りかける。
都市に住む若者には、誘惑が多い。そのような誘惑から身を守り、神様を恐れて生きよという教訓が、父の教えであります。
特徴的な二つの誘惑があげられます。
第一は悪い友人の誘いです。
箴 1:10 わが子よ、ならず者があなたを誘惑しても、くみしてはならない。
第二は女性の誘惑であります。
箴 5:20 わが子よ、どうしてよその女に酔うことがあろう、異邦の女の胸を抱くことがあろう。
これらの誘惑は、個人をダメにするだけでなく、家庭を破壊するのです。
箴言の親が、子どもに語る教訓は、神の像のやどる家庭を受け継いでほしいというメッセージです。
人間は、神の像にかたどって造られました。
神の像とは個人がもつだけでないのです。男と女も「神の像」なのです。そして夫婦の単位だけでなく、家庭にも神の像がやどり、それが大切にされなければならない。壊れている家庭の中の神の像が回復されなければならない。箴言は、家庭における神の像が守られ、受け継がれてゆく大切さを伝えます。
子どもたちよ、「神の像」を大切にして、生きていってほしい。それが親から子どもに対するメッセージなのであります。
そして10章から始まるソロモンの知恵の言葉に耳を傾けてほしい。知恵ある生き方をしてほしいと語るのです。
箴 10:1 ソロモンの格言集。知恵ある子は父の喜び、愚かな子は母の嘆き。
そして10:1から31章まで、数多くの格言が語られるのです。
そして、箴言の結論は31:10からの「賢い妻」についてであります。
箴 31:10 有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりもはるかに貴い妻を。
そこには賢い妻が登場します。彼女は、働き者であります。夫が信頼を寄せて尊敬する妻の姿が描かれています。
このような女性を妻とするのだ。

② 比較の言葉としての箴言
ソロモンの箴言、知恵の言葉が10:1から語られています。
その多くが、対句です。それは比較です。同じことを強調するために繰り返す対句と、一つの真理を印象づけるために反対のことを述べる場合があります。
箴言10:22の前半部分を、私たちの教会の標語として週報の表紙に掲げております。
口語訳聖書では、10:22は、似たようなことを言っている事例として後半部分が訳されております。「主はこれになんの悲しみをも加えない。」
ところが、他の多くの翻訳を見ると、対照的な事例を挙げている翻訳もまた半分ぐらいあるのです。
新共同訳は、「人間が苦労しても何も加えることは出来ない」
他にも同じ翻訳を採用しているものが多いのです。
しかしこの言葉を誤解して、人間は努力しなくてもいいのだと思わないでください。箴言の中には、勤勉の勧めが、10回ほど出てきます。
一見すると矛盾のように思えますが、人間が勤勉に働くこと、努力することを聖書は勧めます。しかし何かが上手くいったとき、豊かになったとき、祝福を受けたとき、自分がやったのだ。自分が頑張ったのだと言わないで、神様が祝福された。神様が与えられた。そのように言うのです。
人は働くのです。努力するのです。しかし神様の守りと祝福がなければ、それらが報われない事があることは、私たちも知っていることです。
祝福をくださる神様にいつも感謝できるようになることが知恵ある生き方であります。

箴言が教える本当の知恵
知恵は中立であります。悪いことに知恵が回る人もいるのです。
箴言を書いたソロモンは、知恵と知識に恵まれていました。
王上 5:10 ソロモンの知恵は東方のどの人の知恵にも、エジプトのいかなる知恵にもまさった。
しかしソロモンは、どんなに頭がよくても、知恵や知識が豊かであっても、それだけでは、本当の知恵ではないことを自分の人生の痛い経験を通して知ったのです。
ソロモンは栄華を極めた後に失敗したのです。その原因は女性でした。
王上 11:1 ソロモン王はファラオの娘の他にも、モアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘテ人など多くの外国の女を愛した。
ソロモン自らが、父の教えに背いてしまったのです。神の像を一度壊してしまったのです。堕落したのです。家庭も壊してしまったのです。しかし晩年、ソロモンは神様に立ち帰ったのです。
だからソロモンは、箴言の中で知恵を語る時に何度も言うのです。「主を恐れよ」と。
箴 1:7 主を畏れることは知恵の初め。
知恵は中立です。だからソロモンは言うのです。あなたが本当に知恵あるものとなりたいのなら、まず神様を畏れ敬いなさい。そこから命の泉が流れてくるのです。