先週の説教要約 [あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」

先週の説教要約『あの方は栄え、わたしは衰えねばならない』  村岡貞海牧師
ヨハネ福音書 3章22〜30節

バプテスマのヨハネは聖別された生活をして蜜とバターを食べて、皮の服を着ていました。荒野で唯、神様の御言葉を伝えるための日々を送ります。寂しく、孤独な、辛い生活をしていたと思います。待ちに待った一人息子が若いときから、両親の元を離れて、荒野で生活して、節制の生活、良き地位や、良き家を求めず、神様の働きをしています。

時には、腐敗している権力者に悔い改めなさいと述べて、命の危険にも会います。そんな中でも恐れず多くの人々を伝道して人々を見守り励ます生活をしているので、多くの困難にもあったと思います。

ローマの圧力を受けた人々は誰かがこの圧力と困難を解決してくれると待ち望んでいて、真実なヨハネならばと、期待していました。

多くの人々が弟子となり、彼をメシヤとも呼んでいました。しかし、ヨハネも私たちと同じ人間であって、イエス様を紹介するだけだと謙遜にへりくだります。

真っ直ぐに、イエスキリストを伝えて、イエス様がメシヤであることを伝え、イエス様が十字架を負ってくださる子羊であると予言された方であると伝えていました。

1.バプテスマ ヨハネの謙虚さ

今日の聖書箇所を見るとヨハネの弟子たちがヨハネとイエスを比較しながら話しています。

あなたが洗礼を授け、多くの人に紹介したイエスの所に人々が集まってあなたが授けていた洗礼までも授けて、人気が増しています。不平不満を言いました。

隣人が家を買うとお腹が痛くなると言う言葉があります。 親しい友達が出世して、自分はそのままだと心が穏やかにならないのが私たちの心であると思います。

このような話を聞いてもヨハネは戸惑うことなく、動揺せずにいます。
それだけでなく、彼は必ず栄え、わたしは衰えるとまでも言うのです。

私たちのクリスチャンは人々の祝福を祈り、執成しています。隣人が神様に愛され、神様の祝福を受け、感謝と喜びに充ち溢れることを祈りつつ奉仕し、仕えています。これこそが神様の御心であるから。

バプテスマのヨハネはイエス様こそが救い主であり、神様の御子であり、私たちの罪を許す権威を持っておられ、世の罪を背負い死んで蘇られるお方であると信じて伝え続けていました。

ヨハネはイエス様を正しく知っており、自分にはそのような力がなく、自分の使命を確実に理解して、自分は赦されるべき、罪人であると知っていました。

2.ヨハネが伝え続けていたイエス様の事をコリント13章から見てみます。

私たちの救い主イエス様を良く説明している聖書の箇所が愛の章と言われる、第一コリント13章です。

1-3節を見ると愛がなければ…、まず愛が全てに勝ると書いています。
天使の言葉を話しても異言を語っても、知識と誉があっても、信じ犠牲を払い救済しても愛がないならば無益であると、神様から来るものが愛であり、自分の熱心や頑張りでなく、神様の愛であると話しています。

4-7節 14の性格の愛の本質が語られています。愛には特徴があります。全て動詞で書かれていて、行動されている動詞形であります。

〜しない、と書いてありますが、これらを拒み、拒否してしまう私たちの姿を認めて変えることを勧めています。イエス様は寛容であり、イエス様は情け深く、‥‥。

12節 私たちが見ているのは一部分ですが、神様は私たちを良く知っておられます。

13節で  信仰:神様の御言葉に対する信頼。

希望:神様が約束して下さったことを望み待つことに焦点をおく。

愛;信仰と希望に生きる行動のこと。


3.神、罪、救いを信じて

全身火傷を負った、小学校4年生の女の子が神様を恨んでいましたが、クリスチャンの医者によって、治療を受けることで、もし、事故が起こらなかったならば、神様と出会うことがなかった、私が神様に愛されていることを、私が神様を知るようになった試練であると考えるようになったそうです。彼女の年が12、13歳の時でありました。

その愛を知って、神様が私の姿をそのまま愛していて下さると信じるようになり、自分の姿を見たくなり、始めは慣れない自分の姿に心痛めたが、このままを愛してくださる神様を思いつつ見ていたら、自分が可愛く綺麗に見えてきたそうです。

神様の目で自分を見るようになったのです。

小学生の時の事故であったので治療のために、勉学が出来なかったのだが、教会の青年たちが教えに来てくれて、全ての過程の学びをして、大学で学ぶようになりました。私たちの人生で、どんな試練の中でも神様の御心を知って、悟り、感謝して前進できるのは大きな恵みですと証ししていました。

こんなに大きな痛みを受けているのは私だけで、私の家族だけだと苦しんでいたのだが、わたしより、もっと大きな痛みを抱えている人々と出会ったり、多くの人々の痛みを受け入れて励まし、共に感謝することができるようになったそうです。

私たちの人生の目的は神様を知り、罪から、救われ、神様の栄光を証しすることであります。バプテスマのヨハネは使命を受け、数々の試練がありましたが、その使命の道を歩み、主の栄光を現しました。私たちの人生の道にどんな試練が待っていても共におられる、神様を知り、前進することを祈ります。主の栄光が現れますように祈ります。