2022年3月20日の説教要約 「来て、見なさい」

2022年3月20日の説教要約

                「来て、見なさい」  中道由子牧師

 

《イエスは、「来なさい、そうすれば分かる。」と言われた。そこで、彼らはついて

行って、どこにイエスが泊っておられるかを見た。》

ヨハネによる福音書1章35~51節)

  

 最初にイエス様について行った弟子たちのことをお話しします。

 

1、二人の弟子を手放すヨハネ 

 この記事の前の節に書かれているのは、バプテスマのヨハネについてです。

彼の使命は、自分で何か大きなわざを行うことではなく、ユダヤ人たちにイエスが神の御子であることを告げ、この方について証しすることでした。

証しというのは、見たことや体験したことを語ることですが、彼は以前にイエスと会ったことがありませんでした。

彼の証しの根拠は、驚いたことに、父なる神から聞いた言葉でした。

彼は、神から直接聞いた通り、イエス様のことを、「世の罪を取り除く神の小羊」、「聖霊によって洗礼を授ける人」、「神の子である」と証しします。

日々、神と親しい交わりをする人は、神の御声を聞き分け、イエス様のことを証しすることができます。

 そして、本日の聖書箇所35節「その翌日」とあります。

バプテスマのヨハネがイエス様と初めて会って洗礼を授けた、その翌日です。

彼が二人の弟子といるとイエス様が歩いておられた。彼がイエス様のことを「見よ、神の小羊だ。」と二人の弟子たちに言うと、彼らはイエス様に従って行った、というのです。

バプテスマのヨハネは、弟子たちに自分よりもすぐれたイエス様を紹介し、それを聞いてイエスについて行った二人の弟子を手放しました。

二人の弟子の一人はアンデレで、もう一人は一般的に名前を告げず、“イエスの愛される弟子”と表現するヨハネ福音書の著者であると理解されています。

アンデレはペテロを主に導き、もう一人の弟子はヨハネ福音書を私たちに残しました。

もしバプテスマのヨハネがこの二人を手放してイエスにささげていなかったら、歴史が変わっていたことでしょう。

 

2、わたしたちはキリストに出会った

  最初にイエス様をメシアと確信したアンデレは、ただちに自分の兄弟シモン・ペテロを探し出し、「わたしたちはメシアに出会った。」と証しをします。

そのアンデレに連れてこられたシモンにイエス様は目を留め、「ケパ(岩の意)」という新しい名前をお与えになったのです。彼らは、まったく無名のガリラヤの一漁師でした。

しかし、イエス様は彼らの内に、信仰にすぐに応じる素直な性格と奉仕の能力を見抜かれたのです。ここから福音のリレーが始まります。

バプテスマのヨハネが自分の二人の弟子であったアンデレとヨハネにイエス様を紹介しました。アンデレは兄弟のシモン・ペテロにイエス様を紹介し、ヨハネはこの福音書を書くことによって世界の人にイエスを紹介したのです。

さらに、43節からは、その翌日イエス様はフィリポに出会い、「わたしに従いなさい」と言って、お召しになります。

そのフィリポはナタナエルに出会って、イエス様を紹介する、ここにまた別の証しの輪が繋がります。フィリポは、旧約聖書が預言していた約束のお方に出会ったと告げます。

しかし、ナタナエルはナザレからメシヤが出るなどとはとても考えられないと、偏見のかたまりでありました。

でも、フィリポは自信を持って、「来て、見なさい」とナタナエルに言います。

ナタナエルの偏見を打ち破るにはイエス様ご自身に会わせる以外はないと、ぶれることなくイエス様を紹介します。

 福音のリレー、つまりイエス様に会って人生が変えられた人が、隣の人にイエス様を紹介しています。これはイエス様に会ったばかりの人の方が紹介しやすいのです。

皆さんがこうして教会に来て、クリスチャンとなるまでのストーリーをそれぞれが持っていると思います。一人でやってきて自分で求めたという人は少ないと思います。

誰かに誘われ、またずっと祈られて、イエス様に出会ったのです。

  

3、どうしてわたしをご存じなのですか

 ナタナエルは旧約聖書をたくさん研究した人だったようです。

エス様は、ナタナエルのうちに偽りのない真のイスラエルをご覧になりました。

47節「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」

ナタナエルは、イエス様が事前に自分のことを知っていて、深いところにある信仰的な願いまで洞察しておられることに少なからず驚きました。

自分が馬鹿にして笑った人から感動的な賞賛を受けたのです。

エス様は、48節で「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た。」と言われます。

会堂のない小さな田舎町でトーラー(律法)を学ぶのに適した場所はいちじくの木の下でした。ナタナエルは、律法を黙想しつつ救いを求めていたのです。

ナタナエルの真理を求める姿をイエスは尊敬すると言われました。

この言葉によってナタナエルの偏見、ガリラヤ地方から預言者は出ないという偏見が打ち砕かれ、「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」という信仰告白に導かれたのです。

このように、イエス様は律法を知っている人には、その人にぴったりあった導き方をされます。ナタナエルだけではない、イエス様と出会う前の私たちがどこで何をしていて、どのような者であるか、全部ご存じなのです。