先週の説教要約 「神が道を開かれる時」

〇先週の説教要約  「神が道を開かれる時」      中道善次牧師
          使徒言行録 19章1〜10節

今日は、使徒言行録から、道が開かれる、道が閉ざされると言うことを学びたいと思います。この表現は、一般でも使われる表現だと思います。信仰者はものごとの背後に、神さまの導きの御手があると信じています。神がある道を閉ざされることがあり、神がある道を開かれることがある。

① 神が道を閉ざされる道

パウロは、宣教師として海外、外国にキリスト教の福音を伝えました。
それを専門的には、第一次宣教旅行、第二次宣教旅行、第三次宣教旅行と言います。
新共同訳聖書の巻末の地図にそのルートが記されています。
第一次宣教旅行では、地中海のキプロス島に行きました。その後、現在のトルコの南の港町ベルゲに行きました。どうやらここでパウロは病気になったようで、病気治療を兼ねて、トルコの中央部、地図で言うと真ん中より下の地域に静養に行きました。しかしじっと静養しているパウロではなく、そこでも福音を語りました。
第二次宣教旅行の当初のパウロの計画は、トルコの南西部のエフェソを目指したのです。しかしストップがかかりました。それではトルコの北ビティニアを目指す。しかしそこもストップがかかり、結局西に向うしかなかったのです。そしてヨーロッパに宣教に出かけました。マケドニアギリシアの国々に福音を語りました。
その経緯を述べている聖書の個所は、使徒16:6〜11です。
現在のトルコの南西部、あるいは北部への宣教を試みましたが、聖霊がそれらを閉ざされ、ヨーロッパ大陸への宣教に導かれたのです。
ここでいう聖霊の禁止とは、どのようなことを意味するのでしょうか。
第一の理解は、心の中で私たちを導いておられる聖霊なる神様が、ストップをかけられたことです。それは内なる感覚、あるいは、内なる細い声というものだと思います。しかしそれは、人の思い込みとは違います。
聖霊の禁止とは逆になりますが、聖霊の促しや語りかけもあります。
第二の理解は、そのような感覚的なことだけではなく、何らかの事情があって計画通り行かなかった。それを彼らが聖霊による禁止だと受けとめた。
可能性として考えられることは、その時のアジア州エフェソの治安が悪かった。あるいは宿泊場所を提供してくれる知り合いが全くいなかった。あるいはユダヤ人の会堂で説教をさせて欲しいと依頼したが、許可されなかった。そのようなこともまた、聖霊の禁止と言うことが出来ると思います。
わたしたちの願っていた道が閉ざされたとしても、失望しないで下さい。もっと良い別の道が用意されているのです。あるいは、今がその時ではない。神様からお取り扱いを受けて、最善の時にその願っている道が与えられる事があるのです。
聖霊なる神のストップを受け入れる。それは言葉を換えると、いつも神の最善を信じ、時を支配される神の最善の時を信じることです。

② 神が道を開かれる時

パウロがアジアで福音を語ることが、第二次宣教旅行で禁じられました。
ところが第三次宣教旅行では、アジアへの道が開かれているのです。
それは使徒19:1〜10です。
一度聖霊によってストップされたアジアですが、第三次宣教旅行では、そのアジアに行って3年近くも伝道する事が出来たのです。
神様が第二次伝道旅行で、アジアで福音を語ることを禁じられたのは、決してアジアに行ってはいけないという意味ではなかったのです。
それよりも急を要するもっと大きな目的があったからです。それは、第二次伝道旅行の時こそが、ヨーロッパ伝道の絶好のチャンスだったということでした。
聖霊の禁止』とは、アジアで宣教することの否定ではなく、「神の時」の問題だったのです。
神がヨーロッパ伝道に道を開かれる「時」が第二次宣教旅行だったのです。第二次宣教旅行の時は、アジアでの伝道の時ではなかったのです。だから神は、道を閉ざされたのです。
さらにアジア宣教、その州都であるエフェソ伝道ということを考える時、それもまた「神の時」であったのです。第三次宣教旅行の時の方が、アジア伝道のチャンスだったのです。
パウロは第二次伝道旅行の時、ギリシアのコリントでアクラとプリスキラという素晴らしいクリスチャンの夫婦にであったのです。彼らは、コリントの開拓伝道を助けてくれました。使徒18:1〜4参照。
そして第三次宣教旅行の時、アキラとプリスキラは、パウロより先にエフェソに来ていて、エフェソの開拓伝道の準備をして、助けてくれたのです。使徒18:24〜26参照。
そしてついにアジア州で福音を語りました。
使徒 19:10 このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。
私は昔、アジアというのは極東の日本まで含んだアジア大陸のことだと思っていました。しかしそうではなく、ここでは小アジアと言われるトルコのことで、しかもトルコの西南部のアジア州のことであります。
そしてパウロがその地域に福音を語った大きな足跡がヨハネ黙示録に出てくる7つの教会に見られるのです。
黙 1:4 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、その玉座の前にある七つの霊から、
黙 1:11 その声はこう言った。「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルティス、フィラデルフィア、ラオティキアの七つの教会に送れ」。
これらの7つの教会のおおよその位置は、エフェソから順番に北に行って、次に東に行って、南に降るのです。隣町、隣町と伝道をしていったのです。
神様は不思議なお方です。パウロが、一度閉ざされたと思った道を、再び開いてくださったのです。
あなたが今、願っていた道が閉ざされたとしても、諦めないで下さい。もしかしたら、今はその時ではない。神様からお取り扱いを受けて、神の決められた時にその願っている道が開かれて、そこに導かれる事があるのです。
私たちの人生を導かれる主がおっしゃるのです。
イザ 30:21 あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべき道だ、ここを歩け、右に行け、左に行け」と。