2018年3月25日の説教要約 「救いの道」

2018年3月25日の説教要約  「救いの道」  村岡貞海牧師

<それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。>                     ヨハネ3:1-15


エス様とニコデモの対話であり、背景は2:23−25過ぎ越しの間の出来事の後、ある日の夜、イエス様のいる所で、二人で話ができる所であり、弟子達も静かに聞いている部屋で、ニコデモと言う、当時の名の知れた有名で、学者で、裁判官で、議員のような人でした。宗教指導者達を体表するような人がイエス様を訪ねて来ました。それはイエス様が行われた、しるしを見て訪ねて来ました。

「あなたが神から来られたことを、私たちは知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしを見せることは出来ません。」と言うのです。

エス様は神様が一緒におられる方であり、神から来られた方であるので、そのイエス様に永遠の命、新しく生まれることを教えてもらえることを望んでいました。

エス様はニコデモに、「それは彼(イエス)を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。イエスを信じることで、救われる。」と話されています。


1. 救いを求めるニコデモ(どうして)4節、9節

ニコデモは地上において、誰よりも一生懸命に生きて来た人だと思います。難しい律法を守り続けているユダヤ人の指導者であり、イスラエルの教師であり、その時代に国家議員が71名いましたがその中で一人であり、パリサイ人でした。彼には権力と、富と、名誉がありました。誰よりも自分に厳しく、立派な学力を持っていて、政治的な頂点に立っている人でした。歴史的に実在した人でした。そして、ユダヤの中心人物であり、代表者であるニコデモでした。

その歴史的な人物であるニコデモは今、神の子イエスと会って、会話をしているのです。

ニコデモはイエスを先生と呼びますが、知りたかった、大切と思われた霊的なことを求めて質問するニコデモに、イエス様は何回でも諦めず聖霊のことを教えてくださっています。


このように霊的なことを求めるきっかけがありました。それは、

エス様がエルサレムで行ったしるしを見て、多くの人々はイエスを信じました。

それは、2節の「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。 と言う言葉から伺えます。

ここでイエスはニコデモの心を見抜いて、ニコデモに今必要なことを教えてくださっていますが、今まで肉のことを考えている、地上のことばかり考えていたニコデモには、イエス様の言葉を理解することが出来ません。どうしてできますか、どうして、そんなことがあり得ましょうかと、質問します。

エス様の話を文字通り考えて、こんなに年取っているのに、もう一度母体に入って生まれるのか、など質問していて、理解することが出来ません。そして、霊的の目が開かれることを求めています。イエス様もそのことを何回も答えになって教えています。

2.新しく生まれなければ(地上のこと、天上のことがある)

エス様は新しく生まれると言う言葉を1−10節の間に5回も続けて話しています。ニコデモは人の理性を持って、理解しようとしていますが、新しく生まれる事を理解することが出来ません。イエス様は彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。」(11〜13節)

私たちが初めて神様を信じる時を思うと、又家族や他の人を伝道する時は、主イエスキリストを信じると救われる、私たちは罪びとです。と言われると

何故自分を罪人だと言うのか、神様なのに何故罪人の為に死ぬのかなど、私たちも思われました。他の人に説明するのも難しくなって行きます。

それなのに、聖書は揺らぐことなく、主イエスキリストの十字架が救いであると話ししています。それは、聖霊によって知るようになると伝えています。

エス様は14節で モーセが荒野で蛇を上げたように、ご自分も人の子もまた上げられなければならないと話しておられます。神様が人を救われる方法は、人間に義の行いを求めることによってではなく、身代わりを用意してくださることによって与えてくださるのです。

この身代わりを自分に絶対に必要な物として受け入れることによって、神は私たちの罪をゆるし、神の義を私たちに与えてくださるのです。上から与えられる聖霊の働きによって、イエスを信じ、神様を信じると新しく生まれる経験をします。

私たちはイエスキリストが私たちの罪を赦し、愛して下さると信じることによって、自分の利益を求めず、罪赦されている大きな喜びと、神様の愛によって命が与えられていることが一生感謝の理由となり、イエスキリストの体である教会に来て、献金をして、奉仕をして、宣教をして、仕え祈るのです。それでも感謝が尽きない聖霊の働きがあります。

3.風のような聖霊の働き(風は見えないが、その働きは見える)

聖霊の働きを8節で説明して下さっています。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。風は見えませんが、いつ何処で吹いて来るかも分りませんが、揺れる木の葉を見て感じます。

ニコデモは(どうしてこんな事がありえますかと話していた者)でしたが、ヨハネ福音書は7:51節でイエスを殺そうとする人々に反対し、19:38,39節では弟子たちが逃げ隠れる時もイエスの墓に向かう人と変えられていました。聖霊によって変えられていることを見ることが出来ます。

ニコデモはイエス様の前で、霊的なことを理解できないでいましたが、イエスキリストを受け入れることによって、救いの道を知り、神の国の大きく、美しく、栄光に富んでいる姿を見ることが出来ました。私たちも今は地上に日々を過ごしていますが、その天の国を仰ぎ見て、主の愛を喜び讃美し、感謝することをお祈りします。