2020年1月26日の説教要約
「エルサレム入城」 中道善次牧師
< マルコ11:1~11>
今日は、イエス様がエルサレムにお入りになられた。エルサレム入城の記事から学びたいと思います。
1、ロバは王の乗り物
私は長い間、次のようにこの記事を理解しておりました。王の乗り物は馬だ。勝利を象徴する馬に王は乗って首都に入る。ところがイエスは、通常の王と違う。謙遜な御方なので、勝利の馬ではなく、謙虚なロバに乗って入られた。その説明は、中近東の他の国々と比較すればそうかも知れません。
しかし聖書を調べてみますと、ロバが王の乗り物であることがわかりました。
ロバに乗ると言うことは古代より王的権威のしるしであったのです。
平和の王と言われるソロモンは、王となる時、ロバに乗ったのです。
王上 1:33 王は言った。「お前たちは主君の家臣を率いて、わが子ソロモンをわたしのらば(らば→新改訳2017では雌ろば)に乗せ、ギホンに下らせよ。
王上 1:38 祭司ツァドク、預言者ナタン、ヨヤダの子ベナヤはクレタ人とペレティ人と共に下って行った。彼らはソロモンをダビデ王のらばに乗せ、ギホンに連れて行った。
らばとは、馬とろばを掛け合わせた動物です。
イエスは、エルサレムに王として、メシヤとして入城されたのです。今までは、「人の子」という表現を使っておられたのですが、ここで明らかにイスラエルの王としてエルサレムに入られたのです。それはまた、イエスを敵対する人々の敵意をあおる行為でした。エルサレム入城から5日後、イエスは十字架にかけられた。そのこともお覚悟の上でのロバに乗ってのエルサレム入城だったのです。
2、柔和な御方に学ぶ
有名な聖書の言葉の一つにマタイによる福音書11:28~29があります。
マタ 11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
マタ 11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
イエスをお乗せした子ロバに注目したいのです。
この子ロバは、とても頑張ったと思います。オリーブ山の中腹からケデロンの谷を越えてエルサレムの町までイエス様をお乗せしたのです。ざっと計算して2キロほどです。最初は下り坂です。そして最後は上ってエルサレムに入って行ったのです。子ロバは、主がお用いになる期待に充分に応えたのです。
ロバについて学んだことを紹介します。
ロバはかんしゃくもちで、頑固だそうです。特に小さなロバは、まだ荷物も運んだこともないし、人も乗せた事もない。それは大変だそうです。しかし、悪いことばかりではないのです。ロバは、とても忍耐強いのです。重い荷物も黙々と運ぶ我慢強さや粘り強さがあります。そしてロバはどんな事があっても人を裏切らない。そのような特質を持った動物だといわれております。
私は想像するのです。子ロバは、イエス様を背中にお乗せすることで、柔和を学んだのです。粘り強く、坂道を下り、粘り強く坂道を登っていったのです。みんなの注目は、イエスです。ホサナと叫んでいるのです。ロバに注目する人などいません。それで良いのです。イエスが崇められさえすれば。
イエスを背中にお乗せするとは、イエスとくびきを同じくすることです。そこでロバはイエスをお乗せすることで、イエス様から柔和と謙遜を学んだのです。
柔和とは弱々しいことではありません。優しさであります。謙遜であります。しかしそれだけではありません。
柔和とは、踏みつけられても折れてしまわないしなやかさであります。
怒らず、また、潰れてしまうことなく、人を包み込む優しさであるのです。
私たちも、イエス様と人生を共にすることで柔和を学びたいのです。
3、賛美を止めることが出来ない
ルカによる福音書の並行記事では、人々の叫び声が全部日本語で書かれています。
ルカ 19:38 「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」
マタイやマルコの福音書の並行箇所を見ると、「ホサナ、ホサナ」と叫んでいます。「ホサナ」の直接の意味は、「主よ、救いたまえ」であります。
もちろんそれは、王である、メシヤである、ロバに乗られた御方を意識してのことであります。
しかし多くの注解書では、ここでのホサナとは、平たく、イエス様バンザイという意味であると言うのです。
ホサナ・ホサナとは、王なるイエス様を歓迎して賛美したことであります。
ところがエルサレムの宗教指導者パリサイ人たちは、このことを面白く思わず、賛美を止めさせようとしたのです。
ルカ 19:39 すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。
うるさいから、黙らせてくれという言葉であります。それに応じて、イエスは次のようにお答えになりました。
ルカ 19:40 イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」
石が叫ぶとあります。動物や木や花なら、鳴き声がありますし、美しい花や実をつけて、神様を褒め称え、賛美すると言われたら、よく分かります。しかし石が賛美するとはどういうことでしょう。ただの物体のように思えます。しかし庭師の手にかかると、石もまた芸術の道具であります。同じようにイエスから見るなら、石もまた被造物、神様によって造られたものです。ですから造り主である神の素晴らしさを知っている。だから賛美する事が出来る。イエスはそうおっしゃり、石が叫ぶといわれたのであります。
私は、このイエスの言葉から、どんな賛美でも、賛美を喜んで受け入れられる神の姿を覚え、また賛美を止めることをしてはならないと思うのです。