2021年10月31日の説経要約 「苦しみを恥としない」

2021年10月31日の説経要約

                           「苦しみを恥としない」   照内幸代牧師

                                         ≪テモテへの手紙二 1章6節~18節≫

 

テモテへの手紙第二というのは、パウロの絶筆、いわゆる最後の文章であると言われています。この手紙からは、パウロが死を目前としてなお、熱く愛弟子テモテに語り掛ける差し迫ったパウロの思いを読み取ることができます。

まず理解すべきポイント、それは、この当時のクリスチャンが苦しみを目の前にして恐れおののいていたということですV6-8。パウロがまさにこの手紙を書いていたとき、クリスチャンたちをかつてないほどの大患難が襲っていたのです。1章の後半を見ますと、このような恐れによって、パウロが最も愛していた弟子たちの何人かが、パウロの元を離れ去ってしまったということが書かれていますV15-18。私たちは今日本社会に生きていて、クリスチャンであるがゆえに危険な目に遭うということはほとんどありません。しかし私たちの心の内にもまた、外からの脅威に対する恐れの気持ちというのはあるのではないでしょうか。それゆえに神を疑ったり、神に疑問を持ったりということが起きたりするものではないでしょうか。パウロはそんな外からの脅威に対し、恐れを持つクリスチャンたちに力強く呼びかけます。死を前にして、それでも主にあって勇敢であるパウロの呼びかけです。

一つ目は、パウロは、ローマの囚人ではない、主の囚人、主のもとにある囚人なのだということです。自分を捕らえているのは主であって、自分の命は主のもとにあると確信しているのです。ですからパウロはこう言います。V7-8「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と憐みの霊を与えてくださいました。ですからあなたは、私たちの主を証することや、私が主の囚人であることを恥てはいけません」。私たちの体は確かに不自由です。行きたいところに行けません。礼拝堂にも集えません。しかしそれで私たちクリスチャンの自由は本当に奪われたのでしょうか。そうではありません。私たちを罪から救い永遠の命を与えられた神の、十字架と復活による恵は失われていない。何ものも取り去ることはできない。私たちはどんな状況下でも神に祈り、神を礼拝することができる。そして御子の命をもくださった神の愛は、全く疑いようがないのだということですV9-10。

二つ目のパウロの励まし、それはパウロが弟子テモテと主の御霊を信頼しているということです。神の御霊がテモテを支え、福音のみわざを起こしてくださると信頼しているのだと言っています。V11-14パウロは、世の中がどんどんクリスチャンに対して厳しくなって、明日自分の命が取り去られるかも分からないというような中にあって、ちっとも悲観していないということがお分かりになると思います。神に選ばれた器、テモテがいる。そして御霊は自分がいなくなったのちも、必ずテモテの内に働いて、大きなことを成し遂げてくださるという信頼です。これこそクリスチャンに与えられた最大の強みであることを思います。わたしたちはどうでしょうか。私たちは神様の働きに期待しているでしょうか。このような状況下であっても、主は必ず救いの業を起こし続けてくださると確信しているでしょうか。

世がどのような状況になったとしても、会いたい人に会えず、行きたいところに行けなかったとしても、私たちには究極の自由がある。それは永遠の命だということです。これを持っている限り、私たちはいつも自由なのです。何ものにも縛られないのです。何ものも恐れないのです。滅びに行く定めであったこの私が、神によって救われた。そのような不可能なみわざを主がしてくださったからには、主は必ずや、大きなみわざをこの地になし続けてくださるはずなのです。その証拠に、私たちには永遠の命が与えられています。失望しないで主に期待し続けましょう。神様によって私たちに与えられている約束を握り締めて、私たちは今週も神の愛する子、また弟子として歩んで行きましょう。