2021年年11月7日の説経要約 「どうして惜しまずにいられるだろうか」

2021年年11月7日の説経要約

          「どうして惜しまずにいられるだろうか」  中道由子牧師

 

≪それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。≫

                                                                                         (ヨナ書3章、4章)

 

1、ヨナの宣教

2章で大きな魚が神の命令によりヨナを飲み込んでから、三日が過ぎて、パレスチナ沿岸の乾いた地に、魚は悔い改めたヨナを吐き出しました。

ヨナは神様に立ち返り、新しくされました。

神様は失敗したものを見捨てないで、神の働き人になるように訓練してくださるのです。

「誓ったことを果たそう。」と魚の腹の中で祈ったヨナに、主は「わたしがお前に語る言葉を告げよ。」とヨナを遣わします。

一度だけで切り捨てたりしないで、不十分不完全を承知の上で、この大切な宣教の業を託していかれます。

4章2節「さあ、大いなる都ニネベに行って」と神様の言葉がヨナに臨んだのです。

ニネベは大都会でありました。周辺の三角地帯を含めると、その区域を巡るためには三日かかったのでした。

町には女神イシュタルが祭られておりました。

そのような異教の町、異邦人の町に対して、神はとてつもなく、大いなる憐みをおかけなりました。

不従順だったヨナを造り変えて、彼は、「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」とニネベの町をまず一日分の距離を歩き回りながら叫び続けたのです。

ニネベの人はどうだったでしょう。

ニネベの人々は神を信じたのです。ヨナの叫びに耳を傾け、断食と粗布をまとって悔い改めたのです。

身分の高いものも低いものも、子供から大人に至るまで、そして、なんと王様もその宣告を聞いて、王の衣を脱いで、一般の人と同じように粗布をまとい、灰の上に座って、ニネベに断食を布告したのです。

素晴らしい光景がニネべの町に起りました。

人々の悔い改めにより、主がリバイバルを起こされたのです。

主は、この人々の信仰を見て、ニネベを滅ぼすことを思い直されたのです。

 

2、ヨナの不満

 ヨナがひそかに恐れていたことが的中しました。

ヨナの宣教によって、ニネベの町は滅びなかった。

ヨナは、恵み深い神を体験しているにもかかわらず、ニネベの町に対して滅びの宣告をした後、さっさと町をでて、どのようになっていくか、見てやろうとしていたのです。

彼が目を向けるべきは、救われたばかりのニネベの人たちでありました。

5節「そこで、ヨナは都をでて東の方に座り込んだ。」とあります。

私たちの日常生活はどうでしょうか?

おかれたところを喜びとしているでしょうか?

何を見て生活し、何に関心を払い、何に心を配っているかが、問われます。                                                                                                                                                                                                                   ヨナは町の外に出て、ヨナの関心は自分に向けられていました。

自己憐憫の目が自分の中にありました。

神様のために、どんなに苦労してきたか、海にほうり込まれ、魚の中で悔い改め、そこから救出されて、神の御心に従ったのに、この結果は何か!

神様は、滅ぶべき異邦人を救われるのか?

私の裁きの叫びはどうしてくれるのですか?

本当にかわいそうに思える自分。

ヨナの中には、自分のメンツばかりでした。

私はこうなることがわかっていました。あなたは恵み深い神様だから。だから、嫌だったから、タルシシュに逃げたのに。

あなたは私を利用したのですか?

このニネベをもっと厳しく扱ってください。あなたのなさり方は、甘い!気に入らないヨナは次のように言います。

4節「主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」

私たちの中にも、素直に認められない肉の思いがあるのではないでしょうか?言わなくても察してほしい、とか。

相手に思いやりを要求し、自分は素直でないと言う、厄介な性質はないでしょうか?

 

3、ヨナのとうごま

 何度もくり返すヨナのわがままに、神様は不思議な方法で答えてくださいました。

夏の暑さを和らげるため、1本のとうごまを備えてくださったのです。

そのとうごまを通して、神様はヨナの怒りに対する自制心を取り扱おうとなさいました。

ヨナは感情の起伏の激しい癇癪もちであったようです。

この1本のとうごまによって、ヨナの仮小屋は涼やかなあずまやとなりました。ヨナは大いに気に入りました。

 しかし、神様はせっかく備えられたものを、せっかくヨナが上機嫌になっている時に早々に取り去られました。

どのようにして、取り去られたかと言うと、主が備えられた一匹の小さな虫によってとうごまは枯れたのです。

東の空が白む頃、すでにヨナの喜びの源は取り上げられてしまいました。彼は前以上に自分の境遇が情けなく思われました。

「いっそ、死んだ方が」とまたもやすべてに絶望してつぶやきます。

ヨナの喜びは一時的なもの、内からではなく外からくる、実に移ろいやすいものでした。

それで神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った、「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」と。

自分を正当化すると、自分以外のもの、特に自分に不都合なものは何でも間違い、不当になるわけです。

 私たちの生活の中に、神様は最も私たちの近くにおられて、私たちに働きかけておられます。

神様はどこまでもヨナを愛し、神の御心を知ってほしいと願っておられました。そのお心は、今私たちにも向けられています。