2022年7月24日の説教要約 「神は世界を放置しない」

2022年7月24日の説教要約
 「神は世界を放置しない」  照内幸代牧師 
  《ペテロの手紙Ⅱ:2章1~9節

 

 本日は第二ペテロの二章を読んでいきます。一章のところでも、この第二ペテロにおけるテーマは、偽預言者問題との対立であるという話をしました。偽預言者と一言に言っても、いろんな人たちがいるわけですが、今日のところでは、「キリストの再臨はない」と言いまわっていた人たちのことが特に取り上げられています。

 第一に、ペテロはこのように言っています(1節)。「キリストの再臨はない」と言いまわっている偽預言者たちは、すなわち、主イエス様が私たちのことを、その命をかけて救い出して下さった恵みを忘れてしまっているのだということなのです。

 第二に、キリストの再臨はないと言っていた人たちは、欲のままに暮らすようになったということです(2節-3節)。キリストはどうせ来ない、それならそれで、好きに暮らしてやろうと思う人たちが現れたのです。新約聖書の時代、人々が信じていたギリシャ哲学の考え方で、神はこの世界を創造したけれども、造ったあとはこの世界には介入せず、放置されているのだという考え方がありました。だから人々は何も恐れることなく、思い思い好き勝手に過ごしていたのです。しかしペテロは言います。ノアの箱舟を思い出しなさい、ソドムとゴモラの滅びを思い出しなさい、神様はこの世界を放置されない。この世界と関わりを持っておられ、やがて悪を裁かれるときは必ず来るのだということです。

 神が世界を放置されない、その確信は何より、私たち自身の実感として、経験として持っています。なぜなら神は、私たちが神に背き、神の御心に反したとき、そんな私たちを許し、何度でも語りかけ、私たちを神の民として引き戻してくださったからです。神は私たちを、自分の民には相応しくないと言って、放置していても良かったのです。私たちがするままに悪をさせ、滅びの日に裁いてしまっても良かった、いや、日なんか待たずして、私たちを滅ぼしてしまっても良かったのです。しかし神はそうされませんでした。しなかったどころか、私たちを救おうと何とか務めて、御子イエス様を送り、私たちの罪を赦す、お前を私の子どもにするとまで言ってくださいました。そしてやがて完成の日には、私たちが神の国で神様と共に生きるようにしてくださいました。神様はこの世界に御子イエス様を送るという最大の働きかけをされたのです。この世界を放置され、滅びるままにはされなかったのです。

 私たちはどうでしょうか。主イエス様がその命をかけて私たちを救われたことを、日ごとに思い出すでしょうか。その恵みがこの心に強くある限り、キリストは再臨されないと言って、自分の欲のままに行動するということはできなくなってしまうのです。神様への感謝の中に、生かされているからです。私たちは先に神様の愛を知った者、キリストに生かされた者、クリスチャンとしてこの世界を生きています。私たちの一番のつとめが、神様の愛に感謝し、この世界を執り成して祈ることではないでしょうか。世界が暗くなって、人々が神なんていないと叫ぶときこそ、私たちは私たちを生かされた神の愛を叫び、この愛の神に仕えて、神様の許しと愛とを人々に伝えていきましょう。