2023年12月3日の説教要約 「インマヌエル」

2023年12月3日の説教要約

                        「インマヌエル」  中道由子牧師

 

《それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ。》(イザヤ書7章10~17節)

 

1、しるしを求めよ

  この預言をしたイザヤは紀元前700年代の南王国ユダで活躍した預言者でした。

7章は紀元前735年頃始まります。ウジヤ王の孫であるアハズが王となりました。

当時の政治的状況は不安定です。

アラム(シリア)のレツィン王と北イスラエル(エフライム)のペカ王は、アッシリアに対抗して2国の間で同盟を結んでいました。

彼らはアハズが自分たちに加勢しなければユダを侵略すると脅しているのです。

アハズの助言者たちは、レツィンとペカに対抗するため、アッシリアの助けを求めるよう促しますが、イザヤはそれは災いだと見て取っています。

 イザヤ書7章3節「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。」

私たちも、何か困った事に直面すると、お祈りの前に、あわてて何かの行動を取ろうとしないでしょうか。どうしたらいいか。あの人に相談しようか。何かいい策はないかと。

しかし神は、静かにして祈ることを求められます。

人間のどんな企てや計画も、神が許されなければ決して成就することはありません。

アラム王レツィンと北イスラエルの王ペカには、ユダに侵略してアハズ王をその座から引きずり下ろし、別の王を立てるという計略がありました。

しかし、神は、かえってユダを滅ぼそうとする北イスラエルが滅びることになると預言されます。7節「主なる神はこう言われる。それは実現せず、成就しない」と。

そして11節では、そのために「しるし」を求めなさいと語るのです。

その特別な申し出に対して、アハズは格好いい答えをするのです。

しるしは必要としません。主を試みるような事をしません、と聖いふりをして、神にしるしを求めることを拒みます。でも実は裏で手を回していました。

当座の危機を逃れるために神の代わりにアッシリアを選び、彼らに助けを求めます。

しかし、神よりも信頼するものがあるなら、結局、その地は荒廃します。

神様の助けなど必要ないというアハズに、イザヤは頼るべきお方は主のみであることを語り、その続きとして語られたのが14節のインマヌエル預言であります。

イザヤは、インマヌエルを語ったあと、「彼が、そうではないか」と期待したインマヌエル君がいました。アハズから生まれたヒゼキヤ王という説もあります。

しかし、イザヤは、やがてヒゼキヤに失望することになります。

預言が語られてから700年以上が過ぎて、この預言のお方が明らかにされたのです。

 

2、処女が男の子を産む

 主はアハズがしるしを拒否すると、ご自分の選んだしるしをお与えになりました。

マタイによる福音書1章22,23節「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」

救い主が処女からお生まれになった。しかも主の天使がヨセフの夢に現れて

マタイによる福音書1章20節「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」と語ったのです。

普通の夫婦の肉体的な交わりを通して受胎したのではない、ということです。

しかし、救い主は人間として生まれなければなりませんでした。

人としての肉体を持つ必要があったのです。

それは、人間の罪を贖うために十字架上で血を流すためです。

そのためにイエス様はきよく汚れのない人とならなければならなかった。

これを可能にしたのが聖霊を父とする誕生でした。

ヨセフを実際の父としなかった理由は、人類の代表としてアダムが負った原罪をイエスの人格が受け継ぐことがないためでした。

聖なる神の小羊であるイエス・キリストの血により私たちの罪が贖われるため、イエスの父は聖霊であり、肉体を持つため処女マリヤが選ばれたのです。

 

3、私たちのインマヌエルの神

ヨセフは天使が命じた通りその子をイエスと名付けました。

エスという名前は旧約聖書に出てくる言葉で言うと、「ヨシュア」です。

ヨシュアというのは、「主なる神はわたしの救いだ」という意味の名前です。

しかし、当時の人々には、ごくごく当たり前の平凡な名前でした。

ですから、当時の周りの人々に、このクリスマスの出来事はちっとも知られていなかった。平凡な、どこにでも起こる一人の男の子の誕生としてイエス様は生まれました。

 もうひとつのイエス様の名前は、「インマヌエル」です。

 インマヌエルとして生まれたイエスは、人を罪から救うために、人と同じ姿になり、人間の世界に住まわれた、わたしのあなたの救い主です。

インマヌエルとは、目に見えない神様が共におられることであります。

目に見える人に頼るのではなく、目には見えないけれども、あなたの側にいてくださる神様がおられます。

  あなたがどんな状況にあってもインマヌエルの神は「恐れるな」「私があなたと共にいる」と語ってくださるのではないでしょうか。

 クリスマスの時だけではない、この一年も共に居てくださったインマヌエルの主に心からの感謝をささげましょう。

2023年11月26日の説教要約 「この方こそわれらの救い主」

2023年11月26日の説教要約

            「この方こそわれらの救い主」    中道由子牧師

 

《それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。》(使徒言行録17章22~34節)

 

17章はパウロの第2伝道旅行で、テサロニケ、べレア、アテネの3つの町のことが書かれております。

 

1、テサロニケ教会の基礎

 テサロニケの町は港町としても重要な所で、経済の上でも、マケドニア地方の最重要地でした。この町はローマの植民都市ではなく、自由都市でした。

したがって、ここにはユダヤ人も大勢いました。

パウロの説教の内容、「キリストの十字架と復活」、そして「イエスこそまことのキリスト、われらの救い主である」という単純でストレートな福音のメッセージは人々の心をとらえたのでした。

私たちは、何か力強いメッセージや優れた知恵の言葉がなくては人に心を動かせないと思いますが、多くのギリシア人が、パウロの説く福音に納得して、その二人に従ったのでした。「従った」とは、「運命を共にした」のです。

 本来ならば、聖書も神も一番よく知っているはずのユダヤ人たちが、その中心的教えに最も強く逆らったのです。彼らは、町のならず者を駆り集めて暴動を起し、パウロたちが滞在していたヤソンの家を襲ったのです。

パウロの伝える福音には、これまで自分たちが守って来たものが覆されてしまうほどの力があることを彼らは本能的に感じ取ったのでした。

 もう一つは、パウロの説教には、ローマ皇帝の勅令に背いて、『イエスと言う別の王がいる』ことを語っていると言っています。

この世の王はそれを好まないため、この別の王とその民たちを抹殺しようとさえします。ヤソンたちは、自分たちが捕らえられ、保証金を支払うことによってパウロとシラスを安全に逃れさせたのでした。

そして、貴婦人たちを含む、ここで救われた人々が、テサロニケ教会を形成する基となったのでした。この命の種である福音の種は、立派に育って、とてもすぐれた教会に成長していったのです。

テサロニケ伝道は大成功でした。

 

2、ベレアの素直な人々

 テサロニケの兄弟たちは、パウロとシラスをこっそりと夜のうちにベレアに送り出しました。ここにも会堂があったので、二人はすぐに会堂に入っていきました。

ところが、ベレアのユダヤ人たちの福音に対する反応は、テサロニケのユダヤ人たちの反応に比べるとはるかに良かったのです。

多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入ったのでした。

そこには3つの良い要因がありました。

1)この人たちは、素直なひとたちだった。偏見を持たない、自由な精神の持ち主だった。真理に対して開かれた心の状態にあったことがわかります。

2)非常に熱心にみ言葉を聞き、受け入れる人たちでありました。

この人たちは、スポンジが水を吸収するようなみ言葉の聞き方であり、聞いたみ言葉を心にとどめたのです。

 ベレアの人たちが素直であったという表現の中に、「ノーブル」「気高い」と言う意味が含まれているというのです。

御言葉を素直に受け取る人には、キリストが持っておられる気高い気質を感じることでしょう。

3)毎日聖書を調べた。

ベレアの人たちは聖書を調べるうちに、信じずにはいられなくなったのです。

ベレアの人たちはどこにイエス様のことが書いてあるか、よく調べたのでしょう。

こうしてベレアの伝道も大成功でした。

 

3、アテネの哲学者

 アテネは、素晴らしい伝統を誇る町です。パウロはここでベレアに残ったテモテとシラスの到着を待っていました。そしてその間に、町を見て回ったのでしょう。

そして、彼はがっかりして、怒りさえ覚えたのでした。

それは、この町の至るところに偶像があるのを見たからです。

パウロは毎日、会堂に入っては、ユダヤ人と論じ合い、広場で居合わせた人と論じ合って伝道しました。哲学の町アテネの人々は論じ合うことが好きでした。

そこでパウロが討論したのが、エピクロス派とストア派の哲学者でした。

 どちらも人生の幸福について説いていましたが、エピクロス派は、快楽主義になり、ストア派は、禁欲主義でした。彼らは本当の幸せはどうしたら得られるのか、きちんと説明できていませんでした。

本当の人生の幸福は、独り子イエス・キリストを通して、その十字架の死と復活を通して神が与えてくださった真の解放であります。

パウロは、公の場、アレオバゴスの議会で説教をする機会を得ました。

しかし、復活と聞いたとたんに人々の心は「それはまた、いずれ聞かせてもらうよ」と嘲笑ったのでした。

十字架と復活を聞いて、人々の反応が分かれた。嘲笑うか、信じるか。

けれども、その中にも信仰に入った人もいました。

「アレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々」です。

 どんなかたくなな地域にもそのような神を求める人がいるのです。

2023年11月19日の説教要約 「エルサレム会議」

2023年11月19日の説教要約

      「エルサレム会議」      中道善次牧師

 

  ≪使徒言行録 15章1~6節≫

 

使徒15章は、エルサレム会議と呼ばれる箇所で、最初の教会会議です。AD49~50年の出来事であります。

この会議で議論された主題は、外国人伝道についてでした。外国人がイエス様を信じて救われるところまでは、コルネリウスの救いで、保守的な人々も理解を示しました。それが使徒11章でありました。

ところが、割礼というユダヤ教信者になる儀式を抜きにした回心は問題ではないかということを言い出した人がいました。15:5によると、それを言ったのは、ユダヤ教の中でも厳格なファリサイ派から信者になった人々でした。

彼らは、外国人でクリスチャンとなった人々にも、割礼を施すべきであると言ったのです。

私たちは、主なる神様が、そしてそこにおられた聖霊様がどのように会議を導かれ、御心をお示しになられたかを、ご一緒に学んでゆきたいと思います。

 

 

1、聖書の幅広さ

アメリカの神学校で学んでおりました時、私の尊敬する旧約の教授が次のように言った言葉を忘れることが出来ません。多くの教団、教派があり、彼らは「私たちの教団は聖書的です」と言います。その通りです。

なぜなら聖書は、多くの教団、教派が主張することを聖書の中にちゃんと記しているのですから。

ペンテコステ系の教会の主張、ホーリネス系の教会の主張、改革派神学の主張など、すべて聖書の中に記されているのです。それは聖書が持つ幅広さなのであります。

使徒言行録15章で、お互いの考えが異なる人々が登場するのですが、聖書はそれらの人々を「信仰者」として受け止めているのです。

一般にも、右から左までという表現がありますが、ここでは信仰姿勢で右から左までの人々が会議に参加しているのであります。

ざっくりというなら、4種類の立場の人々であります。

超保守派    穏健保守派    穏健進歩派    急進派、自由派

超保守派が、割礼派と呼ばれる人々であります。5節に「ファリサイ派から信者になった人」とあります。

穏健保守派は、ここではヤコブであります。彼はイエス様の弟であり、この会議でも議長でした。それが分かるのが、13節と19節であります。ヤコブの手紙を書いたのも、ここに出てくるヤコブであります。

穏健進歩派は、ここではペトロであります。ペトロはご存じのように12使徒のリーダーであります。ここでもペトロの発言が大きな影響力を持っていました。それが7~11節です。ペトロの言葉の影響力が、12節に記されています。「すると全会衆は静かになった」。うんうんと頷いたのです。

最後は、当時では急進派のパウロバルナバでした。彼が主張したのは、神さまの恵みが大切なのだから、私たちはユダヤ教の律法に縛られる必要はない。

今の私たち、プロテスタントからすると、パウロが王道を行くように思います。しかしこの時代は違いました。

キリスト教がスタートしたばかりで、ユダヤ教の母体からようやく出ようとしている時だったのです。

この時の主流は、よりユダヤ的な生き方を重んじる人々であり、ヤコブがみんなからの尊敬を受け、会議の議長をしていたのです。

パウロの態度、発言が過激で、受け入れられない人たちが大勢いて当然だったのです。

ここを見てわかるのは、スタートした当初から、今のような教団教派のような立場の違いが見られたのです。

第一ポイントから聞き取るメッセージは、聖書の幅広さです。そしてそれを私たちの身に着けることです。

急進派とみられていたパウロは、敵対する勢力と思える人々のことも認めていたのです。

それはフィリピへの信徒の手紙1章14~18節です。そこをお読みします。

フィリ1:14 主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。15 キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。16 一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、17 他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。18 だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。

 

 

2、お互いの違いを認めた人々

この会議で大切なことは、相手の立場を尊重して、対話が出来ることであります。

先ほどの4グループで言うなら、直接対話が難しいのが、ファリサイ派から信者になったグループとパウロバルナバを支持する人々であります。

A、B、C、Dで言うなら、AとDで距離があったのです。しかし橋渡しをしてくれる人がいたのです。

それが保守的穏健なヤコブであり、進歩派で穏健なペトロだったのです。

ペトロが15:7~11で発言すると、みんなが静かになったのです(15:12)。

そしてヤコブが、それらの発言を受けて、聖書の中から引用するのです。

それが16~18節です。これはアモス書9章11~12節の引用であります。

穏健保守派のヤコブが、権威である旧約聖書を引用した。

そして19節で結論を述べるのです。

使徒15:19 それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。

しかし、律法を重んじる人々への配慮も忘れていない。それが20節です。

使徒15:20 ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように、

ヤコブは、お互いの違いを認め、それぞれを尊敬するように結論を出したのです。

保守的なヤコブは、異邦人の救いを認めながらも、異邦人からの回心者が、恵みによって救われたのだから何をしてもいいのだというようにならないため、20節の言葉を言ったのです。

そしてヤコブパウロもまた、お互いの立場を超えて、尊重し合ったのです。

一般的な理解で言うなら、ヤコブが手紙で書いていることとパウロが言っていることが正反対のように思えるのです。

例えば、ヤコブ2:14 わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことが出来るでしょうか。

「信仰のみ」を言っているパウロと正反対のことを言っているように思います。

しかしそうではありません。パウロの教えを誤解する人たちがいたのです。彼らは、信仰さえあれば、行いはどうでもいいと言ったのです。ヤコブの言葉は、パウロの教えを正しく理解しない人々への警告だったのです。

パウロもまた、信仰と共に行いが大切であると述べているのです。

それがガラテヤの信徒への手紙5章6節です。「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。

極端な律法主義者は、割礼があればいい。律法を持っていればいいと言いながら、実践しなかったのです。大切なことは、愛の実践を伴う信仰、両者はそこで一致していたのです。

彼らが互いを尊敬するもう一つの個所があります。

使徒21章で、ヤコブパウロのことを心配し、誤解を招かないように助言したのです。使徒21:18~26

使徒 21:18 翌日、パウロはわたしたちを連れて、ヤコブを訪ねたが、そこには長老が皆集まっていた。 19 パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。20 これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。21 この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣例に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。22 いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。23 だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。24 この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活をしている、ということがみんなに分かります。25 また、異邦人で信者になった人たちについては、わたしたちはすでに手紙を書き送りました。偶像に献げた肉と、血と、絞め殺した動物の肉とを口にしないように、また、みだらな行いを避けるようにという決定です。」26 そこで、パウロはその四人を連れて行って、翌日一緒に清めの式を受けて神殿に入り、いつ清めの期間が終わって、それぞれのために供え物を献げることができるかを告げた。

 お互いが相手のことを配慮しあうのです。それぞれの立場の違いを認め合いながらです。

 

 

3、会議で決めたことを守った人たち

 第三ポイントで学びたいことは、会議で決めたことを守る大切さです。

 決めたことを、決めた通りに行う。それが聖霊を崇めることです。

 何故なら、会議の締めくくりでヤコブが言ったのです。みんなで決めました。それだけなら単なる民主主義です。しかし使徒15:28でヤコブは次のように言っています。「聖霊とわたしたちは、〇〇のことに決めました。」

 そしてそれが実行されたのが、パウロの弟子の一人であるテトスのことでありました。

テトスは、パウロバルナバが伝道していたアンティオキアの出身で、アンティオキア教会でパウロによって救い導かれたと想像することができます。

パウロがテトスを導いたことは、次の言葉から分かります。

テト 1:4 信仰を共にするまことの子テトスへ。

不思議なことにテトスの名前は使徒言行録には出てきません。

しかしここにテトスがいたであろうと想像できる箇所があります。それが今日の個所です。

使徒 15:1 ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣例に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。

使徒 15:2 それで、パウロバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と争論とが生じた。この件について、使徒や長老たちと協議するために、パウロバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムに上ることに決まった。

エルサレム会議の結論は、「割礼なしでOK」でした。

使徒 15:19 それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはいけません。

その会議の結論通りに対応されたのが、テトスに対してでありました。

ガラ 2:1 その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。

ガラ 2:3 しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。

テトスは、異邦人クリスチャンの代表、あるいは初穂、最初の救われた人と呼ばれる人でありました。

異邦人の中から救われたテトスが、割礼を受けないで、そのままでクリスチャンとして認められて嬉しい。

そのような喜びが伝わってくるのです。

そして、エルサレムの人たちは、自分たちが会議で決めたことを大切に守ったのです。

それが教会を大切にすることです。教会で決めたことを大切にすることです。

それは自分たちの決めたことを大切にするだけでなく、それを導いて下さった聖霊を重んじることであります。

2023年11月12日の説教要約 「生ける神に立ち帰るように」

2023年11月12日の説教要約

                        「生ける神に立ち帰るように」  中道由子牧師

 

《あなたがたがこのような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。》(使徒言行録14章8節~20節)

 

1、自分の足で立ちなさい

 パウロの第一伝道旅行のリストラで起こった事件です。

ここで彼らは、まず生まれながら足のなえた、歩いたことがない人に出会います。

彼は、パウロの説教に耳を傾けて聞いていたのです。

9節に「この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、」とあります。

パウロは説教しながらも、自分の語る一言一言を吸い込むようにして熱心に耳を傾けている一人の男に気づいた。そして、彼の内に、み言葉に対して率直に反応する信仰の純粋さのようなものがあるのを見て取ったのでしょう。

 説教を語るというのは、ある意味で人々にチャレンジを与えるものだと思います。

み言葉が受け取れなくて、反発している反応を感じてしまうこともありますが、

その中で、やはり語る言葉が吸収されていく、そしてその会衆によって準備していた以上の説教が引き出されていくこともあります。

 10節でパウロが「自分の足でまっすぐ立ちなさい」と大声で言うと、その人は躍り上がって歩き出したのです。

 彼は福音を受け入れている人だったので、パウロも信仰によって自分で立つように命じたのでした。信仰が先に与えられた結果、癒しが起こったのです。

神様はその人その人の霊的状態をご存じで、一人一人を導かれます。

  

2、ゼウスとヘルメスの再来か

 リストラの人々はあまりにもその奇蹟が驚きであったためか、声を張り上げてパウロたちのことを「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言い出したのです。

そればかりか、バルナバが品位もあり風格も備わっていたせいか、彼をギリシャ神話の主神ゼウスと呼び、パウロからは「おもに話す人」という印象を受けたので、神々の使者、雄弁の神として知られるヘルメスと呼んだのです。

そして、ゼウス神殿の祭司まで連れて来て、二人にいけにえを献げようとしたのです。

人は神に造られた存在ですから、神にはなれません。

仏教では死んで仏になり、成仏して神になるそうですが、その成仏した神は天地創造の神とは違う存在です。いずれにしても土の器である私たち人間が、陶器師である神に向かって何を成すことができるでしょうか。

 ここで、民衆が自分たちを神に祭り上げようとしているのを知ったバルナバパウロは、憤りや嘆きを表すユダヤ人の習慣に従って自分たちの上着を引き裂いて、群衆の中に駆け込んで行って語り出します。

 

3、パウロの異邦人向け説教

 ここでのパウロの説教は、予期しなかった事態を収拾するために、いわばぶっつけ本番的に語ったものでした。

この時、パウロは、ユダヤ人の時とは違って、旧約聖書を引用しませんでした。

聴衆が異邦人だからです。

「生ける神に立ち帰るように」と言って、この「生ける神」とはどんなお方か、彼らが理解できる方法でパウロは3つの面から紹介しています。

 まず第一に、このお方は人間を含め、天地万物を造られた創造者なる神だということ。

 第二に、この「生ける神」はまことに忍耐深い、寛大なる神を紹介しています。

 第三に、この神は恵みをくださり、天から雨を降らせて実りの季節を与え、食物をほどこして、人々の心を喜びで満たしてくださる、自然界を支配しておられるお方である。

 この創造者なる「生ける神」が、なぜこのように寛容で恵み深いのかと言うと、人々がむなしい偶像礼拝を捨てて、「生ける神」に立ち帰るようになるためです。

私たちはこの「福音を告げ知らせている」宣教師だとパウロは説明したのです。

リストラでの伝道は、思いがけない迫害から突然終わることになります。

 

4、信仰のフォローアップ

 そしてその翌日、パウロバルナバと共に次のデルベと言う地に向かったのでした。

それから二人は、いろいろと問題の起きた地、リストラ、イコニオン、アンティオキアと、来た道を引き返していったのです。

またどのような目に遭うかもしれないという危険も顧みず、その地の弟子たちを訪れては「この信仰に踏みとどまるように励ました。」(22節)のです。

今日の言葉で言うならば、フォローアップです。彼らは信仰のアフターケアーのために、もう一度時間を割いたのでした。

その中で彼らは、自分たちの経験を生かし、またこれから直面するであろう患難を予測しながら、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」(22節)と語ったのです。

さらに自分たちがいなくなっても、教会をしっかり守って運営し、活動していけるようにと、二人は教会ごとに長老たちを選んで任命したのです。

適切な人を選び祈って、主にお委ねしたのです。

いかに彼らが後に残していく教会を愛し、心に深く重荷として覚えていたかが伺えます。パウロバルナバは「彼らをその信ずる主に任せた。」(23節)のでした。

2023年10月29日の説教要約 「アンテオケ教会」

2023年10月29日の説教要約

     「アンテオケ教会」        中道善次牧師

 

 ≪使徒言行録 13章1~3節≫

 

今日は、使徒言行録13章から学びます。パウロが主人公になって描かれる最初の章であります。今日はここから、教会ということと宣教ということを学んでまいりたいと思います。パウロが宣教に派遣された教会の名前は、協会共同訳ではアンティオキアになっております。しかし今日の説教では、口語訳で使われてきた名称のアンテオケ教会とさせていただきます。ある宣教団体の名称も、アンテオケ宣教会と言っております。

 

1、パウロの教会生活

  パウロが自分の救いのことについて述べているのがガラテヤの信徒への手紙です。

  使徒言行録では、ダマスコに行く途中に光に打たれ、イエスと出会ってパウロは回心したのですが、ガラテヤの信徒への手紙では、次のように表現しております。

ガラ 1:11 兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は人によるものではありません。

ガラ 1:12 わたしたちはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。

ガラ 1:13 あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。

ガラ 1:14 また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。

ガラ 1:15 しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに

ガラ 1:16 御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、

ガラ 1:17 また、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。

パウロは、自分の救いは人によらない。直接神さまに触れられた。そして異邦人の使徒となったというのです。

さらに、彼は救われてすぐに、アラビアに行った。そこでは自分の救いのことを振り返り、黙想する時を持ったと一般に言われております。ある人は、パウロはどこの神学校にも行かず、荒れ野で神様から教えられたのだというのです。

しかし、違う角度からここを読むと、次のように言えます。パウロ先生、あなたの確信の強いのはいいです。

救いも、召しも、神さまから直接受けた。そうかもしれません。そして誰にも相談していない。しかし、主だった指導者は自分のことを認めてくれた。そう書いておられます。それは、個人的な確信は強いけれども、独りよがりになりはしませんか?

確信の強いパウロでしたが、一つ欠けていたことがありました。

彼は、教会を通して救われていない。アナニアとバルナバが、彼と関わりましたが、いわゆる、教会生活をしていない。そのパウロに手を差し伸べたのがバルナバでした。

使徒11:25~26 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。

バルナバは、パウロに母教会を与えたのです。パウロに教会生活をさせたのです。

母教会を持つ。所属教会を持つ。これは宣教の働きをする人にとって、とても大切です。教会生活で大切なことは、祈ってもらうことであり、支えてもらうことであります。それが、宣教師にとってはとりわけ大切なのであります。

パウロは、友人バルナバによって教会を与えてもらったのです。彼が属する教会。彼を支える教会。彼を送り出す教会です。

長澤たかふみさんの歌の中に、♪イエスが愛したように♪があります。 その賛美の折り返しは、♪共に支え合い 共に助け合う イエスの愛で 共に祈り合い 共に笑い合う イエスの愛の中♪

 

2、アンテオケ教会は国際教会

  9月の中旬、岐阜で持たれましたJCE7、日本伝道会議は、「おわり」から「始まる」宣教という題でした。

黙示7章には、天の大群衆が賛美している光景があります

黙 7:9 この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数え切れないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、

黙 7:10 大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」

黙 7:11 また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、

黙 7:12 こう言った。「アーメン、賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように アーメン。」

 天上の賛美の姿。それは言語、文化、肌の色を超えて、みんな一つになって神を賛美しているのです。

 これが私たちの目指す「おわり」、つまり、ゴールだというのです。

 木曜日、私は娘に頼まれ運転手としてOMの宣教チームを富士山に連れてゆきました。鵠沼の青年二人も助けてくれました。チームの背景は、メキシコ、ドイツ、フィリピンというインターナショナルでした。英語、ドイツ語、タガログ語、そして日本語。ああ、ロゴス・ホープ号は、みんなが一つになる。そして神を賛美する「おわり」の姿を表している。船で一緒に生活するのですから様々な現実を乗り越えなければならないのですが、彼らはそれを乗り越えて、仲良く、主に仕えているのだと思いました。

 

3、ミッション・マインドをもつ教会

  パウロは、救われた後、アンテオケ教会に所属して教会生活を送りました。そしてアンテオケ教会は、「おわり」の姿を映し出す教会でした。

  使徒13:1 バルナバは、ユダヤ人です。ニゲルとは黒人のことです。キレネ人とは、アフリカのリビアチュニジアあたりです。領主ヘロデと一緒に育ったとは身分の高い人でありました。サウロは、離散のユダヤ人、ギリシア語を話すユダヤ人のルーツを持っていたのです。

  インターナショナル教会であるだけでも十分素晴らしいのに、彼らは、それで満足していなかったのです。

  メインの教師であるパウロバルナバを宣教の旅に遣わしたのです。

  もちろん、ここではずっと長期間送り出すわけではなないのですが、バルナバの故郷である地中海のキプロス島に出かけて行ったのです。

  宣教に出かける教会、宣教師を送りだす教会だったのです。

  だからこそ「アンテオケ」という名称は、宣教にふさわしいのです。

  7年間、一緒に茅ヶ崎で伝道したスパードル宣教師の主張は、教会はミッション・マインドでなければならない。

  ミッション・マインド、それは、宣教を志す教会でなければならないということです。

これからも宣教を目指す教会でありたいと思います。

2023年10月15日の説教要約 「天のふるさと」

2023年10月15日の説教要約

                        「天のふるさと」    中道由子牧師

 

《ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望したいたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。》(へブル人への手紙11章13節~16節)

 

1、信仰によって

この手紙全体で「信仰」と言う語は32回使われていますが、11章だけで24回、そして「信仰によって」という言葉が18回記されているのです。

 肉眼は目に見えるものだけを確信させますが、信仰は肉眼で見えない神の本質を確信するわけです。

目に見えないものをどうして確信できるのか、と言う人がいますが、私たちが持っている希望も愛も目に見えないけれど実在します。信仰も同じです。

天の希望は、信仰があってのみ、生きて働くものです。

ここには、目に見えないものを確信させるものです、とありますが、それは「将来に起こることを確かなものとしてつかむ手であり」と訳している聖書があります。

私たちが希望として持っているものは、みな目に見えないものです。

神、イエス・キリスト聖霊、天にあるものはみな、物理的に見ることはできません。

それらは科学的に検証することもできません。

しかし、私たちはやがてこの地上での生活を終えた後、天国へ行くことができると確信しています。それはどのようにしてかというと、信仰によってです。

それをしっかりとつかむことができる手は信仰にほかなりません。

なぜそのように確信することができるのかというと、それは、私たち信じる側に何らかの根拠があるからではなく、信じている対象である神が確かなお方であられるからです。

科学的に物事を認識しようとする人は、目で見て、耳で聞いて、手で触れて確かめますが、信仰という目で見る人は、肉眼で見ることができないものでも、そこに確かな証拠を見ることができるのです。

私たちが信仰で見る確かな証拠、それは、神が私たちを救ってくださったという事実です。神はそのためにひとり子さえも犠牲にして、私たちが受けなければならない罪の身代わりとして十字架で死んでくださったほどに私たちを愛してくださった方だからです。

その方が私たちのために聖書を通して約束してくださっている、そこに確かな証拠があるのです。将来起こることは目で見ることはできませんが、神が約束してくださったこの聖書によって確かなものとしてつかむことができるのです。

「信仰」とは、神が言われたこと、また神が願っておられることを、そのまま自分の心に受け入れて、なんの疑いもせず、そのとおりになると確信することではないでしょうか。

将来何が起こるか、私たちには何もわからないのですから、思わぬことが起こると私たちはどうしていいかわからなくなってしまいます。

信仰によって私たちは、自分で頑張って自分の人生を何とかするというところから、神に自分の人生を委ねる人生に導かれていくのです。

 

2、更にまさる故郷

 2節に「昔の人々はその信仰によって称賛されました。」とあります。

神を信じて生きた昔の人々、つまり、旧約聖書の中で信仰に生きた人たちのことです。

アベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブモーセヨシュア、ラハブ、

そして32節には、「これ以上、何を言いましょうか。」と、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエルと続きます。

 信仰によって勝利を経験することもありますが、苦難や栄光の死に至ることもあります。この世で嘲られ、鞭で打たれ、鎖につながれ、牢に入れられたエレミヤやアハブ王時代のミカヤ。石で打たれて死んだゼカリヤ、伝承によればイザヤはのこぎりで引かれたそうです。動物の皮を着て歩き、圧迫を受けていたエリヤなど。

みな信仰の人と認められていましたが、新しい契約の成就、イエス・キリストの降臨を知らないで、しかし救い主を望み見て天の故郷に帰って行ったのです。

私たちは今、イエス・キリストによって新しい契約の成就を味わっています。

イエス・キリストによって罪赦され、永遠に生きる者とされるのであります。

11章13節「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたがはるかにそれを見て喜びの声をあげ」た、とあります。

 旧約時代の聖徒たちは皆、真実な神の約束を確信して生き続けたのです。

そして、死に際しても、死は生涯を共に歩んだ神のみ前に、より近くいることと受け止めていました。

 また、彼らは、地上では寄留者であり、旅人であると告白していました。

14節「このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。」

旧約の父祖たちは皆、この地上の生活は永遠に向かう巡礼の旅のようで、自分たちの国籍と地位は天にあることを知っていました。

旅人は当時、異邦人とか外国人を意味する言葉で、彼らは苦しい立場に置かれていました。「寄留者」は、永住する土地を持ちながら、今いる土地には自分の家や財産を持たない人たちのことです。

天の御国を目指して旅するクリスチャンは、この世において不自由やある時は屈辱を味わうこともあるかもしれませんが、この世の名誉や財産には執着しない者であるということです。

クリスチャンは、地上に生きている時も天にあるものを望んで天を仰いで生きている人たちでしょう。

神様はその人たちに、16節の「更にすぐれた故郷」を約束しておられるのです。

2023年10月8日の説教要約 「二重の確証」

2023年10月8日の説教要約

            「二重の確証」          中道善次牧師

 

 ≪使徒言行録 10章1~8、17~20節≫

 

今日は、主が出会わせてくださった素敵な出会い、コルネリウスとペトロから学びます。使徒10章であります。

コルネリウスが駐屯していたカイサリヤから、ペトロが滞在していたヤッファまで、50キロ弱の距離がありました。

最初にコルネリウスの使いがヤッファのペトロのところにやってきて、一泊しました。翌日ペトロはヤッファを出発し、カイサリヤでコルネリウスと会いました。そしてカイサリヤでコルネリウスたちの洗礼式がもたれたのであります。ユダヤ人と異邦人の間の大きな架け橋が、カイサリヤとヤッファの間でかけられたのです。

その中心になる御言葉は、使徒10章34と35節であります。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」。

日本人である私たちがイエスを信じて救われるというのは、このコルネリウスの救いの出来事抜きにありえないのです。ユダヤ人でない者がイエスを信じて救われる。その最初の出来事であったのです。

今日は、コルネリウスとペトロの出会いの物語は、宣教の神学の宝庫と呼んでもいい個所であります。ここからいくつもの宣教の考えが出てまいります。ここから学びたいと思います。

 

 

1、ユダヤ教の求道者コルネリウス

2節でコルネリウスのことを「信仰心あつく」、口語訳では「神を敬う人」と表現しています。

神を畏れていたコルネリウスは、ユダヤ教の求道者でした。ユダヤ教に改宗して、割礼を受け、ユダヤ教の清めの儀式である洗礼を受ければ、どこの国の人であっても、ユダヤ教徒になるのです。しかしまだそこまでは至っていません。それでも、信仰心あつく、いつも祈り、貧しい人々に施しをしていたのです。

ユダヤ教の神殿でいうなら、コルネリウスは、異邦人の庭と呼ばれる場所に入って、祈り、礼拝していたのです。イエス様が、両替人や犠牲の動物を売る人々を追い出されたのは、異邦人の庭がそれらの人々に占領されていたからです。

宮清めをされたイエス様のお心は、外国の人が、神を求めることができないようにしている事が許せなかったのです。

このままコルネリウスユダヤ教を求めていっても、幾つもの民族的、文化的な壁に阻まれて、神様に近づくことが出来なかったのであります。

ペトロはコルネリウスを導き、洗礼を授けたのです。コルネリウスは、ユダヤ教を飛び越えて、クリスチャンになったのです。

コルネリウスの救いが認められたのは10章47節です。「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼(バプテスマ)を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。

神様は、神を求めている人々に遠慮しないで私のところにきなさいとおっしゃるのです。

また、ほかの人が神様に近づくことを止めてはいけないとおっしゃるのです。

 

2、神が出会わせた人々

私は2005年から、毎年クリスマスの時期に、白洋舎の関連会社のクリスマス集会にお招きを受けておりました。

白洋舎はクリーニングの会社で、五十嵐健二さんが創業者であります。

五十嵐健二さんのご子息の一人に有爾さんがおられます。有爾さんとは親しくさせていただきました。ウクレレ奏者です。五十嵐有爾さんから、ずいぶん前に一つのテープをプレゼントされました。ウクレレ伴奏の賛美のテープでした。そしてそこに三浦綾子さんとの対談も含まれています。

対談のテープの中で、三浦綾子さんがおっしゃった言葉に心が止まりました。「神様は、この人と他の人とを出会わせたいと思われたなら、どんなにしても出会わせてくださる」。

その言葉だけでも十分、神様の恵みを感じる言葉でありますが、三浦綾子さんが、五十嵐健二さんの人生を小説にされた「夕あり、朝あり」のあとがきを読むと、それがいっそうよくわかるのです。

小説の「あとがき」には、二人の出会いの様子が書かれています。

「人生は出会いで決まる」といわれますが、三浦綾子さんの人生は、何人かの素晴らしいクリスチャンとの出会いによって決まったのです。クリスチャンとの出会いが、彼女の人生を変えていった。祝福につながっていったのです。

私は、ペトロとコルネリウスの関係もそうだと思うのです。神様がどうしても出会わせたい二人だったのです。そしてこの出会いを通して、キリスト教は、ユダヤの一宗教から世界的な宗教へと飛躍していったのであります。

「神が出会わせたい人」があなたにもあります。この真理は、ある特別な人々だけでないのです。あなたの人生にも、神様がご計画の内に出合わせてくださった方がいるはずです。あの人との出会いが、私の人生を大きく変えた。祝福のきっかけとなった。

 

 

3、ユニークな宣教の神学

コルネリウスの出来事は、宣教の神学の宝庫であると最初に申しました。出会わせたい二人を出会わせられる。これもその一つでありますが、第三ポイントでは、フラー神学校、またトリニティ神学校で、宣教学を教えておられた教授のメッセージを紹介したいと思います。

ポール・ヒーバートという文化人類学を専門とする宣教学の教授は、コルネリウスのような人物を「隠れた求道者」と呼びました。コルネリウスは、誰かにキリスト教のことを紹介されたわけではない。ローマの兵隊ですから、クリスチャンになった人が、彼が導かれるように祈っていたというのとも違います。

これをT&M、訓練と増殖というOMSが推進している働きでいうなら、「平和の子」であります。平和の子とは、神様に心が備えられている人であります。

またOMSの元宣教師ダイヤ先生の発見した法則で言うなら、「神の三角形の法則」に通じるところがあります。

神様が直接導かれたのです。聖霊様がコルネリウスの心に働きかけ、神様に対して心が開かれていた。ペトロがしたのは、行きなさい。そして彼を導きなさいと言われて行っただけです。神様が主導権を取っておられるのです。

私たちの周りにも「隠れた求道者」「平和の子」と呼ぶことができる人がいるのです。

もう一人、私がフラー神学校で学んでいた時に教えておられたロバート・クリントン教授は、コルネリウスの物語から「ダブル・コンファーメーション」という神の働きを示されました。ダブルは二重です。コンファーメーションは、飛行機のフライトの確認で使うコンファームと同じです。二重の確証、日本語ではそのように訳せる言葉です。

ペトロとコルネリウスの出会いはスムーズでした。何故なら、神様はまずコルネリウスに語りかけ、ペトロと言う人を招きなさい。そのように言ったのです。

次にペトロに対しては、汚れた動物を食べなさいと言う幻を夢の中で見せた後で、聖霊様の語りかけを聞いているのです。19と20節です。

使徒 10:19~20 ペトロがなおも幻について考え込んでいると、“霊”がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」

神様は、二人が出会うことができるように、それぞれの背後で働きかけて、成立させたのです。お互いが出会った時、神様が示しておられたのは「この人だ」とわかったのです。これをダブル・コンファーメーション、二重の確証、あるいは確認というのであります。

この度の日本伝道会議でも、そのような出会いを経験しました。

神様が、T先生と出会わせてくださった。その背後に、神様の御手を感じたのでした。