2023年12月31日の説教要約 「会堂長の救い」

2023年12月31日の説教要約

     「会堂長の救い」     中道善次牧師

 

使徒言行録 18章8~16節≫

 

今日は、パウロが第二次宣教旅行で1年半滞在したコリントでの出来事から人々との出会いを取り上げて学びたいと思います。

 

1、空回りしたパウロ

コリントに来る前、パウロアテネで伝道しました。

ここでは、珍しいと言っていいほど、結果は芳しくありませんでした。

使徒17:32~34 死者の復活と言うことを聞くと、ある者は嘲笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼に付いて行って信仰に入った者も、何人かいた。 

パウロのメッセージの内容がギリシア人に届かなかったということがあります。

しかしもう一つ、パウロが空回りした理由がありました。それは、ここで彼は単独でメッセージを語ったのです。

使徒17:16には パウロアテネで二人(シラスとテモテ)を待っている間に、とあります。

ほとんどの場所で、チームとして働いてきたのに、パウロはここで、一人でアテネのアレオパゴスに立ってメッセージを語ったのです。

エス様は、12弟子を集められた時、彼らを宣教に遣わしました。その時も二人一組だったのです。

私がこのことを学んだのは、ビル・ハイベルスと言う方が書いた本、「勇気あるリーダーシップ」でした。

ハイベルス先生は、チームで働くときに大切なCの一つがケミストリーだと言ったのです。直訳すれば、化学です。しかし日本語訳では、「相性」となっています。「相性」だとすんなり理解できるのですが、神さまはただ仲良しグループに働かれるのではないのです。

ケミストリーと言う言葉は、今、一般にも使われます。サッカーのようにチームで行うスポーツで使われます。それは化学反応です。1+1が2以上になる。

私たち信仰者の視点で言うなら、1+1を2以上にするのは聖霊様がおられ、主の働きがあるからです。

パウロはここでは、一人でした。1はどこまでも1です。パウロは、チームで働くことに大切なことを身にしみてわかったと思います。

 

2、良き協力者との出会い

 誰か助けてくれる人を送って下さい。主にある友と出会わせてください。一人コリントに行ったパウロは、そのような気持ちで過ごし、祈っていたと思います。

そのような時、神さまはパウロに素晴らしい友、仲間と出会わせて下さった。それはアキラとプリスキラでした。

 使徒18:1~3 その後、パウロアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。

彼らは献身的な夫婦でした。立場としては信徒でしたが、信徒伝道者と言えるほど、聖書の知識も豊富でした。パウロは、ここで新しいチームを作ったのです。

彼らは、開拓伝道をパウロと一緒に行ったのです。

もう一つ、ローマ16:3を見ると、彼らは、命がけでパウロを守ってくれたとあります。

もう一人、素晴らしい人との出会いがありました。

それは使徒18:7に出てくるティティオ・ユストであります。

この人の家は、ユダヤ教の会堂の隣にあったのです。そして彼は神を崇める人であったとあります。

彼は、生まれはユダヤ人ではなかったのですが、ユダヤ教に心を惹かれて、ユダヤ教を求めていたのです。

しかし、彼もコルネリウスと同じく、ユダヤ教を飛び越えて、クリスチャンになったのです。

 ラムゼーと言う有名な聖書学者は、ティティオ・ユストのミドルネームは、ガイオであると言うのです。

もしそうであるなら、1コリント1:14で、パウロが洗礼を授けたクリスポとガイオは、使徒18:7~8に出てくるティティオ・ユストと会堂長クリスポであったことになるのです。

ティティオ・ユストは、自分の家を提供して、ここで御言葉を語って下さいとパウロに言ったのです。

これは大変勇気のいる行動でした。テサロニケでは、パウロを泊めたヤソンの家が襲われたのです。

 

 

3、四つの家の教会

次に1年半滞在したコリント教会の姿を見たいと思います。

アメリカの大学院で学んでおりました時、次のような興味深い研究がなされていることを知りました。

学者によりますと、コリント教会は、パウロが関わった教会の中で、一番大きい教会かもしれない。

その人数は、70~80名ほどと推測されるのです。その根拠は、4つの家の教会が基礎になっていたのです。

ティティオ・ユストの家(使徒 18:7)

クロエの家(コリ1 1:11)

ステファナの家(コリ1 1:16)

アキラとプリスカの家(コリ1 16:19)

 

4、会堂長の救い

四番目に注目したいのが、クリスポとソステネという二人の会堂長です。

クリスポがクリスチャンになったことは、使徒18章8節ではっきりと書かれています。

ユダヤ人たちはクリスポ(8節)の後任の会堂長としてソスネテを招いたのでした。

ソステネの名前が出てくるのは、17節です。

使徒18:17 すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。

名前が出て来た時には、彼はユダヤ人たちから打ち叩かれた、とあるのです。

これはどのような背景があったのでしょうか?

それは、パウロが、ユダヤ教の会堂の隣の家で伝道をしたからです。前の会堂長クリスポもクリスチャンになってしまった。クリスポの後の会堂長ソステネが着任してからもパウロは、約一年半、コリントに腰を落ち着けて伝道したのです。それは会堂の隣のティティオ・ユストの家でなされたのです。

怒りを、自分たちの訴えを取り上げなかった総督ガリオンに向けることが出来ないので、ユダヤ人は、怒りの矛先をソステネに向けたのです。これはもう、八つ当たりです。うまく行かないのはみんな会堂長ソステネのせいだ。

学者は言うのです。ソステネはむち打たれただけでなく、解任され、コリントの町から追放された。

そのようなソステネに神様の慰めが注がれたのです。彼は、ユダヤ教に背を向け、回心して、イエス様を信じるだけでなく、パウロの弟子として一緒に伝道について行くようになったのです。

それが分かるのが、コリント人への第一の手紙です。

パウロは、一緒に伝道しているソスネテの名前をコリント人への手紙に書いたのです。

1コリント 1:1 神の御心によって召されてキリスト・イエス使徒となったパウロと、兄弟ソステネから。

コリントの人たちは、この手紙を読んでソステネの名前を見たとき、エーとびっくりしながら、神様に感謝したことを思うのです。神様のなさることは、驚き以外の何物でもないのです。

2023年12月24日の説教要約 「ひとりのみどりご」

2023年12月24日の説教要約

                「ひとりのみどりご」     中道由子牧師

 

《ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威は彼の肩にある。『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。 》(イザヤ書9章1~6節)

 

1、大いなる光

預言者イザヤが生きていた時代、紀元前8世紀にイスラエルとユダを襲った戦争は、無政府状態、霊的混乱の暗闇の中で終わりました。

高慢でかたくなな心を持つイスラエルの民は、神の言葉をないがしろにして、拒みます。神様は何度も彼らに預言者を通してみ言葉を送り、勧告を与えます。

でも、彼らは裁きが臨んでも、自分たちの力で十分に回復できると大言壮語します。

神は彼らの高慢とかたくなさをへし折るために、アッシリアの王を立ち上がらせます。

アッシリア軍は、イザヤがユダの王アハズと会ってから数ヶ月で北イスラエルの領土、ゼブルンとナフタリを制圧しました。北イスラエルの領土です。

しかし、民は国が滅ぼされても主に立ち返りません。

アッシリアは、神の民を裁くために主が用いられた道具に過ぎません。

私たちの人生の中で私たちが謙虚になるために神が人を用いられることがあるでしょう。

しかし、ここで主がご自分のわざを成し遂げられると、アッシリアもまた、アッシリア自身のかたくなな心と高ぶりにより、裁かれることになります。

ゼブルンとナフタリの地は、異邦の民の影響を最も多く受ける場所でした。

そこには霊的な苦難だけでなく、戦いの痛みや圧政者の暴虐による苦しみがありました。

 今から2700年前も人々は闇の中にいました。

しかし、主はイザヤに、その闇の向こうにあるものを預言させたのです。

 このイザヤ書 9章1~7節はイエス・キリストにより成就しました。

マタイによる福音書4章12~17節「イエスは、・・・、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。』そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた。」

 主は最初にゼブルンとナフタリ、ガリラヤの地で福音を伝えたのです。

あの過去にアッシリアによって制圧されたゼブルンとナフタリで。

これは預言者イザヤを通して言われた事が、このように成就するためでした。

このナフタリとゼブルンの地に700年くらいを経て、大逆転が起こったのです。

現在私たちが直面し、経験している闇、辱め、苦しみは何でしょう?

神様は、主を信頼するあなたに逆転の恵みを与えてくださいます。

 

2、4つの名前 

闇を照らす光としてその方は、ひとりのみどりごとしてお生まれになられます。

そして、ひとりの男の子として、私たちに与えられます。

これはイエス・キリストによって成就しました。

エスは100%神であり、100%人間です。

イザヤはそのような方がメシヤとして来てくださると預言したのです。

ここには、この方がどのような方であるのかが、四つの呼び名で表されています。

まず第一に、この方は「驚くべき指導者」、ワンダフル・カウンセラーです。

エスは私たちの心の中で考えていることも含めて、私たちのすべてを知っておられ、私たちの人生における完全な計画も持っておられ、その道を示してくださる。

私たちにとって何が最善であるのかを知って、その道に導くことができるのです。

この方はただアドバイスをしてくれるだけでなく、そのアドバイスを実行する力を持っておられる「力ある神」です。アドバイスをされたら、そのアドバイスをあなたが実行するために必要な力を与えてくださいます。この方は無から有を、すべてのものを造られた創造主なのです。この全能の力をもってあなたを助けてくださいます。

それから、ここには「永遠の父」とあります。

赤ちゃんとして生まれてきますが、父でもあるのです。

父親とはどういう存在でしょうか。

皆さんも父親ならばわかるはずです。子供が悲しんでいたら、子供が傷ついていたら、父親であるあなたの心は動きます。子供が何かで悩んでいたら、何とかして助けてあげたいと思うものです。イエス・キリストは父親の心を持って、悲しんでいるあなたを、苦しんでいるあなたを、必要を抱えているあなたを、黙ったまま傍観しておられる方ではありません。私たちの救い主、イエス・キリストは父の心を持っておられます。

そして、ここには、永遠の父とあります。単なる父ではなく、永遠の父です。

肉の父親は年を取るとこの世を去って行かなければなりません。

しかし、イエスは永遠の父として、この世の終わりまであなたとともにいます。

そして、キリストについてここにはもう一つの呼び名で紹介されています。

それは「平和の君」です。この方は平和の王として来られました。

この地上には、どこを見ても平和はありません。多くの戦争が繰り返されています。

この平和はお金で買うことはできません。ただ十字架に付けられて死なれたイエス・キリストを信じ、神と和解することによってのみもたられます。

キリストは、ご自分の死によって敵意を廃棄されました。それは平和を実現するためであり、私たちが神と和解するためでした。

エス様が生まれてくださったのは、私たちが神様と仲直りするため、二つに分かれたものを一つにするためです。

エス様を信じることによって、あなたの心にまことの平和が、平安が訪れますように。

2023年12月17日の説教要約 「光の中に住むお方」

2023年12月17日の説教要約

          「光の中に住むお方」     中道善次牧師

 

  ≪使徒言行録 22章6~16節≫

 

羊飼いたちは、どのようにして、幼子を神の子として受け入れたのでしょうか。

それをパウロが、イエスを主と認めたところからお話ししてまいりたいと思います。

 

1、迫害者パウロ

使徒 22:3 「わたしは、キリキヤ州のタルソスで生れたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。

使徒 22:4 わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて牢に投じ、殺すことさえしたのです

パウロは、クリスチャンを迫害した。しかしパウロは、それを神のために正しい行為として行っていた。

ヨハネ 16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る

エス様がおっしゃった「人を殺しながら、自分は神に仕えていると考える人物」は、パウロのことでありました。

パウロは、クリスチャンを迫害し、殺すことを正当化していたのです。自分は神のためにこれをしている。

クリスチャンは、ユダヤ教の異端と見なされていた。

使徒 24:14 しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼ら(ユダヤ教徒)が『分派』(口語訳では異端)と呼んでいるこの道(イエスをメシアと信じる人たち)に従って、先祖の神を礼拝し、・・・

パウロのクリスチャン迫害の理由:彼らは異端だから取り除かなければならない。

かつてのパウロの姿を、私たちは反面教師として、受け止めて、謙虚になるべきであります。

 

2、パウロの回心の物語

パウロの回心の物語は、使徒言行録の中で3回、記されています。使徒9章、22章、26章です。

使徒言行録を書いたルカは、パウロの弁明の為に、彼の回心の物語を3回繰り返した。

パウロには、多くの反対者がいました。とくにパウロのことを厳しく批判する人々がいました。それはユダヤ主義者です。彼らがパウロのことを責めた一つの点は、彼は使徒ではない。使徒としての資格がない。

使徒1章で使徒の後継者として、マティアが選ばれる時、使徒となる基準が示された。

それは3年間イエスと行動を共にした者で、しかも復活のイエスに出会った人でなければならない。この両方の点でパウロには資格がなかった。

それに対してルカは、イエスと共に生活していなかったことはどうすることもできませんが、パウロは確かに復活のイエスと出会った。そのことを伝えるために3回もパウロの回心の経験を記したのです。

光り輝く栄光の中でパウロはイエスの声を聞いたのです。

これこそ、パウロが復活のイエスに出会った証拠である。

私たちも、イエスをこの目で見てはいません。しかしイエスを救い主として信じて、言葉に尽くせない喜びにあふれている。

1ペトロ1:8 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。

 

 

3、天からの光

では、パウロはどうして、光の中に現れたお方がイエスだと分かったのでしょうか?

旧約聖書を信じる人々は、神は近づきがたい光の中に住んでいることを知っていました。

テモ1 6:16 唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。

近寄り難い光とは、英語ではラディエント(radiant)、自らが光の放つ光源体。

イザヤは、幻の中で栄光の輝く主のお姿を見たのです。そして、自分は滅びてしまうと言いました。

神の顔を見て交わったと言われるモーセですが、出エジプト33章では、お前は私の顔を見ることは出来ない。その後ろ姿だけをみるのだと言われたのです。

サムソンの両親も、主の使いを見ました。そして彼らは主に供え物を献げました。

主が彼らの供え物を受け入れたのです。天から炎がくだったのです。彼らは、自分たちは神を見たから死んでしまうと思ったのです。

新約聖書でも、山の上でイエス様のお姿が変貌しました。どんな布さらしでも白くすることが出来ないほどの輝きの中にイエスが現れたのです。

パウロが知っている旧約聖書の神の姿で、イエスパウロに現れたのです。

ここからクリスマスの物語との関連をお話しします。

クリスマスの物語で、羊飼いたちがイエスを拝みにベツレヘムに行く物語があります。

彼らにとって、「これは神の現れだ」と言うことが分かったのは、光でした。

ルカ 2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

彼らは神の栄光を見たのです。そして幼子を拝んでいる時にも、天の大軍が現れ、賛美をしたのです。

いと高き所には栄光、神にあれ 地には平和、御心に適う人にあれ (ルカ2:14)

それが「この赤ちゃんは神だ」と彼らが信じた理由だったのです。

 

 

4、聞きなれた声

パウロが、もう一つ、光の中におられるお方は神だと知った理由、それは神の声でした。

26章14節では、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。・・・」とヘブライ語で語りかけ声を聞いた。

パウロの名前はローマ人としての名前。

ヘブライ語の名前は、サウル。それがギリシャ語として表現される時、サウロになる。

聖書はそれを区別している。

使徒 9:4 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。

ギリシャ名では、サウロ。しかしヘブライ語で呼ばれる時、サウル、よりヘブライ語的に言うならシャウール。

これでパウロはピンと来た。

エスヨハネ10章で、自分と信仰者を羊飼いと羊に例えておられる。

ヨハネ10:3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。 ヨハネ10:4 ・・・ 羊はその声を知っているので、ついて行く

パウロは、旧約聖書を信じる信仰者であった。祈りの中で、神の呼びかけの声を聞いていたのです。

光の中で現れたイエスは、神がパウロの名前を呼ぶ声を知っていたのです。

そしてそれがヘブライ語のシャウールだったのです。パウロは、声で聴き分けたのです。あなたは主です。

マグダラのマリアが、復活したイエス様を認識したのも声でした。

彼女は涙で目が濡れて、復活したイエス様を肉眼の目で見てもよく分からず、園の番人だと思っていたのです。ところがイエス様は、訳の分からないことを言っているマリアに、「マリア」と言われたのです。

そうしたら、マリアは分かったのです。そして「ラボニ」と言った。

クリスマスの物語でも同じです。

彼らは天使を通してですが、神の声を聞いたのです。

「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」(ルカ1:30)

羊飼いにも、「恐れるな、わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる」(ルカ2:10)

ヨセフにも、「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」(マタイ1:20)と語られました。

「恐れるな」と語りかけてきた神の声を彼らは知っていたのです。

2023年12月3日の説教要約 「インマヌエル」

2023年12月3日の説教要約

                        「インマヌエル」  中道由子牧師

 

《それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ。》(イザヤ書7章10~17節)

 

1、しるしを求めよ

  この預言をしたイザヤは紀元前700年代の南王国ユダで活躍した預言者でした。

7章は紀元前735年頃始まります。ウジヤ王の孫であるアハズが王となりました。

当時の政治的状況は不安定です。

アラム(シリア)のレツィン王と北イスラエル(エフライム)のペカ王は、アッシリアに対抗して2国の間で同盟を結んでいました。

彼らはアハズが自分たちに加勢しなければユダを侵略すると脅しているのです。

アハズの助言者たちは、レツィンとペカに対抗するため、アッシリアの助けを求めるよう促しますが、イザヤはそれは災いだと見て取っています。

 イザヤ書7章3節「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。」

私たちも、何か困った事に直面すると、お祈りの前に、あわてて何かの行動を取ろうとしないでしょうか。どうしたらいいか。あの人に相談しようか。何かいい策はないかと。

しかし神は、静かにして祈ることを求められます。

人間のどんな企てや計画も、神が許されなければ決して成就することはありません。

アラム王レツィンと北イスラエルの王ペカには、ユダに侵略してアハズ王をその座から引きずり下ろし、別の王を立てるという計略がありました。

しかし、神は、かえってユダを滅ぼそうとする北イスラエルが滅びることになると預言されます。7節「主なる神はこう言われる。それは実現せず、成就しない」と。

そして11節では、そのために「しるし」を求めなさいと語るのです。

その特別な申し出に対して、アハズは格好いい答えをするのです。

しるしは必要としません。主を試みるような事をしません、と聖いふりをして、神にしるしを求めることを拒みます。でも実は裏で手を回していました。

当座の危機を逃れるために神の代わりにアッシリアを選び、彼らに助けを求めます。

しかし、神よりも信頼するものがあるなら、結局、その地は荒廃します。

神様の助けなど必要ないというアハズに、イザヤは頼るべきお方は主のみであることを語り、その続きとして語られたのが14節のインマヌエル預言であります。

イザヤは、インマヌエルを語ったあと、「彼が、そうではないか」と期待したインマヌエル君がいました。アハズから生まれたヒゼキヤ王という説もあります。

しかし、イザヤは、やがてヒゼキヤに失望することになります。

預言が語られてから700年以上が過ぎて、この預言のお方が明らかにされたのです。

 

2、処女が男の子を産む

 主はアハズがしるしを拒否すると、ご自分の選んだしるしをお与えになりました。

マタイによる福音書1章22,23節「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」

救い主が処女からお生まれになった。しかも主の天使がヨセフの夢に現れて

マタイによる福音書1章20節「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」と語ったのです。

普通の夫婦の肉体的な交わりを通して受胎したのではない、ということです。

しかし、救い主は人間として生まれなければなりませんでした。

人としての肉体を持つ必要があったのです。

それは、人間の罪を贖うために十字架上で血を流すためです。

そのためにイエス様はきよく汚れのない人とならなければならなかった。

これを可能にしたのが聖霊を父とする誕生でした。

ヨセフを実際の父としなかった理由は、人類の代表としてアダムが負った原罪をイエスの人格が受け継ぐことがないためでした。

聖なる神の小羊であるイエス・キリストの血により私たちの罪が贖われるため、イエスの父は聖霊であり、肉体を持つため処女マリヤが選ばれたのです。

 

3、私たちのインマヌエルの神

ヨセフは天使が命じた通りその子をイエスと名付けました。

エスという名前は旧約聖書に出てくる言葉で言うと、「ヨシュア」です。

ヨシュアというのは、「主なる神はわたしの救いだ」という意味の名前です。

しかし、当時の人々には、ごくごく当たり前の平凡な名前でした。

ですから、当時の周りの人々に、このクリスマスの出来事はちっとも知られていなかった。平凡な、どこにでも起こる一人の男の子の誕生としてイエス様は生まれました。

 もうひとつのイエス様の名前は、「インマヌエル」です。

 インマヌエルとして生まれたイエスは、人を罪から救うために、人と同じ姿になり、人間の世界に住まわれた、わたしのあなたの救い主です。

インマヌエルとは、目に見えない神様が共におられることであります。

目に見える人に頼るのではなく、目には見えないけれども、あなたの側にいてくださる神様がおられます。

  あなたがどんな状況にあってもインマヌエルの神は「恐れるな」「私があなたと共にいる」と語ってくださるのではないでしょうか。

 クリスマスの時だけではない、この一年も共に居てくださったインマヌエルの主に心からの感謝をささげましょう。

2023年11月26日の説教要約 「この方こそわれらの救い主」

2023年11月26日の説教要約

            「この方こそわれらの救い主」    中道由子牧師

 

《それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。》(使徒言行録17章22~34節)

 

17章はパウロの第2伝道旅行で、テサロニケ、べレア、アテネの3つの町のことが書かれております。

 

1、テサロニケ教会の基礎

 テサロニケの町は港町としても重要な所で、経済の上でも、マケドニア地方の最重要地でした。この町はローマの植民都市ではなく、自由都市でした。

したがって、ここにはユダヤ人も大勢いました。

パウロの説教の内容、「キリストの十字架と復活」、そして「イエスこそまことのキリスト、われらの救い主である」という単純でストレートな福音のメッセージは人々の心をとらえたのでした。

私たちは、何か力強いメッセージや優れた知恵の言葉がなくては人に心を動かせないと思いますが、多くのギリシア人が、パウロの説く福音に納得して、その二人に従ったのでした。「従った」とは、「運命を共にした」のです。

 本来ならば、聖書も神も一番よく知っているはずのユダヤ人たちが、その中心的教えに最も強く逆らったのです。彼らは、町のならず者を駆り集めて暴動を起し、パウロたちが滞在していたヤソンの家を襲ったのです。

パウロの伝える福音には、これまで自分たちが守って来たものが覆されてしまうほどの力があることを彼らは本能的に感じ取ったのでした。

 もう一つは、パウロの説教には、ローマ皇帝の勅令に背いて、『イエスと言う別の王がいる』ことを語っていると言っています。

この世の王はそれを好まないため、この別の王とその民たちを抹殺しようとさえします。ヤソンたちは、自分たちが捕らえられ、保証金を支払うことによってパウロとシラスを安全に逃れさせたのでした。

そして、貴婦人たちを含む、ここで救われた人々が、テサロニケ教会を形成する基となったのでした。この命の種である福音の種は、立派に育って、とてもすぐれた教会に成長していったのです。

テサロニケ伝道は大成功でした。

 

2、ベレアの素直な人々

 テサロニケの兄弟たちは、パウロとシラスをこっそりと夜のうちにベレアに送り出しました。ここにも会堂があったので、二人はすぐに会堂に入っていきました。

ところが、ベレアのユダヤ人たちの福音に対する反応は、テサロニケのユダヤ人たちの反応に比べるとはるかに良かったのです。

多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入ったのでした。

そこには3つの良い要因がありました。

1)この人たちは、素直なひとたちだった。偏見を持たない、自由な精神の持ち主だった。真理に対して開かれた心の状態にあったことがわかります。

2)非常に熱心にみ言葉を聞き、受け入れる人たちでありました。

この人たちは、スポンジが水を吸収するようなみ言葉の聞き方であり、聞いたみ言葉を心にとどめたのです。

 ベレアの人たちが素直であったという表現の中に、「ノーブル」「気高い」と言う意味が含まれているというのです。

御言葉を素直に受け取る人には、キリストが持っておられる気高い気質を感じることでしょう。

3)毎日聖書を調べた。

ベレアの人たちは聖書を調べるうちに、信じずにはいられなくなったのです。

ベレアの人たちはどこにイエス様のことが書いてあるか、よく調べたのでしょう。

こうしてベレアの伝道も大成功でした。

 

3、アテネの哲学者

 アテネは、素晴らしい伝統を誇る町です。パウロはここでベレアに残ったテモテとシラスの到着を待っていました。そしてその間に、町を見て回ったのでしょう。

そして、彼はがっかりして、怒りさえ覚えたのでした。

それは、この町の至るところに偶像があるのを見たからです。

パウロは毎日、会堂に入っては、ユダヤ人と論じ合い、広場で居合わせた人と論じ合って伝道しました。哲学の町アテネの人々は論じ合うことが好きでした。

そこでパウロが討論したのが、エピクロス派とストア派の哲学者でした。

 どちらも人生の幸福について説いていましたが、エピクロス派は、快楽主義になり、ストア派は、禁欲主義でした。彼らは本当の幸せはどうしたら得られるのか、きちんと説明できていませんでした。

本当の人生の幸福は、独り子イエス・キリストを通して、その十字架の死と復活を通して神が与えてくださった真の解放であります。

パウロは、公の場、アレオバゴスの議会で説教をする機会を得ました。

しかし、復活と聞いたとたんに人々の心は「それはまた、いずれ聞かせてもらうよ」と嘲笑ったのでした。

十字架と復活を聞いて、人々の反応が分かれた。嘲笑うか、信じるか。

けれども、その中にも信仰に入った人もいました。

「アレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々」です。

 どんなかたくなな地域にもそのような神を求める人がいるのです。

2023年11月19日の説教要約 「エルサレム会議」

2023年11月19日の説教要約

      「エルサレム会議」      中道善次牧師

 

  ≪使徒言行録 15章1~6節≫

 

使徒15章は、エルサレム会議と呼ばれる箇所で、最初の教会会議です。AD49~50年の出来事であります。

この会議で議論された主題は、外国人伝道についてでした。外国人がイエス様を信じて救われるところまでは、コルネリウスの救いで、保守的な人々も理解を示しました。それが使徒11章でありました。

ところが、割礼というユダヤ教信者になる儀式を抜きにした回心は問題ではないかということを言い出した人がいました。15:5によると、それを言ったのは、ユダヤ教の中でも厳格なファリサイ派から信者になった人々でした。

彼らは、外国人でクリスチャンとなった人々にも、割礼を施すべきであると言ったのです。

私たちは、主なる神様が、そしてそこにおられた聖霊様がどのように会議を導かれ、御心をお示しになられたかを、ご一緒に学んでゆきたいと思います。

 

 

1、聖書の幅広さ

アメリカの神学校で学んでおりました時、私の尊敬する旧約の教授が次のように言った言葉を忘れることが出来ません。多くの教団、教派があり、彼らは「私たちの教団は聖書的です」と言います。その通りです。

なぜなら聖書は、多くの教団、教派が主張することを聖書の中にちゃんと記しているのですから。

ペンテコステ系の教会の主張、ホーリネス系の教会の主張、改革派神学の主張など、すべて聖書の中に記されているのです。それは聖書が持つ幅広さなのであります。

使徒言行録15章で、お互いの考えが異なる人々が登場するのですが、聖書はそれらの人々を「信仰者」として受け止めているのです。

一般にも、右から左までという表現がありますが、ここでは信仰姿勢で右から左までの人々が会議に参加しているのであります。

ざっくりというなら、4種類の立場の人々であります。

超保守派    穏健保守派    穏健進歩派    急進派、自由派

超保守派が、割礼派と呼ばれる人々であります。5節に「ファリサイ派から信者になった人」とあります。

穏健保守派は、ここではヤコブであります。彼はイエス様の弟であり、この会議でも議長でした。それが分かるのが、13節と19節であります。ヤコブの手紙を書いたのも、ここに出てくるヤコブであります。

穏健進歩派は、ここではペトロであります。ペトロはご存じのように12使徒のリーダーであります。ここでもペトロの発言が大きな影響力を持っていました。それが7~11節です。ペトロの言葉の影響力が、12節に記されています。「すると全会衆は静かになった」。うんうんと頷いたのです。

最後は、当時では急進派のパウロバルナバでした。彼が主張したのは、神さまの恵みが大切なのだから、私たちはユダヤ教の律法に縛られる必要はない。

今の私たち、プロテスタントからすると、パウロが王道を行くように思います。しかしこの時代は違いました。

キリスト教がスタートしたばかりで、ユダヤ教の母体からようやく出ようとしている時だったのです。

この時の主流は、よりユダヤ的な生き方を重んじる人々であり、ヤコブがみんなからの尊敬を受け、会議の議長をしていたのです。

パウロの態度、発言が過激で、受け入れられない人たちが大勢いて当然だったのです。

ここを見てわかるのは、スタートした当初から、今のような教団教派のような立場の違いが見られたのです。

第一ポイントから聞き取るメッセージは、聖書の幅広さです。そしてそれを私たちの身に着けることです。

急進派とみられていたパウロは、敵対する勢力と思える人々のことも認めていたのです。

それはフィリピへの信徒の手紙1章14~18節です。そこをお読みします。

フィリ1:14 主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。15 キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。16 一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、17 他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。18 だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。

 

 

2、お互いの違いを認めた人々

この会議で大切なことは、相手の立場を尊重して、対話が出来ることであります。

先ほどの4グループで言うなら、直接対話が難しいのが、ファリサイ派から信者になったグループとパウロバルナバを支持する人々であります。

A、B、C、Dで言うなら、AとDで距離があったのです。しかし橋渡しをしてくれる人がいたのです。

それが保守的穏健なヤコブであり、進歩派で穏健なペトロだったのです。

ペトロが15:7~11で発言すると、みんなが静かになったのです(15:12)。

そしてヤコブが、それらの発言を受けて、聖書の中から引用するのです。

それが16~18節です。これはアモス書9章11~12節の引用であります。

穏健保守派のヤコブが、権威である旧約聖書を引用した。

そして19節で結論を述べるのです。

使徒15:19 それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。

しかし、律法を重んじる人々への配慮も忘れていない。それが20節です。

使徒15:20 ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように、

ヤコブは、お互いの違いを認め、それぞれを尊敬するように結論を出したのです。

保守的なヤコブは、異邦人の救いを認めながらも、異邦人からの回心者が、恵みによって救われたのだから何をしてもいいのだというようにならないため、20節の言葉を言ったのです。

そしてヤコブパウロもまた、お互いの立場を超えて、尊重し合ったのです。

一般的な理解で言うなら、ヤコブが手紙で書いていることとパウロが言っていることが正反対のように思えるのです。

例えば、ヤコブ2:14 わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことが出来るでしょうか。

「信仰のみ」を言っているパウロと正反対のことを言っているように思います。

しかしそうではありません。パウロの教えを誤解する人たちがいたのです。彼らは、信仰さえあれば、行いはどうでもいいと言ったのです。ヤコブの言葉は、パウロの教えを正しく理解しない人々への警告だったのです。

パウロもまた、信仰と共に行いが大切であると述べているのです。

それがガラテヤの信徒への手紙5章6節です。「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。

極端な律法主義者は、割礼があればいい。律法を持っていればいいと言いながら、実践しなかったのです。大切なことは、愛の実践を伴う信仰、両者はそこで一致していたのです。

彼らが互いを尊敬するもう一つの個所があります。

使徒21章で、ヤコブパウロのことを心配し、誤解を招かないように助言したのです。使徒21:18~26

使徒 21:18 翌日、パウロはわたしたちを連れて、ヤコブを訪ねたが、そこには長老が皆集まっていた。 19 パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。20 これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。21 この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣例に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。22 いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。23 だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。24 この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活をしている、ということがみんなに分かります。25 また、異邦人で信者になった人たちについては、わたしたちはすでに手紙を書き送りました。偶像に献げた肉と、血と、絞め殺した動物の肉とを口にしないように、また、みだらな行いを避けるようにという決定です。」26 そこで、パウロはその四人を連れて行って、翌日一緒に清めの式を受けて神殿に入り、いつ清めの期間が終わって、それぞれのために供え物を献げることができるかを告げた。

 お互いが相手のことを配慮しあうのです。それぞれの立場の違いを認め合いながらです。

 

 

3、会議で決めたことを守った人たち

 第三ポイントで学びたいことは、会議で決めたことを守る大切さです。

 決めたことを、決めた通りに行う。それが聖霊を崇めることです。

 何故なら、会議の締めくくりでヤコブが言ったのです。みんなで決めました。それだけなら単なる民主主義です。しかし使徒15:28でヤコブは次のように言っています。「聖霊とわたしたちは、〇〇のことに決めました。」

 そしてそれが実行されたのが、パウロの弟子の一人であるテトスのことでありました。

テトスは、パウロバルナバが伝道していたアンティオキアの出身で、アンティオキア教会でパウロによって救い導かれたと想像することができます。

パウロがテトスを導いたことは、次の言葉から分かります。

テト 1:4 信仰を共にするまことの子テトスへ。

不思議なことにテトスの名前は使徒言行録には出てきません。

しかしここにテトスがいたであろうと想像できる箇所があります。それが今日の個所です。

使徒 15:1 ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣例に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。

使徒 15:2 それで、パウロバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と争論とが生じた。この件について、使徒や長老たちと協議するために、パウロバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムに上ることに決まった。

エルサレム会議の結論は、「割礼なしでOK」でした。

使徒 15:19 それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはいけません。

その会議の結論通りに対応されたのが、テトスに対してでありました。

ガラ 2:1 その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。

ガラ 2:3 しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。

テトスは、異邦人クリスチャンの代表、あるいは初穂、最初の救われた人と呼ばれる人でありました。

異邦人の中から救われたテトスが、割礼を受けないで、そのままでクリスチャンとして認められて嬉しい。

そのような喜びが伝わってくるのです。

そして、エルサレムの人たちは、自分たちが会議で決めたことを大切に守ったのです。

それが教会を大切にすることです。教会で決めたことを大切にすることです。

それは自分たちの決めたことを大切にするだけでなく、それを導いて下さった聖霊を重んじることであります。

2023年11月12日の説教要約 「生ける神に立ち帰るように」

2023年11月12日の説教要約

                        「生ける神に立ち帰るように」  中道由子牧師

 

《あなたがたがこのような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。》(使徒言行録14章8節~20節)

 

1、自分の足で立ちなさい

 パウロの第一伝道旅行のリストラで起こった事件です。

ここで彼らは、まず生まれながら足のなえた、歩いたことがない人に出会います。

彼は、パウロの説教に耳を傾けて聞いていたのです。

9節に「この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、」とあります。

パウロは説教しながらも、自分の語る一言一言を吸い込むようにして熱心に耳を傾けている一人の男に気づいた。そして、彼の内に、み言葉に対して率直に反応する信仰の純粋さのようなものがあるのを見て取ったのでしょう。

 説教を語るというのは、ある意味で人々にチャレンジを与えるものだと思います。

み言葉が受け取れなくて、反発している反応を感じてしまうこともありますが、

その中で、やはり語る言葉が吸収されていく、そしてその会衆によって準備していた以上の説教が引き出されていくこともあります。

 10節でパウロが「自分の足でまっすぐ立ちなさい」と大声で言うと、その人は躍り上がって歩き出したのです。

 彼は福音を受け入れている人だったので、パウロも信仰によって自分で立つように命じたのでした。信仰が先に与えられた結果、癒しが起こったのです。

神様はその人その人の霊的状態をご存じで、一人一人を導かれます。

  

2、ゼウスとヘルメスの再来か

 リストラの人々はあまりにもその奇蹟が驚きであったためか、声を張り上げてパウロたちのことを「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言い出したのです。

そればかりか、バルナバが品位もあり風格も備わっていたせいか、彼をギリシャ神話の主神ゼウスと呼び、パウロからは「おもに話す人」という印象を受けたので、神々の使者、雄弁の神として知られるヘルメスと呼んだのです。

そして、ゼウス神殿の祭司まで連れて来て、二人にいけにえを献げようとしたのです。

人は神に造られた存在ですから、神にはなれません。

仏教では死んで仏になり、成仏して神になるそうですが、その成仏した神は天地創造の神とは違う存在です。いずれにしても土の器である私たち人間が、陶器師である神に向かって何を成すことができるでしょうか。

 ここで、民衆が自分たちを神に祭り上げようとしているのを知ったバルナバパウロは、憤りや嘆きを表すユダヤ人の習慣に従って自分たちの上着を引き裂いて、群衆の中に駆け込んで行って語り出します。

 

3、パウロの異邦人向け説教

 ここでのパウロの説教は、予期しなかった事態を収拾するために、いわばぶっつけ本番的に語ったものでした。

この時、パウロは、ユダヤ人の時とは違って、旧約聖書を引用しませんでした。

聴衆が異邦人だからです。

「生ける神に立ち帰るように」と言って、この「生ける神」とはどんなお方か、彼らが理解できる方法でパウロは3つの面から紹介しています。

 まず第一に、このお方は人間を含め、天地万物を造られた創造者なる神だということ。

 第二に、この「生ける神」はまことに忍耐深い、寛大なる神を紹介しています。

 第三に、この神は恵みをくださり、天から雨を降らせて実りの季節を与え、食物をほどこして、人々の心を喜びで満たしてくださる、自然界を支配しておられるお方である。

 この創造者なる「生ける神」が、なぜこのように寛容で恵み深いのかと言うと、人々がむなしい偶像礼拝を捨てて、「生ける神」に立ち帰るようになるためです。

私たちはこの「福音を告げ知らせている」宣教師だとパウロは説明したのです。

リストラでの伝道は、思いがけない迫害から突然終わることになります。

 

4、信仰のフォローアップ

 そしてその翌日、パウロバルナバと共に次のデルベと言う地に向かったのでした。

それから二人は、いろいろと問題の起きた地、リストラ、イコニオン、アンティオキアと、来た道を引き返していったのです。

またどのような目に遭うかもしれないという危険も顧みず、その地の弟子たちを訪れては「この信仰に踏みとどまるように励ました。」(22節)のです。

今日の言葉で言うならば、フォローアップです。彼らは信仰のアフターケアーのために、もう一度時間を割いたのでした。

その中で彼らは、自分たちの経験を生かし、またこれから直面するであろう患難を予測しながら、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」(22節)と語ったのです。

さらに自分たちがいなくなっても、教会をしっかり守って運営し、活動していけるようにと、二人は教会ごとに長老たちを選んで任命したのです。

適切な人を選び祈って、主にお委ねしたのです。

いかに彼らが後に残していく教会を愛し、心に深く重荷として覚えていたかが伺えます。パウロバルナバは「彼らをその信ずる主に任せた。」(23節)のでした。