祈祷会・「主よごもっとです。しかし…」

(マタイによる福音書15:25〜28)
『女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。』(27,28)


主イエスが信仰が薄いとか立派だとおっしゃっている場面があります。
自分の信仰はどうなんだろうと評価が気になります。
自分で自分の信仰を評価すると自分は信仰が薄いし…ダメだなあとマイナスに考えやすいものです。
自分のイメージが低くなっていくような聖書の読み方はどこか方向が違います。


ここでイエスと向かい合ったカナンの女は
エスに無視されているように感じられたり、小犬と呼ばれたりしますが、
「ごもっともです。しかし…」と切り返しています。
どうせダメだろう無理だろうとの思いが先立つと恵みは受け取れません。
犬と扱われるような自分と自覚していても、だからダメなのではなく、それでもと神に向かっていく信仰をもちたいものです。
どんな状況でもプラスの気持ちに切り替えて神に向かいましょう。


娘の癒しを必死に願って、くい下がるように求めたカナンの女をキリストは励まされました。
主がこの女より信仰の言葉を引き出してくださったのです。
『そのとき、娘の病気はいやされた』あきらめない信仰の上に御業は現わされます。