祈祷会・十字架の愛の姿のように

ヨハネによる福音書13:12〜15
『 さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。
「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。
そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。』


足を洗う仕事は奴隷の仕事でした。
主イエスは、仕える姿を示して、主の弟子たちの生き方を教えられました。
仕えるということは、単に謙遜になるだけではなく、十字架の死に至ることを指しました。
仕えること、奉仕することは十字架による救いに基いて、キリストとの関係の中で行われます。
心の真実よりも見た目の行い、終わりの時(救いの完成)よりも目先のことに心を惹かれるわたしたちですが、
キリストが十字架の上で現わしてくださったことに目をとめ、思いを向けて
師である方がわたしにしてくださったように仕え合いましょう。


80代後半の姉妹方が、どんな時にも忠実に祈祷会に出席しておられます。
主イエスを慕う姿に従う喜びが溢れています。
愛されているからなのですね。