2024年2月11日の説教要約 「渇く人への命の水」

2024年2月11日の説教要約

 

  「渇く人への命の水」     説教者 ボブ・ウオレン宣教師

                 通訳  中道善次牧師

    ≪ヨハネ福音書4章≫

 

①イエスは水について語った

ヨハ 4:7 イエスは女性に水を求めた。

ヨハ 4:9 サマリアの女は驚いてイエスに答えた。

エスは彼女の「生ける水」を与える。

       女性は「生ける水」を、よどみなく流れる水と理解した。

       しかしイエスは、霊的な水を意味した。

ヨハ 4:14 イエスはご自分の与える生きた水は永遠の命につながるのだと言われた。

 

 

②イエスは自分のことを語った

ヨハ 4:16~18 イエスは突如、会話の主題を変え、夫を呼んでくるように言われた。

ヨハ 4:19 女はイエス預言者だと思うと告白した。

 

 

③イエスは礼拝について語った

ヨハ 4:23~24 イエスは、礼拝の場所ではなく、どのように礼拝をささげるかについて語られた。

それは「霊と真理」による。

*霊とは、聖霊によることではなく真心のことである。

詩編 51:19 しかし、神の求めるいけにえは、うち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません。

 

霊的な礼拝は賛美と感謝を献げることにある。

詩編99:9 我らの神、主をあがめよ。

      その聖なる山に向かってひれ伏せ。

      我らの神、主は聖なる方。

ローマ 12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。 自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。

これこそ、あなたがたのなすべき(霊的な)礼拝です。

 

エスがなされた自己紹介

 出エジプト3:14 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

ヨハネ8:47~59 アブラハムが生まれる前から「わたしはある」

ヨハネ4:26 それはあなたと話をしているこのわたしである:私はメシアである。

ヨハネ6:35~45  わたしはいのちのパンである

ヨハネ8:12    わたしは世の光である

ヨハネ10:7~10  わたしは門である

ヨハネ10:11~18  わたしはよい羊飼いである。

ヨハネ11:25    わたしは復活である

ヨハネ14:1~6   わたしは道、真理、命である。

ヨハネ15:1~5   わたしはぶどうの木である。

ヨハネ18:4~8   「わたしである」

黙示録22:12~16 わたしはアルファでありオメガ

 

適用:イエスサマリアの女の出会いがもたらしたもの

 命の水を飲むことは、イエスを救い主として受け入れることである。

 人々にイエスがなさったことを伝える。

 ヨハネ4:28~30 女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」

 

 渇いている人々に命の水を与えたい

2024年2月4日の説教要約 「エルサレムへの旅」

2024年2月4日の説教要約

    「エルサレムへの旅」    中道由子牧師

 

パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。》(使徒言行録21章1~14節)

 

1、御心はどこに

第三伝道旅行を終えたパウロが、エルサレムに上ろうとするところです。

それは、エルサレム献金を届けるためだけでなく、もう一度エルサレムにいるユダヤ人の同胞に、イエスが救い主であることを語ろうと考えていたからでした。

これはパウロの心からの願いであったのです。

 しかし、途中立ち寄ったティルスという所にいた弟子たちは、パウロに命の危険があるので、エルサレムへは行かないようにとしきりに忠告しています。

しかもそれは御霊に示されたことであったと言います。

しかし、パウロは「今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。」と言っています。(20章22節)

カイサリアに到着すると、預言者アガボも同じように警告し、カイサリアの弟子たちも、しきりにパウロを止めようとしました。

にもかかわらずパウロは、エルサレムに上るのです。

 しかし、パウロは神の警告は受けても、逆らってはいないのです。

ですからここでの警告は、パウロに注意を促すと同時に、パウロと共にある者に対し祈りを求めるものであったと言えます。御霊は彼らにパウロの危険を知らせ、彼のために祈るように示されたのではないか、と思うのです。

実際、パウロはこの後、エルサレムで逮捕されるのですが、また釈放されています。

そして、エルサレムで証をした後、彼は主の声を聞きます。

23章11節「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。』」

 ですから、エルサレムに行くことは、主の御心なのですが、21章の時点では、いろんな人が主の声を聞き、パウロを引き留めたい思いと混同していたことは明らかです。

 主の御心ですから、と言われると私たちはあきらめざるを得ない現実があります。

しかし、本日の聖書箇所を通して、神の栄光と人の願望が重なり合うところに御心があることがわかります。人々はパウロの命を心配しているのです。

愛する人を失いたくない、人として当たり前の感情です。

パウロの信仰はその上を行っているのです。

十字架の死に至るまで神の御心に従順であられたキリストと同じ道を選んだのでした。

ここまで徹底して神の使命に従い通せたパウロは、本当に使徒として幸せな人であり、彼の人生は満ち足りていたということができます。

 私たちの生き方、願望の中に、決して背伸びをしないで、心から自分を無にして主に従いたい方向づけがあるなら、それは何よりその人にとっての幸せであり、他の人が何と言おうとも、主の御心を歩んでいると言えるのではないかと思えるのです。

 

2、ユダヤ人にはユダヤ人のように(21:17-40)

エルサレムの長老たちは、パウロの宣教報告を聞いて神をほめたたえる一方で、律法に熱心なユダヤ人たちが、その働きを認めるかを心配します。

パウロが、律法を否定していると誤解する人々がいるからです。

長老たちは、パウロが余計なトラブルに巻き込まれないように心を配り、誓願の儀式に参加し、さらにそのためにお金を出すように促しています。パウロは素直に従っています。

それは、主イエスは、律法を成就し、完成するために来られたからです。

彼はユダヤ人の救いを心から願っていたからでした。

ユダヤ人は、ローマの支配下にあっても、ユダヤ教を守る信仰ははっきりしていましたし、彼らの宗教心に触れることは、ユダヤを統治していくことを危うくすることをローマ総督たちも感じていました。

 しかし、私たち日本人にそうした確固としたものがあるでしょうか。

仏教は仏への信仰だけでなく、国を統治するために活用できる画期的な教えが含まれていました。統治されていた指導者に従うことが徳とされてきました。

日本人にとっては国や指導者のために散り方、死に方、死に場所を求める生き方が美しいとされてきました。

多数に従うことがよしとされ、「右へ倣え」の意識が強い、日本人には日本人のようになることはどういうことなのか? 

神は、私たち一握りのクリスチャンに、パウロが律法の誓願の儀式を行ったように知恵を与えてくださいます。

 

3、エルサレムでの証しの機会

しかし、この誓願の儀式がアジアから来たユダヤ人の目に留まり、訴えられます。

彼らは勘違いをしたのですが、町中が大騒ぎとなり、パウロは殺されそうになります。

ここを読むと、パウロエルサレムに行くのはやはり止めておいたほうがよかったのではないか、とはらはらします。

 この時、パウロを殺そうとするユダヤ人たちの騒動の報告を聞いたローマ軍の千人隊長と兵士たちが駆けつけて、パウロは危機を逃れます。

そして、この千人隊長が許可したので、パウロは階段の上に立ち、今や自分を殺そうとする同胞のユダヤ人に向かってヘブライ語で話す機会を得ます。

私たちの人生に、想像以上に悪い結果となり、困惑した事態に追い詰められることがあるでしょうか。

パウロはそのような時に、自分の過去、主イエスとの出会い、異邦人クリスチャンのアナニヤの祈りを通して、目が開かれ、新しい人生を歩むようになったことを大胆に語ったのでした。

2024年1月28日の説教要約 「賛美の力、家族の救い」

2024年1月28日の説教要約

          「賛美の力、家族の救い」     中道善次牧師 

 

   ≪使徒言行録 16章25~34節≫

 

1、賛美が呼び起こす奇跡

使徒16章は第二次宣教旅行であります。順調にスタートしたフィリピ伝道ですが、19節から24節にかけて、困難に出会います。

使徒16:19~24 ところが、この女の主人たちは、金儲けの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、広場の役人のところに引き立てて行った。そして、二人を高官の前に引き出してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、私たちの町を混乱させております。ローマ人である私たちが受け入れることも、行うことも許されない風習を宣伝しているのです。」群衆も一緒になって二人を責めたてたので、高官たちは、二人の衣服を剥ぎ取り、鞭で打つように命じた。そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に入れ、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。

ここは、目に見える出来事としては、パウロとシラスが牢に捕らえられたという迫害でありますが、その背後にあったのは、霊的な抵抗でありました。平たく言うと、悪魔の攻撃であります。

 パウロの霊的権威により、女奴隷から悪霊が出てゆきました。

使徒16:18 彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると、霊は即座に彼女から出て行った。

女奴隷の主人たちは金儲けの手段を失ったことを嘆き、パウロとシラスを恨み、訴えました。訴えの内容は20~21節に記されてございます。ローマ帝国内ではユダヤ教は許されていましが、これをローマ人に布教することは禁じられていました。この時代まだユダヤ教の一派と考えられていたキリスト教パウロがローマ人に宣べ伝えることは、違法と見なされたのです。加えて、フィリピでは、反ユダヤ主義の市民が多くいました。そのあたりを計算に入れて女奴隷の主人たちは、このような訴えをしたのです。

彼らの計略通り、パウロとシラスを排斥する気運が高まり、暴力を受け、足かせをはめられ、牢獄に入れられました。彼らが入れられた「いちばん奥の牢」(24節)とは、地下牢のことだったようです。

   パウロとシラスが獄中で、祈りと賛美を奉げました。この獄中からの賛美によって奇跡が起こったことは有名であり、「獄中からの賛美」とか「賛美の力」という本が出るほどであります。マーリン・キャロザースが記した本が何冊もあります。お読みになることをお勧めします。

村上宣道師が記された注解書には、獄中で起こったことを次のように解説されます。「この様な状況の中における祈りと賛美こそ、正に奇跡と言うべきであろう」。

祈りの答えはまず人の心の内側から起こると言われますが、とても賛美できないような状況の中で賛美する「内なる奇跡」が起こったのです。

その内なる奇跡と連動するように、大地震や看守の救いという外側の奇跡が続いて起こりました。神さまからの内側の取り扱いを受けることなしに、外側の状況は変わりません。

あることについて一生懸命祈りながら、何も状況が変わらないとしたら、霊的な側面をチェックしてください。

そのチェックリストは二つあります。

その第一は、これは悪魔からの攻撃かもしれない。パウロとシラスの場合は、明らかにそうでした。悪魔からの攻撃に対して、最もよい武器は賛美です。賛美によって悪しき霊に対して勝利を宣言するのです。

そして第二は、現在の困難が、どのようなことであっても、この状況の中で主を賛美しますと告白するのです。私の内側に主を賛美する奇跡を起こしてください。そのように祈るのです。

続いて見てまいりましょう。

地震が起こった後、27節と28節で、他の囚人たちが逃亡しなかったとあります。これもまた、奇跡であります。これは看守の予想外の出来事でありました。ローマの法律によれば、囚人たちが逃亡するようなことがあったら、兵士達はその責任を厳しく問われ、死をもって償わなければならなかったのです。この奇跡的な状況に恐れおののいた看守は、二人を「先生方」と呼びます(30節)。それは、直訳すると「主たちよ」であり、相手に対して最大の敬意を表す呼びかけであるのです。

皆さんに、賛美の力を知っていただきたいのです。

皆さんが、何かの問題に直面した時、賛美してください。

次に申し上げたいことは、賛美を生み出す環境であります。それは困難な環境が多いのです。

私たちが賛美している多くの歌は、作詞、あるいは作曲される方が直面した苦しみの中で歌が生まれているのです。

「主は今生きておられる」、「いつくしみ深き」、「ゴッド・メイク・ア・ウエイ」などです。私達が身近に知っている歌は、身内を、愛する方を、亡くされた痛みの中から生み出されたのであります。

賛美について、最後にもう一つ。私たちが何かの問題に直面した時、「あなたのなさる事に間違いはありません」と告白する事であります。

フィリピに伝道にやってきた。牢獄に入れられたパウロとシラスはどんな祈りをし、賛美をしたのか想像しました。ヨーロッパに導かれた。フィリピにやってきて、順調に教会が立ち上がったのに、すぐにこんな目にあうとは、いったいどういう事ですか。ともすると、そのように文句を言いたくなることがあります。

しかし彼らは神がヨーロッパに導いてくださったことを振り返り、告白したのです。

神よ、あなたのなさる事に間違いはありません、あなたの導きは完全に正しいのです。そのように祈っているうちに、自然に賛美が出てきたことでしょう。

 

2、家族の救いの祝福

第二ポイントでは、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます」(31節)からメッセージを聞き取りたいのです。

この言葉は、家族の一人が救われたら、後は自動的に家族が、みな救われる事を保証する言葉ではありません。救いは各々が個人的にイエスを主と信じることによります。しかし家族の一人が救われると、それが家族の救いの始まりであることに間違いありません。

家族の救いに関することで、モーセは心を砕きました。

モーセは、出エジプトをなしとげた偉大な指導者です。でも彼は、外国人と結婚しました。その家族は他の神を拝む人々でした。民数記10章でモーセは、レウエル(出エジプトではイテロ)の子ホバブに言うのです。私達と一緒に旅をしてください。あなたを幸せにしますから。それは家族に向かって、教会に一緒に来て、イエス様を信じてください。あなたを幸せにしますから。そういう事です。しかしホバブは、いいえ、行きません。そのように答えるのです。それに対してモーセはもう一回説得をしているのです。聖書はホバブと家族が一緒に行ったのかどうか、民数記10章の記事では、はっきり告げていません。しかし、士師記を見ると、モーセの家族は神の民になったことが分かります。

皆様もご経験があるでしょう。家族に、一緒に教会に来てください。あなたを幸せにします。そういってもうまく断られてしまう。私たちもそのような経験がありました。

家族が主に導かれることの難しさを私たちも知っています。

それでも願うこと、祈ること、そして家族を愛することは出来ます。

2024年1月21日の説教要約  「与える幸い」

2024年1月21日の説教要約

      「与える幸い」      中道由子牧師

 

《あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエスご自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、私はいつも身をもって示してきました。》(使徒言行録20章35節)

 

1、人を霊的に育てる人(霊的に与える)18章

  第三伝道旅行でパウロが立ち寄った町、エフェソにアポロというユダヤ人がいました。

アポロは、学識のある雄弁家で、しかも「聖書に通じて」いたと言うのです。

彼は魅力的な伝道者でありましたが、重要なものが一つだけ欠落していたのです。

それは、「ヨハネの洗礼(バプテスマ)しか知らなかった」という点です。

ヨハネバプテスマ」とは、バプテスマのヨハネによって行われた、罪を悔い改めるバプテスマのことで、イエスの名による新生のバプテスマとは本質的に違うものでした。

 そのアポロがプリスキラとアキラに出会います。

アポロが、パウロと同じように、ユダヤ人の会堂に入って大胆に話し始めた時です。

パウロから親しい訓育を受けていたプリスキラとアキラ夫婦には、パウロの宣教との微妙な食い違いが、すぐに分かったのでしょう。

そこでこの夫婦はアポロを自分の家に招待して、もっと正確に神の道を説明したのです。

 本当に、この夫妻がアポロに接した態度は立派でした。

アポロの説教を聞いて彼の福音理解が不正確であることを知っても、会衆の前でそれを指摘するようなことはしなかったのです。

この夫婦は、傍観者的な評論家ではありませんでした。

キリストの教会が建て上げられ、福音が前進することだけを望んでいる夫婦でありました。この有能な伝道者を傷つけないように、しかも間違いのない信仰に立って福音宣教に励んでもらいたいという配慮から、自宅に招き入れ個人的に説明したのです。

その上、アカイヤにわたりたいと言うアポロの願いを聞き入れ、コリントの教会に宛てて、「アポロを歓迎してくれるように」と紹介状さえ書いて持たせてやったのです。

アポロはそこでよい伝道活動をして「信者になっていた人たちを大いに助けた」のです。

思慮深い敬虔なクリスチャン夫婦の愛は、一人の伝道者を生かすことができたのです。

 

2、パウロが残したみ言葉の恵み

 19章8~10節では、エフェソのティラノ講堂でパウロは聖書講義をしていました。

ここは、哲学者や教師たちが学んだり論じあったりした場所のようです。

パウロは二年の長きにわたって、毎日(19章9節)伝道を続けたのでした。

エフェソにはアジア州全般から、人々が通商のために、またアルテミス神殿参拝のためにやって来ます。パウロがアジアのすべての町々をめぐって伝道することは不可能でありました。しかし、ティラノ講堂は、全アジアに広く福音を伝える伝道センターとなっていました。

ヨハネの黙示録に記されている七つの教会を含むアジアの諸教会から人々が来て、パウロから福音を聞いたと言います。これらの教会が設立される基礎がつくられたのです。

パウロはこの第三伝道旅行において多くの将来的な可能性のある教会を生み出しました。

 もう一つのパウロが残したみ言葉の恵みは、20章24節に書かれている「パウロ決別説教」です。

これは、第三伝道旅行の帰りですが、パウロはエフェソには立ち寄らず、ミレトから使いをやってエフェソの長老たちをミレトに呼び寄せて、別れの説教を語ったのです。

20章32節で「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたを委ねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。」

私たちが御国を実際に継ぐに至るまでの過程、地上での信仰生活においては、さまざまなことがあります。

その中で、御国に至るまでの間、クリスチャンを支え、導き、矯正するのは神のみことばなのです。人の考えも変わっていきます。周りの状況も変化します。

自分自身も変わりやすくて心もとない存在でしょう。しかし、神のみことばは変わらない。

このみ言葉に信頼する時、御言葉が私たちを御国に至るまで支え続けてくれるのです。

 

3、福音のためにささげる生き方

 使徒言行録20章34節「ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。」

パウロの伝道は実に堅実でした。彼は教会に負担をかけまいとして、働き続けました。

彼の働きは開拓伝道でしたから、行く所々で働いて生計を立てることが出来れば、それはベストのことだったでしょう。

その彼の姿を知っている開拓教会は与える恵みを知っている教会でした。

  コリントの信徒への手紙二8章では、コリントの人たちはエルサレムの教会のために献金をしたことが、書かれています。エルサレムの教会は財政的に苦しんでいました。

ユダヤ人の雇用主たちの敵意が強く、エルサレム地域でキリスト者になると家や職場を失うことにもなったのです。その上、その地に飢饉まで襲いました。

パウロマケドニアの諸教会が非常に困難な状況の中でもエルサレムの教会のためにあふれんばかりの献金をしたことについて述べ、コリント教会もささげる事を勧めました。

与える生き方、パウロは諸教会のクリスチャンたちにその賜物を残していったのでした。

「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」。これは、ジェラール・シャンドリという人の言葉の引用です。

また、あの天才物理学者アインシュタインもこう言っています。

「人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。」

 

2024年1月14日の説教要約 「隣人の重荷を背負う信仰」

2024年1月14日の説教要約

 

   「隣人の重荷を背負う信仰」    中道選子神学生

 

《イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。》   (マルコによる福音書 2:5)

 

マルコによる福音書 2章1節~12節

 

1、病気の友達を代わりに運んだ信仰

このお話に出てくる4人の人たちには、中風の病気で苦しんでいる友人がいました。

彼が自分で歩いてイエス様のところに行くことができないことを、この4人の友達はよく知っていたので、代わりに彼らがこの病気の友達をイエス様のところに担いで行ってあげたのでした。

そして、担いで行ったは良いものの、入る隙がないくらいに、お家はすでに人でぎゅうぎゅうになってしまっていました。

ここで彼らは、外の階段から屋根に登り、屋根を剥がして、そこから、力を合わしてゆっくり病気の友達を、イエス様のところに降ろしてあげました。

 

「イエス様ならきっと、僕の友達を癒してくださる」と信じて、ためらわず、友達をイエス様のもとに連れてきた信仰を、イエス様はしっかりと見てくださいました。

これこそイエス様が求めておられる信仰の形です。

隣人の重荷を一緒に負って、一緒にイエス様のもとに行く信仰です。

この友達が1人で背負いきれないものは、彼の病気でした。

病気の友達の重荷を一緒に背負っていたから、彼がどれだけ苦しんでいたか、この四人の友達には分かりました。

 

 

2、イエス様が代わりに背負ってくださったもの

彼らを目の前にしてイエス様は、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました。

彼らは、「子よ、あなたの体は癒される」という言葉をきっと期待していたと思います。

でも、ここでイエス様はまず最初に、罪の赦しの宣言をされたのでした。

エス様は「あなたの罪は赦される」という言葉を持って、4人の人の願いと期待以上のことをしてくださったのでした。

なぜなら、病気や死の根本的な原因は、罪にあるからです。

この中風の友人が、特別悪い罪を犯してしまったから、病気になってしまったということを言っているのではありません。

最初の人間、アダムとエバが罪を犯す前は、神様が素晴らしく造った、欠けのない世界の中に生きていて、病気も死もありませんでした。

アダムとエバが神様の言葉に背いて、罪を犯してしまったので、その罪の報酬として、人間に死が訪れ、病気がはびこるようになりました。

しかし、神はエバの子孫の中から、彼らを救う者が現れることを約束しました。

 

エス様が中風の人に語られた、「あなたの罪は赦される」という言葉は薄っぺらい言葉ではありません。イエス様は、すべての罪と、罪の報酬の呪いである病気や、痛みや、死を、その身に負われようとされていました。

そして、すべての人のために、この中風の人のためにも、完璧で正しいお方が、身代わりになって死ぬことで、彼らに罪の赦しと清めを与えようとされていました。

そして復活して、イエス様につながるものたちに、死の呪いの代わりに、永遠の命を与えるために、イエス様は来られました。

このようにイエス様は、この中風の人だけでなく、私たちの根本的な重荷を背負って下さいました。

その重荷とは私たちの罪です。

エス様が私たちの重荷を背負ってくださるお方なので、私たちにもまた、他の人の重荷を背負い、共にイエス様の元へ行く信仰を求めておられます。

 

私の高校時代からの友人は、家庭環境が複雑で、本当に苦しんでいました。

久しぶりに連絡を入れると、とても喜んでくれて、1年半ぶりに再会することができました。

エス様のことを伝えられるように祈ってから会いに行き、不思議と聖書の話をたくさん聞いてくれました。

聖書がどんな話なのか、イエス様はどんなことをしてくださったのかを、話すことができました。

彼女のために祈るように、神様が高校生の時に彼女に出会わせてくださったのだと信じているので、これからも彼女がイエス様の内に本当の愛と自由を受け取ることができるように、祈り続けたいと思っています。

誰かに連絡を入れてみるなど、これが何になるのだろうと思うようなことでも、イエス様のもとに重荷を下ろすための、少しでも小さな助けに繋がるように、祈りつつ行動していきたいと思います。

 

そして、もし誰にも共有することができていない心の重荷があるのなら、罪や苦しみがあるのなら、ぜひ牧師先生や、信頼している家族や友人に話して、罪の赦しの宣言を受けてほしいと思います。

私には、なんでも話ができる仲の良い友人がいます。

でも、その友人にも、初めて私に話せないことができたことがあり、1年ほど、自分だけで抱えて苦しんでいました。

ある時、他の友人と3人で集まった時に、同じことで悩んでいたと確信した2人は、一緒にその心の重荷を告白し合うことができました。

そして、共にイエス様からの赦しを受け取ることができました。イエス様は、2人に心の重荷から解放されて欲しかったから、罪の赦しを受け取って欲しかったから、このような場を与えてくださったのだと、その時私たちは確信しました。

その後、その友人は、牧師先生にそのことを話す機会を得ました。先生は、「あなたがそのことを話してくれた前も、後も、私に映ってるあなたは全く変わらない、清い子だよ」と言ってくれました。

その言葉は、イエス様が語ってくださっていることなんだと、友人は感じました。

そして、牧師先生は友人のために祈ってくれました。その時友人は、本当の意味で、イエス様から清めを受け取っていることを知る事ができました。

罪を告白し、祈ってもらうことで、私たちは心の重荷をイエス様の前に手放すことができます。ぜひ、心に悩みや重荷、話せないような罪があるとしたら、祈っていただくことをお勧めします。

 

また、あなたの周りに重荷を抱えている人がいるでしょうか。

その人のために祈り、共にイエス様のもとに行くことができるように、あなたにできることはなんでしょうか。

エス様のもとに重荷を下ろすことができるように、互いに助け合う私たちでありたいと思います。

2024年1月7日の説教要約  「新しい決断」

2024年1月7日の説教要約

        「新しい決断」  中道由子牧師

 

《十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。》(コリントの信徒への手紙一1章18節)

 

1、宣教の方向転換

使徒言行録18章からは、パウロがコリントの町に伝道に行ったことが書かれています。

コリントはアテネとは対照的な町でした。

コリントの西南にあるアクロコリント山の山頂には、アフロディトという愛の女神の神殿があったそうです。恐ろしいことにここは売春センターだったのです。

ここには千人もの売春婦がいて、巡礼に来た人々が群がっていたと言われます。

「コリント式」と言う語は長い間性的不道徳の意味に使われえていました。

パウロはこの不道徳なポルノの町へ足を踏み入れました。

神はここに「わたしの民が大勢いる」と言われるからです。

コリントの信徒への手紙一2章3節には、パウロがコリントに行った時、自分は衰弱し、恐れ、不安であったと述べているのです。

それはコリントの前に訪れたアテネにおける伝道がうまく行かなかったことが原因であるといわれています。耳を傾けていた大勢の人々が、復活の話を聞いたら、スイッチがオフになって、去ってしまったのです。

ギリシャでは、死後の世界について、「霊魂の不滅」という考えがありました。ギリシャの人々は、肉体は悪である、目に見える物質は悪であるという考えを持っていました。

そして霊的なものは善とだという考えです。

死ぬと言うことは、肉体の牢獄から霊魂が解放されることであり、ありがたいこと、そのような考え方の人々に対して、イエス様を信じたら、復活することができる。

つまりもう一度、彼らにとって悪である肉体をいただくことになるのです。

肉体からの解放を願っていたギリシャ人にとって復活はナンセンスだったのです。

パウロは、この人々の反応によって大きな挫折を経験して、ヨーロッパの都市で、どのようにして伝道していったらいいのだろうと途方に暮れながら、隣町コリントに行きました。

そのコリントで、パウロ聖霊の導きをいただき、大きな方向転換をしたのです。

ギリシャ人には、知恵を使って語っても駄目だ。復活というメッセージも彼らの心を動かさない。十字架を語ろう。知恵がない愚かしい話だと思われても、十字架を語ろう。

そのようにパウロは決心をして、コリントで伝道したのです。そう決心したパウロを神は祝福し、コリントで1年半にわたって伝道を続けることができたのです。長期にわたる伝道はパウロにとって初めてでした。そしてコリント教会が出来たのです。

神様は十字架のメッセージを用いて、コリントの人々を救いに導き、家の教会が出来ていきました。

 

2、十字架のことば

コリントでパウロは、ユダヤ人とギリシャ人あるいは異邦人が求めることを引き合いに出して、彼らにとってキリストの十字架がどのように見えるのかを話します。

ユダヤ人は、しるしを追及しました。目に見えるものによって、目に見えない神が生きておられることを知ろうとしていました。モーセによって、紅海が分かれたこと。マナが天から降ったこと。また、ヨシュアにおいて、ヨルダン川がせき止められました。日がとどまりました。エリヤやエリシャをとおして、数々の奇蹟としるしが行なわれました。ですから、ユダヤ人は、これらのしるしによって、生ける神とメシヤを知ろうとしたのです。

その一方、ギリシャ人は知恵を求めます。この世界を動かしている根源について考えました。なぜ、今あることがそうなっているのかについて答えを求めました。

しるしではなく、今あるものがなんであるのかについて知ろうとしたのです。

けれども、ユダヤ人にしても、ギリシャ人にしても、十字架につけられたキリストは、彼らが求めているものを満足させることはありません。

キリストの十字架は、神のしるしなどとは、到底思えない代物です。

だからユダヤ人はつまずきました。彼らは、メシヤが来られて、すべてのものを建て直し、神の国を立ててくださると信じていました。

エスが現われて、奇蹟を行なわれていたので、ユダヤ人たちはこのイエスローマ帝国を倒して、神の国を始められると期待したのです。ところが、ローマを倒すどころか、ローマ人によって死刑に処せられてしまったので、彼らはつまずいたのです。

その一方ギリシャ人にとっては、キリストの十字架は愚かでした。ギリシャ人にとって、神はどこか遠くにいて、人間の世界から離れて存在していなければなりませんでした。

隔絶した存在ならば、人間から隔絶していなければならないのです。

けれども、神は人間の世界に深く関わりを持たれ、そしてなんと人の姿をとって現われました。全能者であるはずのキリストが十字架につけられるなど、彼らの論理では到底、受け入れられるものではなかったのです。

十字架ほど神の力を感じないものはない。愚かで、弱い、忌み嫌われるものです。

けれども、ギリシャ人であっても、ユダヤ人であっても、救われた人々は、キリストこそが知恵であり、力であることを知るのです。

キリストの十字架のみわざによって、神は、悪魔の支配を徹底的に打ち滅ぼし、神が人と交わりを持たれるという不可能なことを可能にしました。

キリストの十字架は弱々しく見えますが、全世界を支配する力よりも力強いのです。

神は自らその十字架にかかり、その力をあらわされたのです。

そして、神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選んでくださいました。

神の御前で誰も自分の能力や賜物を誇ることができないためです。

2023年12月31日の説教要約 「会堂長の救い」

2023年12月31日の説教要約

     「会堂長の救い」     中道善次牧師

 

使徒言行録 18章8~16節≫

 

今日は、パウロが第二次宣教旅行で1年半滞在したコリントでの出来事から人々との出会いを取り上げて学びたいと思います。

 

1、空回りしたパウロ

コリントに来る前、パウロアテネで伝道しました。

ここでは、珍しいと言っていいほど、結果は芳しくありませんでした。

使徒17:32~34 死者の復活と言うことを聞くと、ある者は嘲笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼に付いて行って信仰に入った者も、何人かいた。 

パウロのメッセージの内容がギリシア人に届かなかったということがあります。

しかしもう一つ、パウロが空回りした理由がありました。それは、ここで彼は単独でメッセージを語ったのです。

使徒17:16には パウロアテネで二人(シラスとテモテ)を待っている間に、とあります。

ほとんどの場所で、チームとして働いてきたのに、パウロはここで、一人でアテネのアレオパゴスに立ってメッセージを語ったのです。

エス様は、12弟子を集められた時、彼らを宣教に遣わしました。その時も二人一組だったのです。

私がこのことを学んだのは、ビル・ハイベルスと言う方が書いた本、「勇気あるリーダーシップ」でした。

ハイベルス先生は、チームで働くときに大切なCの一つがケミストリーだと言ったのです。直訳すれば、化学です。しかし日本語訳では、「相性」となっています。「相性」だとすんなり理解できるのですが、神さまはただ仲良しグループに働かれるのではないのです。

ケミストリーと言う言葉は、今、一般にも使われます。サッカーのようにチームで行うスポーツで使われます。それは化学反応です。1+1が2以上になる。

私たち信仰者の視点で言うなら、1+1を2以上にするのは聖霊様がおられ、主の働きがあるからです。

パウロはここでは、一人でした。1はどこまでも1です。パウロは、チームで働くことに大切なことを身にしみてわかったと思います。

 

2、良き協力者との出会い

 誰か助けてくれる人を送って下さい。主にある友と出会わせてください。一人コリントに行ったパウロは、そのような気持ちで過ごし、祈っていたと思います。

そのような時、神さまはパウロに素晴らしい友、仲間と出会わせて下さった。それはアキラとプリスキラでした。

 使徒18:1~3 その後、パウロアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。

彼らは献身的な夫婦でした。立場としては信徒でしたが、信徒伝道者と言えるほど、聖書の知識も豊富でした。パウロは、ここで新しいチームを作ったのです。

彼らは、開拓伝道をパウロと一緒に行ったのです。

もう一つ、ローマ16:3を見ると、彼らは、命がけでパウロを守ってくれたとあります。

もう一人、素晴らしい人との出会いがありました。

それは使徒18:7に出てくるティティオ・ユストであります。

この人の家は、ユダヤ教の会堂の隣にあったのです。そして彼は神を崇める人であったとあります。

彼は、生まれはユダヤ人ではなかったのですが、ユダヤ教に心を惹かれて、ユダヤ教を求めていたのです。

しかし、彼もコルネリウスと同じく、ユダヤ教を飛び越えて、クリスチャンになったのです。

 ラムゼーと言う有名な聖書学者は、ティティオ・ユストのミドルネームは、ガイオであると言うのです。

もしそうであるなら、1コリント1:14で、パウロが洗礼を授けたクリスポとガイオは、使徒18:7~8に出てくるティティオ・ユストと会堂長クリスポであったことになるのです。

ティティオ・ユストは、自分の家を提供して、ここで御言葉を語って下さいとパウロに言ったのです。

これは大変勇気のいる行動でした。テサロニケでは、パウロを泊めたヤソンの家が襲われたのです。

 

 

3、四つの家の教会

次に1年半滞在したコリント教会の姿を見たいと思います。

アメリカの大学院で学んでおりました時、次のような興味深い研究がなされていることを知りました。

学者によりますと、コリント教会は、パウロが関わった教会の中で、一番大きい教会かもしれない。

その人数は、70~80名ほどと推測されるのです。その根拠は、4つの家の教会が基礎になっていたのです。

ティティオ・ユストの家(使徒 18:7)

クロエの家(コリ1 1:11)

ステファナの家(コリ1 1:16)

アキラとプリスカの家(コリ1 16:19)

 

4、会堂長の救い

四番目に注目したいのが、クリスポとソステネという二人の会堂長です。

クリスポがクリスチャンになったことは、使徒18章8節ではっきりと書かれています。

ユダヤ人たちはクリスポ(8節)の後任の会堂長としてソスネテを招いたのでした。

ソステネの名前が出てくるのは、17節です。

使徒18:17 すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。

名前が出て来た時には、彼はユダヤ人たちから打ち叩かれた、とあるのです。

これはどのような背景があったのでしょうか?

それは、パウロが、ユダヤ教の会堂の隣の家で伝道をしたからです。前の会堂長クリスポもクリスチャンになってしまった。クリスポの後の会堂長ソステネが着任してからもパウロは、約一年半、コリントに腰を落ち着けて伝道したのです。それは会堂の隣のティティオ・ユストの家でなされたのです。

怒りを、自分たちの訴えを取り上げなかった総督ガリオンに向けることが出来ないので、ユダヤ人は、怒りの矛先をソステネに向けたのです。これはもう、八つ当たりです。うまく行かないのはみんな会堂長ソステネのせいだ。

学者は言うのです。ソステネはむち打たれただけでなく、解任され、コリントの町から追放された。

そのようなソステネに神様の慰めが注がれたのです。彼は、ユダヤ教に背を向け、回心して、イエス様を信じるだけでなく、パウロの弟子として一緒に伝道について行くようになったのです。

それが分かるのが、コリント人への第一の手紙です。

パウロは、一緒に伝道しているソスネテの名前をコリント人への手紙に書いたのです。

1コリント 1:1 神の御心によって召されてキリスト・イエス使徒となったパウロと、兄弟ソステネから。

コリントの人たちは、この手紙を読んでソステネの名前を見たとき、エーとびっくりしながら、神様に感謝したことを思うのです。神様のなさることは、驚き以外の何物でもないのです。