母の日礼拝・「主イエスの家族」    

「さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった。
そこでイエスに、『母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます』との知らせがあった。
するとイエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである』とお答えになった。
     (ルカによる福音書8:19〜21)

母の日は男性会が心を込めて食事を作ってくださり、教会学校からは素敵な手作りカードが女性全員にプレゼントされました。
母から子へ、子から母へのメッセージが交わされ感動に包まれた1日となりました。


当教会では、母の日には教会のお母さんとして女性全員に謝意を表しています。
私たちは、神の家族です。
神のもとに集められ共に過ごしているので神の家族だと自覚していますが、
主イエスが直接私たちをわたしの家族ですとおっしゃっているみ言葉に聴きましょう。


エスは、ダビデの子だとかベルゼブルの子で悪霊の力で悪霊を追い出しているなど、様々な論争の渦中にありました。
心配した家族が、マリアの子である主イエスを迎えに来たのではないかとも言われています。


主イエスの家族というと両親はヨセフとマリアですが、主イエスの仕事は何で、何人兄弟だったかご存知ですか?
仕事は大工ですね。(マルコによる福音書6:2〜4)には
安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。
『この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。
この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。
姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。』このように、人々はイエスにつまずいた。
エスは、『預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである』と言われた。」

とあります。少なくとも弟4人妹2人がいて、大工として働き家族を支えていたようです。
出身地では、主イエスを神から遣わされた救い主であると認めることができませんでした。


主イエスのもとに来た家族を主は特別扱いされませんでした。
公生涯に入られてからは御自分を神に献げられたものとし、御心に従っておられました。
この場面では、御自分の家族との関係を通じて、新しい家族の関係があるのだと示されました。
血縁によらず、神の言葉に聴き従う群れこそがわたしの家族であると教えられました。
今年の教会の標語は、「み言葉を聴いて行う幸せ」ですが、ここで幸せとは主イエスの家族とされることです。
(マタイ12:49,50)では、主イエスのもとに座り、み言葉に聞き入る群れに向かって、主イエスはこのように言っておられます。
「そして、弟子たちの方を指して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。』」


同じように今、ここに皆さんが主の言葉を聴くために集まっています。
主が私たちを指してここにわたしの母、わたしの兄弟あるいは姉妹がいますと言ってくださっているのです。
何という幸いでしょう。


この家族のつながりの中心は、人間的な愛や仲間意識を超え、同じ生命・信仰に生きることです。
主は罪の中から私たちを尊い血潮によって買い戻し、主のものとしてくださいました。
わたしたちは血による新しい契約によって、キリストを主と告白する共同体として結ばれています。


命がけの愛で家族とされたわたしたちは、存在をかけてこの愛に応える群れです。
家族の中で、サービスや世話を受けて愛を感じたり、自分が満足することを求めるだけでなく、
互いの荷を負い合い自分を与え合って、御心が成るためにキリストの御身体なる教会に仕えます。


家族とされながらいつか帰ればいいと家出していたり、放浪したり、自分勝手に歩んでいるなら、
家族としての責任を果たしていないことになります。
心配をかけたり、他の家族に負担を負わせたりすることになるでしょう。
キリストの支配の内に留まり続けましょう。


主は世との関係を神との関係と区別されましたが、
主イエスの実家の家族は、断絶されたままではありませんでした。
使徒言行録1:13、14)では
「彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ熱心党のシモンヤコブの子ユダであった。
彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」
とあります。
主の実家の家族は、弟子たちと共に主イエスに従い、ペンテコステの当事者とされています。
新しい関係によって主イエスの家族として共に歩みました。


年齢や出産経験の有無によらず、み言葉を聴いて行い、御心に生きる人は主イエスの母、兄弟・姉妹です。
どのような立場にあっても血による契約で結ばれて、主イエスの家族とされています。
互いに愛し合い、み言葉に聴き従い、世界の主の家族と共に歩みましょう。