先週の説教要約 「分け隔てなく」

○先週の説教要約
『分け隔てなく』                      上中栄牧師
《主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません》。(ヤコブ2:1−13)
血液型や出身県など、日本人は類型が好きだと言われます。面白がっているうちはいいのですが、一歩間違えると差別につながるという指摘もあります。
《分け隔て》を禁じるこの聖句は、富む者を丁重に扱い、貧しい者を辱める態度の違いを例に挙げています。そこまで明け透けな差別を私たちはしないと思うかもしれませんが、聖書が描くのは人間の本質です。例えば、ハンセン病に対する偏見は、キリスト教にも責任の一端があります。救済活動をした人にキリスト者が多く、その功績は大きいのですが、彼らの中に潜在する差別意識が、無用な隔離政策を長く続けさせたというのです。悪意なく隣人愛に生きようとした結果の深刻さを思う時、他人事のように批判することは許されません。
自分のうちに偏見や差別意識があることに気づかないことが、差別を生み出すと言われます。しかし、隣人愛を実行しているのは《結構なことです》と皮肉めいて言われているように、自分は差別された人に同情し、寄り添っているという自負もまた、差別を助長します。しかも、そこに何の悪意がなくても、私たちは人を《分け隔て》るのです。人間の本質、自分の心の闇を思います。
神は《貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ》られます。人間と真逆の価値観です。この神に私たちは選ばれ、主イエスによって闇の中から救い出されました。ですから、神の恵みによって賢く歩まなければなりません。
神は分け隔てなさいませんが、人間には多くの違いがあります。《誤った考えに基づいて判断》するのが差別になるとすれば、正しい判断もあります。それが知恵です。例えば、「大人の発達障害」がよく話題になります。《誤った考え》や、興味本位の類型で理解すれば、偏見やレッテル貼りの典型となるでしょうが、正しく理解すれば、自己理解や人間理解の助けになります。人間の価値の土台は神にあることを覚え、賢く隣人愛に生きるものとなりましょう。