先週の説教要約 「神の愛」

○先週の説教要約
『神の愛』                         上中栄牧師
《神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる》。(ヤコブ4:1−10)
よくキリスト教の話しや、牧師の説教は難しいと言われます。単に人間にご利益をもたらす「神さま」ではなく、言葉で表現できない「神」について語るのですから、無理もありません。「三位一体」などはその典型です。しかし、関心をもって尋ね求めるなら、神を知る知恵が与えられると聖書は約束します。
さて、その何とも表現し難い神についての言い回しの一つは、「ねたむ神」です。「ねたみ」は、新約聖書では人間の罪のリストに数えられる言葉ですが、それをあえて神に用いています。これはまた、最近では「熱情・情熱」と翻訳されることもありますが、旧約聖書にもたびたび登場する表現です。特に、偶像に心が傾く人間に対して語られます。つまり、「ねたむ神」とは、なぜ人間は神の愛に気づかないのか!という呼びかけなのです。
神の愛に気づかない人間は欲望に支配され、その結果、互いに争い、願い事も聞き入れられないというのです。《悪魔に反抗しなさい》ともあります。これは昔の人の素朴な感覚ではありません。今日でも、どうにも説明のしようのない「悪」に人間は支配されているを言わざるを得ない事件が後を絶たないではありませんか。それが自分とは無関係だと傍観できる人はいないのです。
さて、ヤコブ書は小説教集だと申しました。ここでは神への服従が勧められていますが、この説教の主題はむしろ《知恵》です。人間の《願い求め》が的を外しているとヤコブ書は指摘します。知恵がないから人間は争い、何を求めているのか分からず、神の愛も分からず、高ぶるというのです。しかし神は、《惜しみなく》知恵を与えてくださいます。神の知恵とは、イエス・キリストの十字架の死と復活による神の救いのことです。この一点に目を留めて神を尋ね求めるなら、神の恵みの世界が開かれていることに気づかされるのです。