2018年10月21日の説教要約 「信仰の独り立ち」

2018年10月21日の説教要約
  「信仰の独り立ち」   中道由子牧師

≪ヨアシュは一生の間、主の目にかなう事をおこなった。祭司ヨヤダが彼を教えたからである。≫              <列王記下12;3>


1、ヨアシュの生い立ち
列王記下11章1節 「アハズヤの母アタルヤは息子が死んだのをみて、直ちに王族をすべて滅ぼそうとした。」
アタルヤは北王国のアハブとイゼベルの娘でした。彼女は、ヨシャパテの子ヨラムに嫁ついできて、南王国の王妃となり、のちにその子アハズヤが王位につくと、王の母として絶大な権力を握ったのでした。ところが、アハズヤは、王位に就いてまもなく、彼にとってはいとこにあたる北王国のヨラム王の戦傷見舞いに出かけて行って、北王国の革命の巻き添えを食って殺されてしまいます。(9;27)この悲報に接するや否や、アタルヤはたちまち毒蛇のような本性を現したのです。実家の一族はみな殺しに会い、もはや北に帰ることができないようにしました。そして、アハズヤの他に王位を継ぐべき自分の息子がなかったので、他の妃たちによって生まれた王子たちをみな殺しにして、自分が王位を奪ってしまったのです。
日本の歴史にも、女性で政治的な権力に影響を与えた人たちがいます。
鎌倉幕府になじみがあるのは、北条時政の娘で、源頼朝の妻であった、北条政子です。
頼朝の死後、若くして息子、頼家が将軍になりますが、頼家の死後、「尼御代」となって政治に権力を持った人です。
島津家のお由羅の方は江戸の町娘ではなかったかと言われていますが、島津斉興の側室となった人物です。彼女が息子、久光が藩主となるように、正室出生の斉彬を廃嫡しようと企んだとされています。日本にもこのような権力を手中に収めようとする女性がいました。しかし、アタルヤは自ら王位を取ったのです。

列王記下 11:2〜4「 しかし、ヨラムの王の娘で、アハズヤの姉妹であるヨシェバが、アハズヤの子ヨアシュを抱き、殺されようとしている王の子たちの中からひそかに連れ出し、乳母と共に寝具の部屋にいれておいた。人々はヨアシュをかくまい、彼は殺されずにすんだ。こうして、アタルヤが国を支配していた六年の間、ヨアシュは乳母と共に主の神殿に隠れていた。七年目に、ヨヤダは人を使わして、カリ人と近衛兵からなる百人隊長の長たちを神殿にいる自分のところに連れて来させ、彼らと契約を結んだ。彼は、主の神殿の中で彼らに誓いを立てさせ、王子を見せて、」
2節のヨシェバは祭司ヨヤダの妻であった。歴代誌下 22:11「祭司ヨヤダの妻であり、アハズヤの妹である、ヨラム王の娘ヨシェバは、ヨアシュをアタルヤからかくまい、彼は殺されずにすんだ。」
ヨアシュ王は7歳で王となりました。
歴代誌下 24:3「ヨヤダは二人の妻を彼にめとらせ、彼らの間に息子や娘が生まれた。」
祭司ヨヤダはヨアシュ王のために結婚も決めてやり、尽くしてくれたのでした。
ヨアシュ王はこの祭司の教えを守り、彼に頼って成長していきました。

2、ヨアシュ王の働き
 ヨアシュ王が善い王様という評価を受けているのは彼が神殿の修理をしたことにあります。神殿が長い間修理されず、ヨアシュの意向に従って祭司ヨヤダが手だてを講じます。
ひとつの箱を取り、そのふたに穴を開けて主の宮の祭壇の脇に置いて、神殿に下げる全ての金をそこに入れさせました。献金箱ですね。 その箱がいっぱいになると、王の書記と大祭司が金を回収して計算し、神殿の修理に使うように直接手渡したのです。工事する人々に金を渡して残金を勘定しなくてよいほど、みんなが正直で誠実に働いたのです。
祭司ヨヤダの優れた企画、王の書記や大祭司がいかに誠実であったか書かれています。
ヨアシュ王は善き側近に恵まれ、主の前に王として善き働きが出来たのです。
 ところが聖書は彼の後半についてこのように記しています。
列王記下 12:18、19「そのころ、アラムの王ハザエルが上ってきてガトを攻略し、更にエルサレムに向かって攻め上って来た。 ユダの王ヨアシュは、先祖であるユダの王ヨシャファト、ヨラム、アハズヤが聖別したすべての聖なる物、自分自身が聖別した物、および主の神殿の宝物庫と王宮にあるすべての金を取り出し、アラム王のハザエルに送ったので、ハザエルはエルサレムを離れて行った。」
神殿の修理を一生懸命した人がアラム(スリヤ)の王様に大切な神殿のものを簡単にあげてしまっています。彼はどうしてこんなに変わってしまったのか?列王記では16節から17節の間のことが書かれていません。まるで急に悪王になった気がします。

3,ヨアシュ王の最後
 歴代誌にはその内容が記されています。
歴代誌下 24:17、18「ヨヤダの死後、ユダの高官たちが王のもとに来て、ひれ伏した。そのとき、王は彼らの言うことを聞き入れた。彼らは先祖の神、主の神殿を捨て、アシュラと偶像に仕えた。この罪悪のゆえに、神の怒りがユダとエルサレムに下った。」

霊的メンターであるヨヤダが死んだ後は、いとも簡単に主の宮を捨てて、アシュラと偶像に仕えて神の怒りを買いました。 ヨアシュ王は家来の言うことを聞いたのです。つまりヨヤダの教えが自分のものになっていなかったのです。
私たちはどうでしょうか。神様と太い絆によってつながっているでしょうか。
ハン・ホン師は黙想エッセイに書いています。 「長年のアメリカ生活を終えて帰国すると、道路情報に疎い私は、韓国の複雑な地理にいつも戸惑いました。知人がカーナビをプレゼントしてくれたので、本当に救われたと思いました。目的地を入力さえすれば細やかに道案内をしてくれるので、どんなにありがたかったかわかりません。そんなある日、妻にそのカーナビを貸して、私独りで運転して出かけたところ、道が全く分かりませんでした。確かに以前カーナビに従って何度も行ったところなのに、感がつかめませんでした。今まで何も考えずにカーナビだけに頼っていて、自分から進んで町の地理を知ろうと努めなかったせいです。カーナビがなかったので、私は再び方向音痴にならざるを得ませんでした。大祭司ヨヤダは、ヨアシュを王とし、多大な影響を与えた霊的メンターでした。堅実な霊的な師がいつも一緒だったので、ヨアシュは神の前に敬虔でいることが出来ました。しかし、霊的なナビゲーションの役割をしていたヨヤダが死ぬと、王は神を捨てて偶像礼拝を積極的に始めます。どんなに霊的な師が立派でも、自分の代わりに生きてくれるわけではありません。ある時点から独り立ちをするべきでした。」

ヨアシュの最後は、 残念なことですが、家来に暗殺されてしまいます。
幼い頃命を助けられ殺されないで王となったのに、結局殺されてしまう。前半は善かったのに人生の最後は優秀の美を飾ることができなかった残念な王として聖書に記載されています。
 イエス様から救ってもらった人生、私たちは始めに受けた神様の恵みを生涯忘れないでお従いしたいと思います。
ヘブル人への手紙 12:2 「信仰の導き手であり、完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」